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◇ベトナム旅行記08 ~半日市内観光ツアー その2~2012年06月07日 03時03分43秒

■半日市内観光 中央郵便局で両替する

ホーチミン中央郵便局
ホーチミン中央郵便局の中。

聖母大聖堂を正面に見て、右手にはホーチミン中央郵便局があり、半日観光の一行はそちらへ移動。トイレから戻った私たちもそこから合流した。

フランス様式の大きな石造りの建物は、フランス統治時代に建てられたもの。“プチパリ”の異名をとるホーチミンの象徴的な建造物である。
中に入ると、ドーム型の天井が印象的で、正面にはベトナム建国の父とも称される、「ホー・チ・ミン」の肖像画が掲げられている。
郵便局としても機能的な造りだが、細かいところまでこだわった美しい装飾が見事。
人が多くにぎわっているけれど、中はひんやり涼しい。床の装飾タイルは中央アジア風なせいか、なんとなくイスタンブールのモスクを思い出させる。

中央郵便局のタイルの床
中央郵便局の床のタイル。他にも様々な模様のタイルが使用されている。

フーンさんにお金を返したいが、細かいお金がないので、私はここで両替をすることにした。フーンさんに協力してもらい、入口右手にある両替所に向かう。
ここで1万円を両替し、2,290,000VDにしてもらう。レートは電卓で提示され、お札もきちんと一緒に数えて渡してくれた。レートは成田よりもかなりお得だった。

この頃のベトナムドン(VD)のレートは、1,000VDで40円ほど。しかし、0が6つもつくような高額紙幣を手にすると、なんとなく一気にお金持ちになったような気分になってしまうので、大変危険だ。
もっとも、ベトナムでは1万円が平均月給の半分くらいであるというので、高額なお金を持ち歩いていることには違いない。

ベトナムの紙幣は13種類あり、一番大きい紙幣が50万VD。しかし、普通に1万円を両替すると、ほとんどが10万VD札で渡される。
実際買い物をするときにも、1,000VD以下のやりとりはほとんどない。インフレの進むベトナムでは、貨幣価値がどんどん下がってきているため、買い物するときはあまり細かいお金のやりとりはない。なので、1,000の位以下がはしょって表示されていたりする。100,000VDの場合は、「100」とだけ書かれていたりするのだ。
以前は米ドルも使用できたようだが、最近は政府でVD以外の通貨の使用を実質禁止しているらしい。数字だけが書かれていて、VDだと思っていたらドルを要求されるような詐欺も多いらしいので要注意と、ガイドブックには書かれていた。

両替時には、ここでも1,000VD札はもらえなかったので、改めて10,000VDを一枚1,000VD札に換えてもらい、ここから先ほどのトイレ代2,000VDをフーンさんにお返ししたのだが、「細かいお金だから返さなくていい」と繰り返し、結局受け取ってもらえなかった。
実際フーンさんにトイレ代として借りたお金は、日本円にすると8円程度のもの。ベトナムの平均月収が2万円くらいと考えると、100円借りたくらいの感覚だろうか。
実際フーンさんがいなければ、たぶん10万VD札をトイレで出しても、トイレを貸してくれなかったか、お釣りをもらえずぼったくられたかのどちらかだっただろうと思う。
フーンさんに感謝しつつ、海外で街へ出るときには細かいお金を用意すべきだと、心に命じたのであった。

郵便局を出たときに、同じツアーの年配ご夫婦のHさんの旦那さんから、「レートはどれくらいでした?」と声をかけられた。レートを話すと、「街の方が安かった」と言い、いろいろと情報を教えてくれた。なるほど、やはり場所によっていろいろなのだなと思った。


■人民委員会庁舎とホーおじさんの像

ホーチミン人民委員会庁舎とホー・チ・ミン像
ホーチミン人民委員会庁舎とホーおじさんの像。

バスはどんどん街の中心地へ移動していく。ホテルからの道中で車窓から見えていた屋台や商店は姿を消し、大きなビルやブランドのディスプレイやポスターなどが目立つようになってきた。
通りはゴミもなく、清掃が行き届いている。

とあるファッションビルの横にバスを横付けし、大きな通りにある広場に出ると、正面にベトナムの国旗を掲揚した立派な白い建物が見え、広場の中心にはホー・チ・ミンと少女の像がハスの花に囲まれて建てられている。
周囲の街路樹は緑をたたえ、色とりどりの花も咲いていて大変きれいだ。

正面に見えるのは、ホーチミン人民委員会庁舎。ベトナムの行政機関のある建物だ。
本来ならば中に入って見学する予定だったのだが、この日はたまたま行事が重なって見学ができないとのこと。
フーンさんが、ホー・チ・ミンとこの少女の逸話を説明してくれ、みんなでそれぞれ写真撮影。
そんな中、通りに荷物を放り出して写真を撮ろうとしている、アオザイ姿の若い女性二人の姿があった。日本語で「写真を撮りましょうか」と声をかけると、日本語で「ありがとうございます」と返ってきた。

この場所には日本人以外の観光客がいたが、荷物を放り出しているのは日本人だけ。あれだけ注意されても、やっぱり油断だらけは日本人なのだと思ってしまった。



つづく

◇ベトナム旅行記09 ~半日市内観光ツアー その3~2012年06月07日 04時35分00秒

■半日市内観光 ベトナム歴史博物館

ベトナム歴史博物館
ベトナム歴史博物館の入口付近。

半日観光のメインは、ベトナム歴史博物館
古い建物の入口に入ると、そこには小さな美しい中庭がある。まるで、ヨーロッパ映画に出てくる古いベトナムの風景のようだ。
古い窓枠がぐるりと庭を囲み、中央には小さな噴水。そして、色とりどりの花がセンス良く配置されている。

入口を入って左手にある、黄色の花をたわわにつけた木が印象的。
この木は、ホーチミン市内の街路樹でもよく見かけたが、実際何の木なのかはわからない。アカシアにも似ているが、葉っぱが違うし、花のつき方もちょっと違うような気がする。
ホーチミンの街中は本当に花が多いのだが、とりわけ黄色の花をつける植物が多いような気がした。

それ以上に印象的だったのは、ペンギンのゴミ箱だ。
この庭の中だけでも5体はいるのだが、なぜにペンギン? そしてなぜに緑色?。 日本のこの手のペンギンと比べても、目がうつろで写実的でもある。決してファンシーではないので、かわいいという感じでもないのだが、なぜかこの雰囲気のある庭に妙にマッチしていた。

実際、このペンギンのゴミ箱は、街のあちこちでも見かける。
帰国して調べてみたところ、このペンギンのゴミ箱に注目した人は多かったらしく、様々な目撃情報を確認した。
ちなみに、ホーチミンのサイゴン動物園にもこのゴミ箱は存在するらしいのだが、その動物園にはペンギンはいないのだそうだ。

黄色い木の反対側には、雰囲気のあるミュージアムショップがある。少数民族の衣類や道具、その他展示物のレプリカなども売られているが、商売っ気はまったくないようで、どこか山の中にでもきたような静かなたたずまいだ。

中庭の噴水
ペンギンのゴミ箱
噴水。水草の花が咲いてる。ペンギンのゴミ箱。
土産物店の仏像の頭
ミュージアムショップの店頭にある、仏像の頭。


私たちの他にも観光客はいたが、それほど混み合っているようでもなく、フーンさんの説明に従って小一時間ゆっくり観光することができた。
館内は写真不可のため撮影はできなかった(しかし、ガイドなしの人の中には、展示物の撮影を構わずしている人も多かったが)。

館内は、原始時代から現代に至るベトナムの歴史が展示されている。
蒙古の襲来や、度重なる中国との戦争、侵略。そしてフランスの侵略、統治。日本の統治時代も存在する。その時々の時代の装飾品や調度品が、歴史を物語る。やはり中国からの文化的影響は多いようで、中国風の装飾が目立つ。
また、ベトナムは今でも仏教国であるが、その時代時代の仏像の変異もなかなか興味深い。
日本の仏像だと半眼という印象が強いが、思い切り目を見開いているものもあったりする。

フーンさんの説明の中で、一番興味深かったのは、ベトナムの少数民族の話だった。
ベトナムには54もの民族が存在し、みなそれぞれの文化の中で今も生活をしているが、少数民族間でのいさかいはこれまでほとんどなかったというのだ。
ベトナムの主要民族はベト族(キン族)で、ベトナム人の80%を占めるらしい。
少数民族の中には山岳民族も多いのだが、もともとが山岳民族で、戦いによっておいやられたとかそういうことではないということなのか。
あまり詳しいことは聞けなかったが、民族間のいさかいなく暮してきた土地に、まったく違う土地から侵略してきた民族に土地や文化を奪われた歴史は、今でこそ街の中をきれいに彩ってはいるが、悲しい歴史の一面でもあるということなのだろう。

見学が終了し、フーンさんから「トイレに行く人はここで行ってください」と、このツアーの中で初めてトイレを案内された。
他のツアー客のほとんどがトイレに行き、私もこのチャンスを逃さなかった。
博物館のトイレはミュージアムショップの脇にあるのだが、外から見ると小さな事務所みたいな雰囲気。白い小さな木戸がかわいい。
トイレは清潔で、ちゃんとトイレットペーパーも便座も備わっていた。



つづく

◇ベトナム旅行記10 ~半日市内観光ツアー その4~2012年06月07日 06時25分55秒

■半日市内観光 戦争証跡博物館

戦争証跡博物館
戦争証跡博物館。

人民委員会庁舎に行けなかったので、その代わりにと戦争証跡博物館に行く事になった。私たちは、このツアーの後に自分たちで来るつもりだったので、この話を最初にバスの中で聞いたときには、ちょうどいいと気軽に思っていた。
しかし、いざ博物館に足を踏み入れると、ツアーで来るべきではなかったと思った。

バスを降りると、フーンさんは「これから30分自由に見てきてください」と言った。歴史博物館のように案内してくれるのかと思ったのだが、フーンさんは中には入らない。
見ると、観光客を案内してきたドライバーやガイドさんは、みんな入口の駐車場で待機している。みんな一様に伏し目がちで、ここではあまり観光客と目を合わせようとはしない。

日本のベトナム反戦の印刷物。
白光真宏会のメッセージ塔。日本のベトナム反戦デモの報道写真と、千羽鶴。


この博物館は三階建てで、外には戦争で実際に使用された戦車や戦闘機などが展示されている。
入口に入ると、最初に日本語の印刷物が掲示されている。
奥に入ると、米国などのベトナム反戦に関わる展示もあるのだが、日本の共産党の機関紙や、反戦デモの報道写真などがまず目に入る。
昔は、日本のどの町に行っても見かけた、白光真宏会の「世界人類が平和でありますように(May peace prevail on earth)」のメッセージ塔まで展示されている。

一階の奥には、世界各国の平和のメッセージの印刷物が展示されており、さらに奥の別部屋に行くと、ベトナムの子供達が書いた平和の絵が展示されており、その部屋の奥の壁一面にはソ連とベトナムとの共産主義を示すモニュメントがある。

共産主義を示すモニュメント。

二階に上がると、建物の中心が吹き抜けになっており、左右の部屋に展示が分かれ、吹き抜けの廊下にはベンチが置かれているのだが、そこに座る人たちはだいたいが西洋人で、一様に疲れた顔をしている。ペットボトルのゴミなどが散乱していて、その中にみんな座っている。

階段上がってすぐの左側の部屋には、侵略戦争の経緯の資料や写真の展示。そして、右側の部屋には、枯葉剤などの影響で生まれたさまざまな奇形児の写真が展示されている。
私たちの世代では「ベトちゃん・ドクちゃん」が有名だが、ここに来ると彼等はまだ状態が良い方なのだという事を痛感してしまう。身体の一部がくっついて生まれた双生児、小頭症、水頭症、手足の長さが違う子供、身体の骨が変形している子供、顔の形状がほとんどくずれてしまったエレファントマンのような子供。
ほとんどが直視できないような写真で、泣いている人もたくさんいる。

三階は、主に米国などの報道写真と平和への取り組みなどが展示されている。
三階の廊下には、いわさきちひろの反戦への取り組みを説明したパネルが掲げられている。

いわさきちひろのパネル。

一通り展示を見るものの、特に二階は5分といることができない。
早々に入口に戻った私を見て、フーンさんが「ちゃんと見ましたか?」と聞いてくる。
「とてもこれ以上は見られない」と応えると、ちょっと怒ったような顔になり、「では、博物館の外にある、拘置所の写真が展示されているところを見てください」と、わざわざ私たちを連れて行った。
そこは反政府活動などの政治犯などが収容されていた場所を展示したところで、本当の牢獄を模したものや、ギロチンや拷問道具、それに拷問にかけられた人々の写真が展示されている。
目をつぶされた人、爪をはがされた人など、こちらもかなり生々しい。

そこを出ると、フーンさんがツアー客の若い女性二人組にも同じように、拷問の展示室へ案内している。フーンさんはたぶん40代くらいの女性なので、ベトナム戦争は子供の頃に経験している年頃なのだろうと思う。自分がここを見るのは辛すぎるが、世界中の人にはこの悲惨さをきちんと知ってほしいと思っているのだろう。
一階の展示室では、あちこちでガイドさんが自分の客がきちんと見たかをチェックしているのが見受けられた。

ちょっと逃げるようにして、再び一階の奥にある子供の絵の展示室に行く。ベトナムの文化や、お正月の様子などが子供の目で描かれている。それらを見ると、心から平和の大切が身に染みるような気がした。

しかし、これは強制されて見るようなものではないが、やはりツアーではなく自分の意思でしっかり見ておきたかったと、後で少し後悔したのだ。
あまりにも衝撃的だったため、三階のいわさきちひろの展示などは、じっくり見ることができなかった。

再び入口へ戻ると、先ほど声をかけてきたツアーのHさんがちょうど出てきて、奥様がハンカチを口にあてて憔悴されている。旦那様が「ちょっとショックが強かった」とおっしゃっていた。
私が「三階の写真は、昔ライフで見ました」と言うと、「雑誌に載っている程度の写真は、何も伝えていない」と、Hさんの旦那様は話していた。

ベトナム戦争については、日本の中では今ではほとんど風化してしまっている現実もあるが、アメリカなどでは未だに語られる歴史のひとつでもあるし、ベトナムでは風化させることのできない事実なのだろう。
私自身子供であったし、実際のところ「ベトナム戦争の真実」といえるようなものは、何も知らないし、知ろうとしなければ知らされることもなかった。
でも、この戦争の真実はわからなくても、「現実」はここに来ればその端っこは見ることができる。ここにあるのは記録でしかなくても、重要な記録であることには違いない。私たちが知ることができるのは、ほんの端っこだけど、その端っこでも知るのと知らないのとでは大きく違うと、帰国してから思った。
「雑誌に載っている程度の写真は、何も伝えていない」というHさんの旦那様の言葉がいつまでも頭に残る。
ガイドさん達が入口から中に入れない理由も、ちょっとだけ理解できたと思う。



つづく

◇ベトナム旅行記11 ~ダッシュボードの仏様~2012年06月07日 07時54分23秒

■仏教国ベトナム?

ダッシュボードの仏様
車のダッシュボードの仏様。

ベトナムは共産主義の国なので、私はベトナムは無宗教の国なのだと思っていた。
もし信仰が残っていたとしても、フランス統治の時代が長かったので、キリスト教が普及しているのではないかと思っていた。
しかし、実際には信仰の自由が保障されており、多くの人が仏教を信仰している。

共産主義で仏教国というのは、ちょっと意外な感じもあった。
地理的には仏教国であるタイなどにも近いので、仏教の流れとしてベトナムにも広まったというのはうなずける。しかし、この国の歴史的背景を考えると、仏教の信仰が根強いというのが、ちょっと意外な気がしたのだ。
ホーチミンの街中にいても、聖母マリア教会のようなキリスト教の教会はあるけれど、仏塔とか寺院のような建物は見かけなかった(地図で確認すると、3区に寺院があるらしいが)。

歴史博物館でのフーンさんの説明では、ベトナムの人たちは仏教徒が多いけれど、“敬虔な”という感じではなく、日本の信仰と同じように常に宗教的な生活をしているということではないらしい。
大昔には熱心に仏教が信仰された時代もあったようだが、政治的に利用されたり、共産主義になってからは宗教自体が低迷した時代もあったらしい。
また、南部と北部では宗教の形自体が少し違うようなことも、調べていくうちにわかってきた。

ベトナムに宗教が復活したのは、1986年のドイモイ政策からのようだ。
しかし、ドイモイが進んだとはいえ、ベトナムが共産国であることには変わりなく、僧侶が町中で托鉢するような宗教活動は、やはり禁じられているのが現状のようだ。

しかし、町中での宗教活動が禁止されているのに、ベトナムの車のダッシュボードには、仏様の姿がある。
すべての車にということではないのだが、多くの車のダッシュボードの上に仏様が鎮座しているのだ。
仏様はドライバーのほうではなく、車の進行方向を向いて座っている。
日本だと、ここに何かを置くこと自体、ちょっとどうかと思うような位置だ。
普通の車から、観光バス、タクシーまで、仏様はベトナムの車の安全を見守っている。
信号などあってないがごとしのホーチミンの交通事情で、交通安全というのは切実な願いであるだろう。
夜中の道では、昼間よりも倍増するバイクの間を、申し訳なさそうに車が走る。
切実であるからこそ、仏様にすがるということなのか。

戦争証跡博物館の駐車場で、ずらっと並んだ車のほとんどに仏様がいるのを見て、ドライバーに許可をもらい、仏様の写真を撮らせてもらった。
ドライバーは、「なんでそんなものを」と苦笑いしていた。

日本は仏教国とされてはいるが、実際のところは神道の国であると思う。
何か願いごとがあるときは、仏様よりは神様にお願いすることの方が多いように思う。
多くの日本人も、特に神道を熱心に信仰しているわけでもないけれど、車の中には交通安全のお守りが普通にあったりする。信仰とは無縁と思われるようなデコられた車でも、近所の神社のステッカーが貼られているのも見る。
ホーチミンのダッシュボードの仏様も、そんな感じなのかと思ったりする。
“困ったときの仏様頼み”ではないが、宗教を否定されようが、ふだんは宗教に興味がなかろうが、なんとなくホーチミンの人々と仏様はつかず離れずの関係なのだろうと、非常に親近感がわいてしまうのだった。



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