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◇帯広市:ホシビル解体に思うこと2010年01月08日 03時59分03秒

1983年に、満を持して西二条9丁目に建設されたホシビル。
これが解体されるという話を聞いたので、調べてみた。
詳細は、「北海道新聞帯広支社」というページに詳しいが、ここは新しいニュースが入るとページがリニューアルされて、前のニュースがどこにあるのかわからないので、記事を転載した。


北海道新聞帯広支社 2010年1月6日 08:04:07---------
http://tokachi.hokkaido-np.co.jp/


ホシビル 春までに解体*帯広・博愛会*当面は有料駐車場(2010/1/6)

 開西病院(帯広)を運営する医療法人社団博愛会(同)の細川吉博理事長は5日、博愛会の関連会社が所有する市中心部の商業ビル「ホシビル」(西2南9)について、春までに取り壊し、当面は駐車場として活用することを明らかにした。
 ビルは関連会社のベーシック(同)が、2008年10月に土地と建物を約5千万円で取得した。当初、飲食店などのテナントを入居させる計画だったが、水回りなど設備の老朽化が進んでいて全面改修が必要と分かり、そのままでの活用を断念した。
 同ビルは1983年に完成し、百貨店藤丸の道路を挟んで南側に位置する好立地から、かつてはファッションビルとして中心街のにぎわいに貢献していた。建物は鉄筋コンクリート地上6階、地下1階で、延べ床面積約4300平方メートル、敷地面積は約800平方メートル。
 解体工事は今月中旬にも始まり、いったん更地にした上で、4月以降、有料の駐車場として営業する。細川理事長は「固定資産税が高額なため、とりあえず駐車場にするが、時機を見て新たな建物を建て、まちなかの活性化に貢献したい」と話している。(長谷川賢)

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ホシビルのある場所から、二条通りをはさんで向かいの広小路の端にあるビルは、1986年当時地価(建物込みか?)が一億円になったというニュースが懐かしい。こんな田舎町で、一億円の価値のあるものがあるのかとわくわくした。
世の中はバブルへ向け好景気への期待に胸ふくらみ、専門店が強みの帯広の「まち」は、かねてから流行していたDCブランド熱が高校生を中心にさらなる過熱をみせていた。
帯広の「まち」でDCブランドといえば、マノワール・グレースだった。
ホシビルは、一階は今で言うドラッグストア的な店舗で、二階から上はマノワール・グレースが展開するDCブランドの本拠地となっていた。

一階は、普通にホシ薬局が入っていたのだが、当時の薬局は薬コーナーと化粧品コーナーとが分かれたよくある「薬局」が多かったのに対し、初めて帯広に「ドラックストア」的な店舗を展開したのもホシビルだった。
アンアンなどの雑誌で注目されていた、大手化粧品会社とは違う、独立したコスメ製品が普通に手に入るのは、新し物好きな帯広っ子には大変な魅力だった。


十勝毎日新聞社の2008年2月25日の「検証2008帯広予算」
http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/08kensyou/20080225/03.htm
という記事を見ると、2008年1月にはすでにホシビルの解体計画は存在していたらしい。
この記事で興味深いのは、「中心市街地活性化基本計画」と銘打ち2億6546万円もの予算を組みながら、市と商工会との産業政策の感覚のずれが如実に現れている。

新し物好きで開拓精神旺盛、何よりも自分たちの住む土地を愛している帯広の人たちが、帯広のバブルの象徴ともいえるホシビルを今失うことは、かなり大きな意味を持っていると思う。
これから、昔から栄えていた西二条を中心とした北側駅前をどうにかするのか、それともこの地域は捨てて新しい場所に繁栄の地を求めるのか。

「十勝・帯広の情報サイト 十勝への招待状」
http://www.0155.jp/tokachi/2008/01/09-001469.html
というブログの中でもホシビル解体の話題が書かれている。
ここでも触れているが、現在のホシビルの持ち主が医療団体なのなら、医療を中心とした商業・経済地域にすることだってできるはずだ。
そういう取り組みは、他の自治体でもよく見かけるし、実際に成功を納める地域もあるようだ。
これは邪推だが、帯広はなんとなく病院だけが元気で、高額な医療機器を導入して医療部分だけが高齢化に向けて、どんどん加速していっているような気がしてならない。
帯広はこれから、どういう都市であることを目指すのか。
建物が老朽化しているのなら、建物の表側だけきれいに取り繕ってきた帯広の建物や思想を、いっそ基礎からきれいにするチャンスでもあるのではないか。

離れて暮らす人間としては、故郷の大きな変化は好まないが、一番困るのは気がついたら故郷が機能しない町になって、死んだも同然になっていることだ。
それでは帰ってきても楽しみはないし、なにより自分の家族がそのような地域にいるのは、あまり安心できる状況ではない。
市としての指針が見えず、商工会や市民のいらだちが募る中で、市は帯広市をどう変えていきたいのだろうか。
すでに帯広市民でなくても、それは気になるところだ。

数年前、久しぶりに二条通りを散策したとき、閑散とする帯広の駅前北側でがんばっていたのは、帯広のもうひとつの顔ともいえる、飲食店街の人たちだった。
マルヒロセンターの改造や屋台街などで、昔の繁栄までいかないまで、もここを盛り上げる守っていくという気合を見て取れた。
商工会や市は、この動きや市民の思いをどうとらえていくのか、今後注目したいと思う。



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