◇ロックのカテゴリーの整合性について考える The Strypes ― 2013年04月26日 12時51分33秒
The Strypes - Blue Collar Jane
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最近イギリスで注目されているバンドThe Strypesが来日するに合わせて、日本でのテレビ番組にも出演するという話をネットで知り、録画をしてみたりした。
The Strypesは、最近よく聞かれるミクスチャーロックのようなカテゴリー的にどう解釈していいのかわからないような音楽ではなく、60年代スタイルのブルースロックを正統的な手法で演奏するバンドらしい。
しかも若干16歳。
詳細は私がここでグタグダ書き連ねるよりも、どこかのサイトで確認したほうがより正確な情報が得られるだろうから割愛する。
私が最初に彼等の曲を聴いたのは、渋谷陽一のFMラジオ「ワールド・ロック・ナウ」(余談になるが、この番組名はそろそろどうにかしてほしいと思う。ある意味「若いこだま」より恥ずかしいような…)。
一番最初の印象は、「The Jamみたい」だった。
The Jamの印象を常に受けるバンドは他にもあるが、まんまThe Jamのテイストを再現しているような16歳の小僧にちょっと興味を持った。
ただ、世間の評価と私が感じたものにちょっとした違いがあり、なんとなく違和感を持っていた。
そういうわけで、普段は見ない日本テレビの「スッキリ」というワイドショーをチェックする。
印象としては、非常に不躾に見えるおっさん二人(加藤浩次とテリー伊藤)に不躾な対応をされても、まったく動じず非常に淡々と質問に答えていく。
ROロンドン特派員の児島さんが「非常に礼儀正しい若者」と評したのがうなづける。
タイトな三つボタンのジャケットなどを着ているが、バリバリのモッズスタイルというわけでもない。
髪型も、くるくる巻き毛がかわいかったり、黒髪がいかしていたりするが、ごくごく普通な感じ。
腕を組んだり、ズボンのポケットに手を突っ込んでいるのを指摘されはするが、この程度はちょっと生意気な風を見せているだけという印象だ。
ものすごい優等生が無理してツッパって見せているようにも見える。なんだこいつら実は「いいこ」なんだな。
こんな風にソツく自分を良く見せる手腕に長けているところは、イギリスも日本も“最近の若者”は同じなんだな。などと、おばさんぶりを発揮しながら録画した映像を見ていた。
ふだんはカヴァーが多い中、今回出た新譜のタイトル曲「Blue Collar Jane」はオリジナル曲とのこと。
演奏しているところを見ていくにつれ、私が感じていた違和感がなんとなく解ってきた。
私はThe Jamっぽいと思ったのに、彼等の評価が「ブルースロック」であったからだ。
The Jamの初期はパンクにカテゴライズされ、後にネオ・モッズとも言われていたからあまり意識もしていなかったが、私は60年代のモッズ系のバンドを「ブルースロック」だとは思っていなかったのだ。
私の中のブルースロックは、アメリカ南部のジョニー・ウインターだとかスティーヴィー・レイヴォーンのようなベタベタの白人ブルースの印象が強かった。
イギリスに影響を感じるものでも、せいぜいボブ・ディランのようなものがそうだと思っていた。イギリスではそれらの影響を受けてはいるものの、ブルースロックとはすでに別な音楽という認識でいた。ローリング・ストーンズやアニマルズはわりとアメリカのものに近く感じてはいたが、ヤードバーズやスモール・フェイセズ、ビートルズなんかは別物だと思っていたのだ。
だから、それらの影響を受けたThe Jamもまたブルースロックとは無縁のものだと思っていた。
しかし、近年はカテゴリー自体が崩壊しているという認識だったから、これがブルースロックの影響下にあるといわれれば「ああ、そうなんだ(????)」という感じ。彼等の音楽をブルースロックと呼ぶことには違和感を感じずとも、「でもThe JamっぽいのにThe Jamはブルースロックじゃないし~」と整合性がとれなかったのだ。
私たちが聞いていた音楽が、いかにきっちり分類分けされており、それがいかにいい加減なものだったのか、近年のリバイバルやミクスチャーと言われるものを聞いていると認識させられる瞬間があったりする。
今回のもそのパターンだが、ここまではっきり認識させられたものもなかったかもしれない。
The Strypesの曲は、歌詞もイギリスっぽいし、演奏もごくごくソツない感じ。30年若かったら狂喜乱舞していたかも。
ただ一つだけいえるのは、最近よくあるいろんなスタイルの曲を「インスパイア」という名のもとで構成されたようなものではなく、ごくごくストレートに自分たちの影響を受けた音楽を表現している素直さは非常に好感がもてる。
このストレートな姿勢とソツない感じが、往年のロックスターをメロメロにする一つの要因なのかもしれない。
メンバーは思ったよりも背が低かったり、肌がつるつるだなあとか思っていたが、超絶美少年系がおらず四人ともそこそこ美少年というところもソツがない感じ。
アイルランド系とのことなので、あと5年もしたらギャラガー兄弟みたいに眉毛がつながったり、やはり10代でデビューしたアッシュやアークティック・モンキーズみたいに、がたいがでかくなって少年らしさがみじんも感じられなくなっていくんだろうなと思うと、はじける少年らしさ満載の今が旬なこのバンドにちょっと注目してみようかと思ったりした。
オリジナル曲だという冒頭映像の「Blue Collar Jane」だが、どうしても下の曲にしか聞こえない。これは私の気のせいだろうか(まあ、これも“音楽の偶然”ということなのかも)。
「スッキリ」のインタビューで、「60年代の曲よりも早い」というようなことを言っていたが、少なくとも70年代よりはテンポが遅くて、とりあえず中をとっているようなところもソツがないと思ってしまったのだった。
追記(2013年4月30日火曜日):
26日金曜日に、テレビ朝日「ミュージックステーション」にも出演したが、タモリはほとんど彼等に構うことなく映像紹介と演奏のみでコーナーが終了してしまった。
「スッキリ」は彼等が単独で取り上げられていたのに対し、「ミュージックステーション」は大勢の出演者のうちの一組という違いはあったけれど、過剰に中高生が古い音楽を演奏していることを持ち上げて「歴史の一ページを見ている」などと過剰反応していた「スッキリ」に対し、(言いたいことはあれど)余計なことは何もせず番組を進行していたタモリの方が、「昔を知っている音楽好きな大人の素直な反応」に感じられた。
昔は外国のアーティストが日本のテレビ番組に出演するということ自体が事件だったし、なんとなくものすごく特別なことだったが、少なくとも「洋楽」ということだけで過剰に騒ぎ立てる時代はもう終ったのだということは、はっきり認識することができた。
The Jam - London Traffic
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◇ロンドンオリンピック 雑念 ― 2012年08月13日 22時48分06秒
そういえば今気づいたが、ビートルズの初期はほとんどアイドルバンド状態だったわけだが、開会式・閉会式でビートルズから80年代のワム!のジョージ、90年代のTakeThat、2010年代のOne Directionといったアイドル勢も紹介されたのなら、70年代のベイ・シティ・ローラーズがスルーされたのはなぜか?
スコットランドのタータンチェックを全面モチーフにしているからか?
彼らがスコットランドのエジンバラ出身だからか?
スコットランド出身アーティストに気を使っていると思ったのは、気のせいだったのだろうか。
やっぱり、開会式の「地下鉄の出会い」のところで「二人だけのデート」が聞きたかったかも。
スコットランドのタータンチェックを全面モチーフにしているからか?
彼らがスコットランドのエジンバラ出身だからか?
スコットランド出身アーティストに気を使っていると思ったのは、気のせいだったのだろうか。
やっぱり、開会式の「地下鉄の出会い」のところで「二人だけのデート」が聞きたかったかも。
◇ロンドンオリンピック閉会式を見て、いろいろな溜飲を下げるが、やっぱりストレスたまりまくり ― 2012年08月13日 12時59分00秒
The Who - My Generation
ロンドンオリンピック終了。
開会式と同じく、朝4時半起きで閉会式の放送に臨む。
今回の閉会式は「英国音楽のシンフォニー」ということで、歴代のロックスターが出演するのだろうと楽しみにしていた。
ハイド・パークでは、閉会式とは別にBlurやThe Specials、NewOrderなどが出演するステージが予定されていたりして、結婚20周年の記念にどこかに旅行に行こうと計画をしていたブリティッシュ・ロック家族の我が家としては、なぜ閉会式だけのロンドンツアーを計画しなかったのか、閉会式を見ながら絶叫する。
The Who - Wont Get Fooled Again
閉会式のカウントダウンと同時に、The Whoの「Wont Get Fooled Again(無法の世界)」のイントロが流れる。
開会式の記事を調べたときに、Led ZeppelinやRolling Stonesといった大物に軒並み断られたという記事を目にし、70年代にすでに亡くなっているドラムのキース・ムーンにロンドンのオリンピック委員会から正式なオファーがあったという話を聞いて、The Whoの出演は鉄板だろうなと思っていた。
何しろメンバー全員生粋のロンドン子だし、ロンドンオリンピックのテーマが「Inspire a generation(世代を超えたインスピレーション)」であれば、エンディングはあの曲しかないだろうと思っていたからだ。
ただ一つだけ難点といえば、「年寄りになる前に死にたい」という歌詞だけか?
閉会式のプレイリストを必死でメモしたが、こちらのサイトが詳しい様子。
【速報】閉会式をプレイリストに沿って再現!英ミュージック50年史!スパイスG、クイーン他多数登場
Our House - Madness
ロック・ポップス勢の最初のステージは、意外にもMadnessの「Our House」だった。80年代を通過した日本人の耳には、「ホンダ・ホンダ・ホンダ・ホンダ」の「in the city」の方が馴染みがあるが、脱ツートーン路線で発売した1982年のこの曲が意外にもイギリス人にはお馴染みだったのだなあと、大合唱になっていることに驚く。
でも、当時ツートーンとして好きだったのはThe Specialsで、Madnessはどちらかというとイロモノな目で見ていたが、路線が変わったことに興味を覚えて買ったアルバムが、「Our House」の入ったアルバムだった記憶がある。
1992年に再結成しているはずだが、ヴォーカルのグラハム・マクファーソンは声が出ていなかったなあ。
次はblurの「Parklife」がかかるが、パフォーマンスだけで本人達は出場なし。当然だが、フィル・ダニエルズの姿もなし。 (追記参照。)
次はPet Shop Boysの「West End Girls」。
この二人、ヴォーカルのニール・テナントばかりが目だっているので、すぐに一人になるだろうと出てきた(デビュー)当時は思っていたが、意外に長く続いているのでびっくり。ついでに、彼の高音があまり衰えていないのにもびっくり。
正直に言うと、後から出てくるFatboy Slimのノーマン・クックと見分けが付かなかったりするのだが。
次に出てきたのは、2010年結成平均18歳という、One Directionというボーイズ・グループ。最近のイギリスはこの手のアイドルがチャートを席巻しており、それ以外は往年のビッグスターのリマスターばかりと聞くが、この閉会式でも1990年代以降はぱっとしなかったりする。
まったく知らないのでスルー。
Kinks - Waterloo Sunset
次に登場したのが、The Kinksのレイ・デイビス「Waterloo Sunset」。
レイのステージは、苗場での最初のフジロックで見たが、あんな感動的なステージはなかった。今回もイギリス紳士的に黒い昔のジャガー風の車で参上したのは感動的だった。
だが、会場にあった車のどれひとつとしてイギリスの車でなかったのは、ちょっと驚きだった。ジャガーもいまやインドの車だし、オースチンは中国だしなあ。
日本も徐々にそうなっていくのであろうか。
もし2020年に東京でオリンピックが開催されることになったときに、東京を走る車もバイクも、どれも日本製でなかったとしたらと考えると、ちょっと怖いと思った。
この後各国の国旗が入場し、選手も入場してくる。
このときかかっていたのは、Elbowのライブで「One Day Like This」「Open Arms」。しかし、NHKはほとんど曲の紹介もバンドの紹介もせず、旗手の吉田選手の様子やコメント紹介に終始して、映像もちらっとしか見られなかった。
その後バックでかかっていたのは、Madnessの「Our House」、blurの「Parklife」、Pet Shop Boysの「West End Girls」の録音盤が繰り返しかかる。
その後のパフォーマンスでは、Kate BushやQueenなどがかかるが、「Imagine」でのジョン・レノンの扱いの大きさには、ちょっとびっくり。なんかブロックみたいので顔を形作るパフォーマンスまで登場し、破格の扱いだと感じた。
それにしても、男子マラソンの表彰式で、花を手渡す係の黒人紳士の花束のぞんざいな扱いにもびっくり。人に手渡す記念の花束を、花の方をわしづかみして手渡す姿を初めてみた。
後半はライブパフォーマンスの間に挨拶があったり、オリンピック旗の掲揚があったりしたが、その最初に出てきたのはGeorge Michael(ジョージ・マイケル)。
George Michael - Freedom 90
「Freedom」「White Light」の2曲を歌うが、この後出てきた1990年代のアイドルTakeThatと比較しても、Wham!の頃の印象は微塵も残っていなかった。ゲイとしてカミングアウトしたり、大病したりといろいろあったが、今でもその声だけは健在なんだなあと思ったりもする。
この人、「Freedom」という歌をWham!時代にも歌っているが、今回ライブで披露したのは「Freedom 90」のほう。でもこの歌って、ゲイの解放の歌でなかったっけか?
ドーピングの問題と同時に、男女の性の問題が浮上したオリンピックで、この歌をわざわざセレクトしたのはどういう理由からなのか、ちょっと意味深に感じる。
出典EveningStandard
その後会場に流れたのは、The Whoの「Pinball Wizard(ピンボールの魔術師)」。会場には、モッズ・デコレーションしたスクーターがたくさん入ってきて、いよいよいここでThe Whoの登場か?と思った。実際、ヴォーカルの声はちょっとロジャー・ダルトリーに似ていたりしたのでてっきりと思ったが、実際はKaiser Chiefsだったのでびっくり。
会場はピンボール仕様になって、さながらピンボール・チャンピオン決定戦2012って雰囲気。実際、映画「Tommy」のピンボールの魔術師のシーンで、リーズ大学でのライブの様子がそのまま使用されているが、今回オリンピックの練習場などにリーズ大学が使用されていることからも、このセレクトはなかなかのものだと思った。
でも、Kaiser Chiefsは自分たちの曲は演奏しなかったので、ちょっとがっかり。
それと、スクーターのモッズ・デコレーションもちょっと地味でないか?
後でよく考えると、モッズで登場したなら「四重人格」からの曲の方がよかったのではないかと思ったりもした。なんかこのへんの甘さも感じつつ次へ。
David Bowie - Fashion
ブリティッシュ・ファッションのシーンでは、David Bowie(デヴィッド・ボウイ)のメドレーが紹介。彼の一番かっこいい時代のピンナップ紹介もあったが、やっぱり本人が出てきてほしかった。
メインでかかっていたのは、「SCARY MONSTERS」に入っていた「Fashion」。
ナオミ・キャンベルは、最近ハゲが進行しているという記事を読んだばかりだったので、名前を聞いたときにちょっと心配だったりしたのだが、彼女の女王様然とした姿を見たときは、一緒に登場したケイト・モスなんかと比較しても、やっぱり格が違うよなと感じてしまったのだった。
Annie Lennox - Little Bird
その後Russell Brandのパフォーマンスの後、Annie Lennox(アニー・レノックス)が巨大な船に乗って登場。やっぱりかっこいいぞ、この人は。こういうオフィシャルにもカジュアルにも映えるアーティストって、実はあまりいないような気がする。
一時期は引退状態だったと聞いていたので、The Tourist時代からのファンとしては、健在ぶりを拝見できてうれしかった。
出典fuckyeahpinkfloyd
アンの後、若いアーティスト代表としてEd Sheeranのステージがあったのに、NHKは完全スルー。まったく聞こえないじゃないか!。
(Ed Sheeranの名前のほかにいろいろなアーティストの名前が羅列していたので調べたら、Pink Floydのニック・メイスンがドラムだった。曲は「Wish You Were Here(炎~あなたがここにいてほしい))」。綱渡りパフォーマンスで、綱の先にいた人形が“炎”を上げて燃えたのもそういう意味があったのだ。)
出典www.mydaily.co.uk
この後、ド派手なバスがタコに変身してFatboy Slimの登場。曲は「Right Here Right Now」「Rockafeller Skank」。
その後、なんとなくJessie JやラップのTINIE TEMPAH、Taio Cruzに変わってしまって、Fatboy SlimことNorman Cookはタコの上に乗ってなんとなく退場してしまった。
Spice Girls - Wannabe
その後、デコレーションしたロンドンタクシーに乗ってSpice Girlsの登場。
なんだかんだいっても、世界的ヒットしたイギリスのアイドルはこの5人が最後ではと思える。好き嫌いは別にして、やっぱり懐かしいって思ってしまうのもご愛嬌。
5人ともちゃんと当時の雰囲気残してるところは立派。でも、5人揃うとやっぱりベッカムの嫁さんは地味に見えてしまうんだよな。いまやこの5人の中で一番のセレブなはずなんだけど。
登場した頃は、5人ともタイプの違うビッチにしか見えませんでした。
oasis - Wonderwall
5人が退場して、ステージでは元Oasisのノエル以外のメンバーで結成されたBeady Eye。でも、もう“元Oasis”って言葉もいらないくらいビッグになっているのだけど。
でも、曲はOasis時代の「Wonderwall」。
次のステージはMuseの五輪の公式ソング「Survival」。
そのわりには、演奏中NHKはどうでもいいことしゃべりまくり、五輪の公式ソングであることはひとつも触れぬまま。大丈夫か?NHK。
コメントがあまりにも無知すぎて、鈴木アナに呆れることしかり。
でもこれ、渋谷陽一がラジオで「Queen風」と評価していた。私はThe Mars Volta風だと思っていたのだけど、この後モニターにFreddie Mercury(フレディ・マーキュリー)が映し出されて、フレディのステージでも掛け声に会場中が反応。
We Will Rock You (Queen Rocks)
その後、現Queenのギタリストのブライアン・メイが、いかにも彼が好きそうな衣装でバリバリのギターソロで登場。ヴォーカルにフィギアスケートの衣装みたいな服のJessie Jを迎えて、競技中もずっとかかっていた「We Will Rock You」。会場大コーラス。
QUEEN & DAVID BOWIE: Under Pressure
このオリンピックの最中、実際Queenの曲は一番よく聴いたような気がする。
特に気になったのは、柔道の選手入場のときにかかっていたと思う「Under Pressure」。
この曲のPVの一番最初に映っているのは、昔の日本の中央線のラッシュアワーの風景。その他は、世界恐慌中の「Under Pressure」な映像と、映画「カリガリ博士(だと思う。記憶不確か)が映し出されている。
オリンピックにこの曲のイントロをずっと聴いていて、オリンピックの裏にあるそれぞれの選手が持つ「Under Pressure」をなんとなく考えないでなかった。
今回のオリンピックでは、これまで女性のスポーツが認められなかった国からの出場もあり、イスラムの国々のこれからの流れの中では、非常に意味のあるオリンピックになったと思う。
でも、そこにある「Under Pressure」は、まだまだ大きなものなのだろうなと思ったりもしたのだ。
次期オリンピック開催国のブラジルのラテンなセレモニーが終わり、Take Thatが登場したときは、「えー、もしかしてこれでラストか?」と思い込む。
1990年代に一世を風靡した彼らもおっさん化には逆らえないのか。こうしてみると、日本の熟年アイドルってすごいのかもしれないと、なんとなく思った。
出典mail online
アートを強調しているわりには、ロイヤルバレエ団が出てこないのを不思議に思っていたが、ここでバレエの登場。
ああ、こういうアカデミックなもので終るのだなと思っていたが、「Baba O'Riley」のイントロが。
旦那は「えー、ちがうだろ」って顔をしていたけど、ステージにはちゃんとThe Whoが立っていた。
NHKの説明では、「The BeatlesやRolling Stonesと同世代のグループ」とのこと。まあ、確かにそうなんだけど、これまでのパフォーマンスの中で、The Whoのエッセンスがちりばめられていたことを考えると、この紹介はちょっとどうなの?
それに、ドラムたたいているのは、The Beatlesのリンゴ・スターの息子で、キース・ムーンのドラムの遺伝子を受け継いだザック・スターキーである。ジョンをあれだけ持ち上げておいて、ちゃんとそこんとこはっきり説明しろよ~! NHK。
「Baba O'Riley」のあとは「See me feel me / Listening to you」。そして、やっぱり最後は「My Generation」。
「Inspire a generation(世代を超えたインスピレーション)」にふさわしいエンディングで、イギリス人らしい韻に韻を踏みまくったエンディングだというのに、NHKは関係ない選手のコメント読みまくり、途中で打ち切りの上に、演奏中はほとんどステージを映さず選手団の映像ばかり。
選手のコメントなんて、後の番組でいくらでもやればいいのにと思う。
「うるせーよ! よけいなアナウンスいれてんじゃねーよ!」と、早朝のテレビの前で怒りまくるわたくし。
でも、そう思ったのは私だけではなかったらしい。
ロケットニュース24 2012年8月13日
『オリンピック閉会式のNHK解説に批判殺到! 視聴者「アナウンサー黙れ!」「起きてた時間を返せ!!」』
今回のオリンピックは、いろいろと考えさせられる場面が多かった。
審判のミスが多かったのは言うまでもないが、その対象の多くがアジア選手に対するものだったりする。とりわけ、日本と韓国への風当たりが強く感じたのは、私だけなのだろうか。
特に、イギリスと対戦する韓国のサッカーチームへの嫌がらせのニュースも聞こえてきて、自国のことではないにしろ決していい気分ではなかった(ただし、ニュースの出所ははちょっとあやしい配信元なんだけど)。
2012年08月04日12時28分[(c) ISPLUS/中央日報日本語版] 『<五輪>本当に紳士の国? 英国が韓国サッカー代表を妨害』
ロケットニュース24 2012年8月3日 【ロンドン五輪】これは本当にひどい! レフェリーが「超ずさんな判定」で追放される事態に / 誤審というレベルではない
競技によっては、審判への抗議で判定が覆ったりすることもあり、事実男子体操団体などは、抗議がなければ日本はメダルさえとれなかった。
あの場面を見ていて、一時は銅メダルと発表されたウクライナチームの涙する姿が忘れられない。
開会式で、Mr.ビーンはズルをして炎のランナーに競り勝つ。よもやこれがこのオリンピックの全てを物語っていたと考えたくはないのだが、ちょっと疑ってしまう部分もあったりする。
抗議できるものはするものの、抗議に対しての日本と韓国の対応がほとんど真逆だったのも興味深かった。
イギリスはオリンピックの少し前からスコットランドの独立問題を抱えていたせいか、開会式でも閉会式でも、スコットランドのアーティストに非常に気を使っているような場面が目立つような印象があったはの気のせいか。
オリンピック大会中にも、スコットランド独立の熱は高まっていたようで、日本と韓国の竹島をめぐるバトルの裏で、こっそりそんなニュースが流れてきていた。
ロイター 2012年 08月 9日 11:04 JST
『ロンドン五輪で思わぬ余波、スコットランド独立論が過熱』
日本でも、男子サッカーと女子バレーボールの3位決定戦のどさくさにまぎれて、韓国の大統領が竹島を訪問するとかしないとか発表し、オリンピックの試合がさながら両国の代理戦争のような感覚で見ていた人も少なくないような気がするのだが、サッカーの試合後に韓国の選手が、それを決定付けるようなプラカードを持ってピッチを走ったので、問題はさらに大きくなってしまったような感もある。
YOMIURI ONLINE 2012年8月11日23時22分 読売新聞
『韓国サッカー選手、ピッチで竹島領有メッセージ』
どこの国でも、多かれ少なかれ領土や民族の問題を抱えている。
イギリスだって、フォークランドやアイルランドの問題を長年抱えているし、中東は変化の過程の火の中から選手が出場しているところもある。
イギリスが獲得したメダルの1/4はスコットランド出身選手のものであることから、もし彼らが「スコットランドに自由を」なんてプラカードを持って観客席にアピールをしたら、イギリスのオリンピック委員会は立つ瀬がなかったんじゃないだろうか。
逆に韓国選手は、日本が負けた腹いせに「竹島は日本の固有の領土である」なんてプラカードを持っていたら(絶対にそんなことをするとは思いたくないが)、どんな反応をするのだろう。
いろいろと言い訳も多いが、決まりは決まりでその間に自国の感情や個人的な感覚を挟む余地は1μもないと知るべきだろうと思う。
どんなに言い訳されても看過しがたいものがあり、その前後の政治的な流れも含めて最後の最後で非常に不愉快な気分になったのだ。
でも、これもオリンピックに隠れた「Under Pressure」なんだろうなと思った。
気分は悪いが、最後にThe Whoを見ることができたのでよしとしよう。
8月13日午後10時30分
追記その1:
ハイド・パークで行なわれたライブのほうでは、blurのライブでパークライフでフィル・ダニエルズが登場したらしい。
blurのライブレポートは、Rockin'onの児島さんのブログでプレイリストと映像のリンク込みで確認できます。
9月1日発売のrockin'onではライブレポートもあるらしい。
ちょっと楽しみ。
追記その2:
写真の出典とか入れるの忘れていましたので、ついでに気になったところを修正しました。
8月17日午前7時30分
追記その3: 「すたん ― 2012年08月14日 00時49分12秒」のコメントより。
すたんさんのご指摘により、The Whoの演奏曲の曲名の間違いを修正しました。
その他いろいろ間違いを修正しました。
すたんさんには、オリンピック閉会式のThe Whoの映像もご紹介いただきました。
ここにたどり着かれた方は、ぜひそちらもご覧ください。
私は感動して涙が出てきました。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18602568
2015年8月19日
追記その4 細かい修正を行いました。
◇ロンドン・オリンピック開会式の一日 ― 2012年07月28日 22時18分56秒
オリンピックの開会式を朝5時前に起きてテレビ観戦し、今日はNHK-FMで一日ブリティッシュ・ロック三昧!。
途中70年代初めのラインナップでダレたけど、こんだけブリットばかりの日は久しぶり。
今日は60年代70年代だったから、明日はいよいよ80's。楽しみです。
今日の司会の森田美由紀アナウンサーは、札幌出身。大島弓子の漫画などで、ボウイファンであったことを告白されたりと、70年代日本女子の正しいロックファンの王道を行く方であることが判明。一日お疲れ様でした。
解説の和久井光司氏は、最後の「Pinball Wizard」の頃にはぐったりした声をしていた。明日にそなえて、英気を養っていただきたい。
ところで、昼にオリンピック開会式でかかったかかからないか判断できなかったバンドをずらずらと並べ立ててみたが、調べてみたところプリイリストが事前にリークされていたらしいが、実際はそのままかかったりはしなかったらしい。
「ブリティッシュ・ミュージック炸裂!オリンピック開会式で流れた曲・ミュージシャン #プレイリスト」というサイトで確認したところ、オアシスはかかっていたらしいし、ニューウェイヴ勢もデュラン・デュランなんかもかかったらしいユーリズミックスとペットショップ・ボーイズは確認できたけど、デュラン・デュランはまったく印象に残らなかった。サイモン・ル・ボンは会場で歌っていたらしいが、まったく気づかなかった。
リークされたというプレイリストを見ると、OMD(オーケストラル・マヌーバーズ・イン・ザ・ダーク)とかがラインナップに入っているが、このあたりもまったく印象にない。
もしかしたら、記憶ののろいのえじきになっていたのかもしれない。
途中70年代初めのラインナップでダレたけど、こんだけブリットばかりの日は久しぶり。
今日は60年代70年代だったから、明日はいよいよ80's。楽しみです。
今日の司会の森田美由紀アナウンサーは、札幌出身。大島弓子の漫画などで、ボウイファンであったことを告白されたりと、70年代日本女子の正しいロックファンの王道を行く方であることが判明。一日お疲れ様でした。
解説の和久井光司氏は、最後の「Pinball Wizard」の頃にはぐったりした声をしていた。明日にそなえて、英気を養っていただきたい。
ところで、昼にオリンピック開会式でかかったかかからないか判断できなかったバンドをずらずらと並べ立ててみたが、調べてみたところプリイリストが事前にリークされていたらしいが、実際はそのままかかったりはしなかったらしい。
「ブリティッシュ・ミュージック炸裂!オリンピック開会式で流れた曲・ミュージシャン #プレイリスト」というサイトで確認したところ、オアシスはかかっていたらしいし、ニューウェイヴ勢もデュラン・デュランなんかもかかったらしいユーリズミックスとペットショップ・ボーイズは確認できたけど、デュラン・デュランはまったく印象に残らなかった。サイモン・ル・ボンは会場で歌っていたらしいが、まったく気づかなかった。
リークされたというプレイリストを見ると、OMD(オーケストラル・マヌーバーズ・イン・ザ・ダーク)とかがラインナップに入っているが、このあたりもまったく印象にない。
もしかしたら、記憶ののろいのえじきになっていたのかもしれない。
◇早起きしてロンドン・オリンピック開会式を観る ― 2012年07月28日 14時35分23秒
David Bowie - Heroes
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ロンドンオリンピック開会式。
昨日の夜は10時に寝て、早起きして観た。
ずいぶんとこじんまりした会場だな、というのが第一印象。北京やアテネと比較すると、スタジアムがちょっと小さく見えるのは、やはり古くからの大都市であるせいなのか。
今回のオリンピック。ブリティッシュ・ロック好きにはたまらない企画が盛りだくさんという下馬評もあり、開会式・閉会式に関しては実に様々な噂が飛び交っていた。
ポール・マッカートニーがすでに引退宣言をしたリンゴ・スターとミック・ジャガーと、彼等と対極にあるようなジョン・ライドンと一緒に共演するとか、すでに30年以上前に亡くなっているThe Whoのキース・ムーンに、オリンピック委員会からステージオファーが正式にあったとか、ポール・マッカートニーと、ジョン・レノンの二人の息子ショーンとジュリアン、ジョージ・ハリスンの息子、引退したリンゴを引っ張り出すのか、それとも彼の息子であるザック・スターキーを引っ張り出すのかはわからないが、そのメンバーで新生ビートルズを画策しようとしたりとかなどなど…。
実際、前回の北京オリンピックの閉会式には、次期オリンピックの予告としてレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが登場したりと、ロンドンオリンピックとブリティッシュ・ロックとのコラボは4年前から予想されていたものだった。
しかし、蓋を開けてみると、次期予告をしにわざわざ北京まで出向いたジミー・ペイジには招待状も届かず、ビートルズもローリング・ストーンズもレッド・ツェッペリンにもことごくオファーを断られたという噂も耳にした(ジミー・ペイジが招待されないのに、ツェッペリンにはオファーがいったのか?そのへんは謎。あくまで噂の範疇だし)。
キースにはオファーがあったのに、実際The Whoへのオファーはどうだったのだろうかとか、The Whoにオファーがないのであれば、キンクスだとか80年代の第二次ブリティッシュ・インベイションを支えたたくさんのバンドは、ビートルズあたりから比較すれば小物扱いなのだろうかとか、いろいろと邪推はつきなかった。
Mike Oldfield - Tubular bells
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実際に蓋を開けてみると、セレモニーで最初に演奏したのは、マイク・オールドフィールド。
彼の代表作は、往年のホラーの名作映画「エクソシスト」の印象的な曲として世界中に知れ渡る結果となり、彼の曲を一度は耳にした人も多いとは思うが、このような場所で抜擢されるような人だとは思ってもみなかった。
実際にベースとギターを自ら演奏して、「チューブラー・ベルズ」での登場。
この人は人嫌いだったり精神疾患にかかったりしている割には、クイーン・エリザベス二世石庭号のアルバムを作ったりと、何かとイギリス王室との関わりは強い印象。
ベッドの上に乗った子供達が、チューブラー・ベルズのオープニング曲に乗って移動していく様子を見て、「ホラー好きでブラック・ジョーク好きのイギリス人のことだから、これで子供の首がいっせいに360度回ったりしないだろうか」と一瞬思ってしまったが、これはイギリスが医療に貢献したことへの表現であり、不謹慎な考えを恥じた。
それでも、この後のピーターパンのネヴァーランドからメリー・ポピンズに至るファンタジーの世界へと続く序章として、この曲の中で一番幸せそうなイメージのメロディ部分がきちんと使用されているところは、とてもよかったと思う。エクソシストでの意図せぬ使用によって、この曲に悪魔的イメージがついてしまったことに、マイク・オールドフィールド自身は歓迎はしていなかったのだし。
Sex Pistols - God Save The Queen
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セレモニー中、イギリスの歴史を表現する中でも、ブリティッシュ・ロックはあらゆる場面でちりばめられていたが、懸案だったセックス・ピストルズの「God Save the Queen」は、歴史紹介の中で一瞬タイトル部分のみが流れるにとどまった。
次期としては女王が007に伴われて、パラシュートで会場入りする前のことなので、女王はこの曲を直接耳にしていないということになっているようだが。
The Jam - Going Underground
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Millie Small - My Boy Lollipop
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イギリスの歴史とは別に、イギリスのロックの歴史を紹介するセレモニーの中では、地下鉄で出会った二人の男女のドラマ仕立てのダンスパフォーマンス中で、ブリティッシュ・ロック三昧。
時系列は一応ビートルズの60年代からということになっているが、主人公が出会う地下鉄の場面では70年代後半のザ・ジャムの「Going Underground」がかかったり、70年代初頭の途中でスペシャルズが挿入されたりと、時系列はわりと適当な印象。
わりと有名どころが紹介されていたが、イギリス初のロック/ポップ音楽専門番組「レディ・ステディ・ゴー」のテーマ曲も担当したマンフレッド・マンだとか、モッズのアイドル サンディ・ショー、マンチェスターのスターともいえるザ・スミスやストーン・ローゼスなんかが欠けていたような印象を受けた。
レディ・ステディ・ゴーの映像で、ミリー・スモールなんかの映像が出ていたのは、60年代好きには嬉しい収穫だったのだが。
炎のランナー テーマ曲(ヴァンゲリス)Chariots of Fire - Vangelis
※ここにはMr.ビーンはいません。
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その後、パリ大会の陸上選手を描いたヴァンゲリスの「炎のランナー」が、ミスター・ビーン付きで演奏されたり、選手入場ではブリティッシュ・ロック・メドレーにアレンジされたさまざまな世代の楽曲が会場にあふれていた。
選手入場では、「えーと、これはなんだっけ」「これは誰だっけ」と記憶ののろいのオンパレード。曲は覚えているのに、曲名が出てこない。PVは頭に出てくるのにアーティスト名がわからない。個人的に、非常にフラストレーションを貯めつつも楽しめた。
最後の、イギリス代表選手入場でのデビッド・ボウイの「Heroes」は、入場した選手全員が「Heroes」であるということなのか、それとも英国選手こそが「Heroes」であるということなのか。その両方だと思いたいが、なんとなくかつての“英国至上主義”みたいなものが、こういうところで表現されたのかななど、勝手に思ったりしていた。
初盤のセレモニーは、英国がもともとはいくつかの国に分かれていたところから、各地の民族音楽の子供の聖歌隊の合唱から始まり、産業革命などを経て国が一つになっていく歴史が表現されていたのだが、産業革命で多くの移民が英国内に入ってきたというくだりを、各国の英国領であった国や、現在でも英国領である国はどう思ったのだろうか。
どこの国でもそうだろうが、移民の歴史にはいろいろな闇の部分も含まれる。事実、未だに英国内でも外国人排斥運動などは普通に存在している。
英国に行ってそういう歴史に詳しいわけではないからなんともいえないが、セレモニーダンサーの中には有色人種の人たちも多く見受けられたし、移民の存在あっての英国であることを認めているような印象を受けるセレモニーだったと思う。
ただ、英国のロックの歴史の中には、常にアイルランドの問題は大きく存在していることは確かで、そこのところは微妙にぼやかされていたように感じた。
各国選手の入場する中で、ひときわ長くU2が流れていたのが印象的だった。流れた曲ができれば「Sunday Bloody Sunday」であってほしかったけれど、平和の祭典には似合わないか。
せめて「Beautiful Day」だったらよかったか。それとも実際にかかっていたのは「Beautiful Day」だったろうか。U2も何がかかっていたのかはっきり覚えていない。
U2に関しては、開会式に出るのではなど噂が流れていたが、アイルランドのスターである彼等が実際オファーがきたとしても受けるかどうかは微妙だと思った。
それにしても、いつの間にかU2はアイルランドのスターであると同時に、英国のポップスターになってしまったのだなあと感じた。
Arctic Monkeys - I Bet You Look Good On The Dance Floor (2005)
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選手入場が終わり大会宣言まで、鳩のバイシクルレーサーと登場したのは、2000年以降の英国を代表するアークティック・モンキーズ。
オリジナル曲とビートルズの「Come Together」をかなり忠実に披露した。
彼等がRockin'onの表紙に登場した頃は、まだ高校生だったんだよなあ、とこのあたりはなんだか隣の子供の成長を見るような気持ち。
ポール・マッカートニー / HEY JUDE
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この後、オリンピック委員の挨拶だとか、オリンピック旗の掲揚などを経て、最後の最後で御大ポール・マッカートニー卿の登場。
ビートルズのヒット曲「ヘイ・ジュード」を熱唱するも、ステージにはショーンも、ジュリアンも、リンゴさえもいなかった(ドラムをたたいていたのは、柔道の選手かつのだ☆ひろかと思われるようなドラマーだった)。
花火でテレビ放映は終ったが、実際この後何かステージが続いたのか、それともマッカートニー卿で終ったのか、なんとなくはっきりしない幕切れであった。
それにしても、ブリティッシュ・ロックのラインナップってこんなものだっただろうか。
開会式の後で放送している、28日土曜日と29日の土曜日午後から半日かけて放送される、NHK-FMの「今日は一日“ブリティッシュ・ロック”三昧」を聞いていると、「ああ、このバンドもいなかった」「この人も聞かなかった」と思うものばかり。
暗いヒット曲しかないアニマルズはしかたないにしても、ロッド・スチュワートは完璧スルーだし、エリック・クラプトンはかかっていただろうか、ジェフ・ベックは? ディープ・パープルは? ボウイはかかったけど、ロキシー・ミュージックは? Tレックスは? ザ・ジャム、クラッシュはありでポリスはスルー? エコー&ザ・バニーメンは小物すぎる? ハッピー・マンデーズとニュー・オーダーはかかっていたけど、マンチェの大物オアシスは? フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドはかかったのに、ニューウェイヴ勢は総スカンだったような ベッカムが007に聖火を渡すところでかかったのはパルプ?
考えればつきないから、今日明日はどっぷりFM聞いて、ブリティッシュロックにどっぷり漬かろうと思う。(ちなみに、今かかっているのはザ・ゾンビーズにキンクス。番組開始後、まだ60年代中盤から抜けない。)
追記: それにして、ローリング・ストーンズをはじめ、往年のスター・バンドは軒並み結成50周年らしい。
ほとんど人前に現れなくなったデビッド・ボウイをはじめ、体調戻れば世界ツアーに出発するストーンズ。今年来日したThe Whoのロジャーはまだまだ元気いっぱいだし。
一概に50周年といってもピンとこないが、加山雄三が去年50周年だったといえば、なんとなくそういう時代なんだなと思う。
前述したマイク・オールドフィールドのコンサートは、すでにほとんどクラシックのコンサートの様相を呈しているとも聞くし、ロックの楽曲がクラシックの技法で演奏されることも少なくない。
ロック=若者の文化など、もう今は昔の話なのだ。
エルビスに熱狂し、ビートルズに奇声をあげていた人たちもすでに80歳近くに突入している人も少なくない。ポール・マッカートニー卿だって70歳だという。
ロックスターが還暦を迎えたというので驚いていたのが、ほんのちょっと前のことだったように思うのに。
◇映画「グスコーブドリの伝記」を観る(ネタバレ注意) ― 2012年07月16日 14時49分36秒
映画『グスコーブドリの伝記』予告編【HD】 2012年7月7日公開
昨年の東北地方の震災と、それに伴う原子力発電所の事故などから、私はずっと「グスコーブドリの伝記」に出てくるような研究者が日本を救ってくれないだろうかと、ちょっと本気で思っていた。
現実は、自身の企業生命を維持するために消費者を省みない電力会社と役立たずの政府だけがクローズアップし、原子力発電所の事故を解消・解明するために投入された技術はほとんどが役立にたたないというニュースばかりで、ブドリやペンネン所長、クーボー博士のような人が表に出てくることは今のところ聞こえてはこない。
つくば時代に国の研究所で働いていて、多くの研究者がどのような人たちで、それを管轄するお役所がどのようにふだん仕事をしているのかは、いやというほど見てきたのだから、こんな甘い幻想をするほうがどうかしていたのだと思ったりもするのだが。
それでも、今この時期に「宮沢賢治のグスコーブドリの伝記」を映画化することには、ものすごく大きな意味があるように思っていた。
キャラクターデザインが、ますむら・ひろしのものであることも、楽しみの一つでもあった。彼は宮沢賢治に感銘を受け、自身の猫のキャラクターで、ずっと宮沢賢治の物語を漫画化してきたからだ。
しかし、映画を観た感想として、宮沢賢治の原作を読み、ますむら・ひろしの漫画に非常に感銘を受けた私にとっては、この映画は非常に残念でならない。がっかりしたを通り越して、宮沢賢治の名前を語った違う宗教に勧誘されたくらいの違和感を覚えた。
ネタバレも含む内容かもしれないので、これから読む人で楽しみにしている人は、この先は読まないでほしいと思う。
というか、これから観るのを楽しみにしている人は、こんな一般人のレビューなど検索して読んではいけない。せめて公式ホームページであらすじと出演キャラのチェックをする程度にしておいたほうが無難だ。
この文章は、映画を観てがっかりしたという人にだけ読んでほしい。
この文章を読んで、「先入観植え付けられた」とか後で文句を言われても、私は一切責任をとらないので、ご了承のほどを。
グスコーブドリの伝記公式ホームページ
http://wwws.warnerbros.co.jp/budori/
※澤 穂希は、オリンピック前にこんなところで余計な仕事してんじゃねーよ、とアクセスしたときに思ってしまった(^^;)。
映画の世界観は、これだけとってみればまあ素晴らしいものだろうとも思うし、映像も違和感を感じる部分はあっても、美しいと思えるものであった。
ブドリの顔がこれほどまでに、声を担当した小栗旬に似ているように感じたのも面白かった。彼の演技やバラエティなどで見るキャラクター性などは好きではないが、この声の淡々とした演技ははまっていたようにも思える。
実際、同じ映画館で見た家族連れの子供は、映画が始まるまではポップコーンの箱をがさがさとしてうるさくしていたのが、映画が進むにつれて静かになり、帰るときには両親にブドリの無事を質問するまでになっていた。
原作を知らない様子の両親は、ブドリが実際どうなったのかを説明できる状況にはなく、笑ってごまかすばかりだったのも印象的ではあったのだが。
大人の中には泣いている人もいた。
テーマとしては感動的だし、現代社会を啓蒙した内容であっただろうとも思う。
しかし、私はその中で一人怒り狂っていた。
この物語を宮沢賢治のお話としてとらえるならば、これは宮沢賢治の物語ではないだろう。
彼が物語の中で語っていた重要性の方向がまったく違うところに存在するし、メッセージも違うものに置き換えられている。
宮沢賢治の時代と違うからとかそういうものではなく、今この時だからこそ「グスコーブドリの伝記」が必要であるということが、まるっきり無視された内容になっているのだ。
ますむら・ひろしの「グスコーブドリの伝記」は、できるだけ宮沢賢治のメッセージを壊さないように細心の注意を払われて作成されているのが、読むと手に取るように解る。それなのに、この映画にはその繊細ささえもぶち壊しているようにしか感じられなかった。
この映画で、ますむら・ひろしのキャラクターを使用する必然がどこにあるのか。
「銀河鉄道の夜」のときと同様に、ますむら・ひろしが今回の映画でも、キャラクターデザインとして採用されている。彼のキャラクターは印象的だし、その特異性から絶対に他の人のキャラと間違えたりすることはない。
すでに公開から20年近い年月が経っている、「銀河鉄道の夜」のイメージを壊さないようにするためなのか。
それとも、「銀河鉄道の夜」にもつなげ、宮沢賢治の世界を広げようと言い戦略か。
その両方なのか。
監督が同じ杉井ギザブローであることや、「グスコーブドリの伝記」の中にも「銀河鉄道の夜」つながるモチーフがちりばめられていることを考えると好意的に受け取りたいが、何か商業的な戦略が見え隠れする。
映画の世界観としては、宮沢賢治やますむら・ひろしの描いた田舎の風景と田舎の地方都市イーハトーブとは異なる。これは映像的にもう少し具体的な世界観を描く必要があるせいもあるから、物語や漫画と違っていても仕方がない部分はあると思う。
だが、どこかレトロ感漂う近未来的世界は、なんだか宮崎駿を意識させ、ブドリの見る夢の世界は「千と千尋の神隠し」みたいだった。
アニメーションは手塚プロが手がけている。
監督 杉井ギサブローが手塚プロを使って宮崎駿の世界をますむら・ひろしのキャラクターで表現したのがこの映画だが、それくらい統一感のない違和感の残る映画だった。
(この夢の世界の監修として、旧友の名前をエンドロールで見つけてびっくりしたが。彼はこのような世界観に使用されることを知っていたのだろうか。映像的にはうまくできていたが。)
原作には映画ではカットされてしまった重要なシーンがいくつもある。
ネリがさらわれた後、家をテグス工場にのっとられたところや、その後のこと。
赤ひげが山師ばった農業を行なった時間感覚。
クーボー博士の講義に出たときに質問された、煙突から出る煙の特徴を語るシーン。
火山局の研究員として活躍するブドリの元に、離れ離れになっていたネリが訪ねていくシーン。
森に行ってしまった両親のその後の情報。などなどなど・・・・
最後の火山のエピソードにしても、ブドリは研究者として非常に勇敢な行動をとるし、ペンネン所長もクーボー博士も決してブドリの考えに耳を傾けなかったわけではない。
原作のラストは、あくまで火山局の職員として、ブドリは行動するのだ。
あれは火山局がイーハトーブの住民のために、総力を決して行動する結果のことであり、火山局がいかに人々の暮らしに密着した存在であるのか。そこで働くブドリが、どれだけ人々のことを考えて日々研究に従事しているのかが表現されているはずなのだ。
名もない研究員が、人々の暮らしを守るために自らの命を呈して、自分の職務を遂行した。それこそが名もない人の伝記としての役割であり、ブドリの救いでもあると思う。
それなのに、この映画のラストだと、ブドリはまるでネリがさらわれてから、ずっと夢の中にいたのではないかと誤解されても仕方がないようにさえ思う。
ブドリの行動が夢ではなかったのだとしたら、ブドリは火山局の職員として上司の意思を無視した行動をとるという、一番やってはならないことをしてしまっているようにも見える。
これでは、ブドリはお世話になったペンネン所長やクーボー博士、火山局のスタッフの人に対して、自らの信念を貫くがために音を仇で返してしまったようにも受け取れる。
ブドリの意思と勇気と、研究者としての決断力が、この映画にはまるで表現されていない。
ネリの無事も確認できず、両親がその後どうなったのかも知らず、ただただ自分の諦念のために、実際に死んだのか生きているのか、夢なのか現実なのかも解らずに最後を迎えるブドリが、これではあまりにもかわいそうだ。
まして、ところどころに宮沢賢治の「雨ニモマケズ」がモチーフとして語られているのだが、その言葉のひとつひとつにとらわれすぎ(例えば「デクノボーと呼ばれ」のところとか)、その詩全体の意味さえもゆがめられてしまっているようにさえ感じる。
これではすっかりブドリはただの「デクノボー」でしかないようにも感じる。
確かに自然環境における人間の無力さなども、この物語のテーマではあると思うが、原作が言いたかったことはそこだろうか。
農業を愛し、自然を愛し、火山を愛し研究してきた宮沢賢治の言いたかったことが、ますむら・ひろしが猫にのせて語りたかったことが、この映画では何も語られない。
百歩ゆずって宮沢賢治の物語を独自の視点でアニメ化したとしたのなら、この物語にますむら・ひろしのキャラクターを使用する必然性は皆無ではないのか?
ますむら・ひろしの世界観をとても好きなものとしては、彼の世界観をこんな形にされて、こんな残念なことはない。
この映画が持つテーマが悪いわけではない。ただ、宮沢賢治が物語を通して言いたかったことが何も伝わらないのなら、せめてこの映画を見た人が宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」を読むきっかけにしてもらえたらいいのにと、切に願うばかりである。
映画を観る前にこの文章を読んでしまった気の毒な人は、せめて宮沢賢治の原作か、ますむら・ひろしの漫画を映画の後でも先でも構わないので、合わせて読んでほしい。
この映画で言っていることだけが、この物語で残すべきことではないことが理解できると思う。
宮沢賢治全集〈8〉注文の多い料理店・オツベルと象・グスコーブドリの伝記ほか (ちくま文庫) [文庫]
グスコーブドリの伝記―猫の事務所・どんぐりと山猫 (ますむら・ひろし賢治シリーズ)/ますむら・ひろし(amazon)
最後にひとつ思ったこと。
グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」は、飢饉のときに親に森に捨てられる。
グスコーブドリとグスコーネリは、飢饉のときに親が森へ行ってしまう。
このような状況下において、子供にとって、親にとって、どちらが辛い判断だろうか。
やっていることは同じなのだが、今の時代の立ち位置から見たならば、ブドリの両親の方が愛情があるように感じられるのだろうなと、なんとなく思った。
◇フンフルトゥ 東京公演 2012 ― 2012年06月29日 04時59分24秒
Huun-Huur-Tu - Live at Porgy and Bess 2010 05 10
13年ぶり、東京三鷹の武蔵野市民文化会館 小ホールにて行なわれた、Hunn-Huur-Tuの東京公演に行ってきた。
フンフルトゥ 日本ツアー2012詳細
http://www.harmony-fields.com/a-huunhuurtu/
私たちは1999年に茨城県つくば市の公演で彼等の演奏を聴いているのだが、以前はスタッフとして会場を飛び回っていたので、席でゆっくり聞くのはこれが初めてだ。
13年前もそうだったのだが、彼等はロシアでも屈指の芸術家であるので、世界中を飛び回っているスーパースターだ。日本であまり知名度が高くないのが、もったいないと思われるくらいだ。
1998年、1999年と同じように、今回の公演も「祈祷」から始まった。
これは本当にいつ聴いても圧巻である。彼等のコンサートのオープニングの定番だが、初めて聴いたときも二度目のときも、そして今回も彼等が一音発した瞬間、身震いするほどの迫力があり、伴奏のないこの歌によって、観客はすっかり彼等の世界に引き込まれてしまうのだ。
演奏された曲は定番の曲が多く、CDなどで馴染みのある耳覚えのある曲ばかり。
一時期は彼等の曲ばかり聞いていた時期があったので、安心して懐かしく聴く事ができた。
つくば公演のスタッフを一緒にやっていたIさんが、兵庫の公演を見た感想をメールしてくれたのだが、「演奏や歌には影響はないものの、カイガルオールは咳をしていて辛そうだった」と言っていた。東京公演でもステージで咳をする姿があり、少し元気がない様子だったのが気になったが、彼女が言うように演奏や歌にはほとんど影響を感じさせなかった。
今回の日本ツアーは、長年トゥバに親交を持ち、トゥバを日本に紹介した第一人者の一人である、等々力政彦氏のプロデュースによるもの。
彼は札幌在住の嵯峨治彦氏と二人の、「タルバガン」という喉歌ユニットのメンバーでもあり、自身もフーメイやトゥバの楽器を演奏する。
1998年と1999年のつくば公演のときに、公演資料を作るために、当時ほとんど知られていなかった喉歌のことについてメールで連絡をとったところ、「コンサートの手伝いをしたい」と当時関西の学生さんだったのに、わざわざフンフルトゥのためにつくばまで出てきたのが彼だ。
手助けをお願いしたのはこちらからだったが、彼の熱意には当時から非常に圧倒され、1998年のときにも楽屋付きのお手伝いをしてくれたし、1999年の公演のときにはつくばの今はなきライブハウス「AKUAKU」でタルバガンによるプレライブが行なわれ、フンフルトゥの公演当日も最後の何曲かを一緒に演奏するという快挙を成し遂げた。
フンフルトゥが世界的なスーパースターであることを考えると、今ではちょっととんでもないことだったとも思ったりする。ビートルズがあまりよく知られていない田舎の土地で公演をしたときに、彼等と友人だからステージで一緒に歌わせろと言っているようなものだからだ。
しかし、友人である等々力氏のステージ参加の申し出に、フンフルトゥのメンバーはとても喜んでいたし、懐の広いつくばのオーガナイザーN氏も非常に面白がっていて、当初苦い顔をしていたのは招聘元の人達だけだった。
しかし1999年の公演は、あの日あった過酷な状況をものともせず、至上最高の演奏であると、その演奏を聴いた人であれば誰もが認めるものとなった。
今回は等々力氏が自ら招聘し、誰に気兼ねすることもなくフンフルトゥをサポートすることができ、感無量であったことだろう。
今回彼は、コンサートの資料を自作し、公演パンフレットもトゥバについて非常に充実した内容で資料として販売し、コンサートの途中で何度かMCとして登場して楽器やフーメイについて説明しており、彼のトゥバ愛をいかんなく発揮しているように見えた。
今回の公演でつくば公演と違っていたところをあげるとしたら、当時の主力メンバーであり主にフーメイ、口琴、二胡のような形の楽器「プザーンチゥ」を担当していたアナトーリ・クーラルに代わり、若いラジク・テュリュシが参加していること。
ラジクもプザーンチゥや口琴を担当し、「ショール」という縦笛も演奏する。
以前はフーメイや歌のパート担当が比較的はっきり分かれていたが、今回はアナトーリがいない分、カイガルオール・ホバルグの担当パートの割合が以前よりも多く感じた。
ラジクもフーメイを担当しているが、アナトーリが以前担当していたパートを、ラジクがそのまま担当するというものではないようだ。
つくば公演では“口琴名人”と言われたアナトーリが主に金属口琴デミル・ホムスを演奏し、彼の超絶技法でもある手離し演奏(口琴の弾くところを口の中に入れ、舌で演奏する技法)も披露され、大喝采を浴びた。
今回は、カイガルオール、ラジクとサヤン・バパの三人がデミル・ホムスを演奏していた。
打楽器担当のアレクセイ・サルグラルは、1998年と1999年は片面の大きなタンバリンのような太鼓(デュンギュル?)を演奏していたのが、今回は冒頭の動画に見られるような大きな両面太鼓を演奏していた。大きな太鼓はあまり記憶にないのだが、つくば公演でも演奏されていたかどうかは不明。ただ、今回は片面太鼓の出番はなかった。
また、彼も一時期は高音のフーメイの曲で、フーメイの種類そのものでもある「スグット」をソロで歌っていた時期もあったのだが、今回カイガルオールの低音フーメイ「カルグラー」は披露されたものの、「スグット」は披露されなかった。
演奏や歌そのものも、やはり以前とは彼等の年齢も体型も違うせいもあるし、パートの変化もあるので、全体の雰囲気は変わったといえる。
しかし、いぶし銀の魅力が加わわり、以前と今回とは比較できないクオリティのステージだったと思う。
悲しい曲も楽しい曲も、彼等のパフォーマンスは素晴らしかったし、全体を通して非常に風景を感じえる内容だったと思う。
ただ一つ口琴だけは、アナトーリの超絶技法をもう一度フンフルトゥの演奏の中で見たかったのだが、こればかりはないものねだりだ。
アナトーリ・クーラルは、フンフルトゥの初期のCDに参加しており、赤いジャケットのCDでは真ん中に写っているフランキー堺によく似た人物だ。
YouTubeにあった2001年のドイツでのステージで、手離し演奏ではないものの、彼の素晴らしい口琴の演奏を確認することができる。
非常に長い動画で、33分50秒くらいからラストまでに口琴が演奏されている。
口琴ファンは、こちらもぜひチェックしていただきたい(音が小さめなので、できるだけ大きな音で聴いてほしい)。
Huun-Huur-Tu: May 18, 2001, Kiel, Germany
http://youtu.be/LGSDk7yCG88?t=33m50s
冒頭のYouTubeの動画は2010年のもののようで、今回の公演の形態に一番近いと思うものを選んでみた。
そうそう、忘れてならない大きな変化は、観客のほうだ。
今回も昔からのフーメイファンや口琴ファンの馴染みの顔が見受けられ、しばらくそのような場に顔を出さなかった私は、非常に懐かしくみなさんに「ご無沙汰しています」と挨拶をした。
昔だったらコンサートが終った後、みんな感極まってロビーでいつまでも喉歌をうなったり、口琴を演奏したり、中には馬頭琴を持参するものもいたりしたのだ。
私がスタッフで参加するようなイベントでも、こちらが「会場閉めますから、速やかに退場ください」と言われなければ動かなかった。
でも、今回そういう人は誰一人としていなかった。
みんな大人になったのだなと、それはものすごく印象的だった。
※今回は等々力氏のプロデュースする公演の記事のため、グループ名、トゥバや喉歌などに関する表記は、等々力氏が推奨する表記に合わせました。 つくば公演当時は、フンフルトゥは「フーン・フール・トゥ」、フーメイは「ホーメイ」と表記しており、今回の公演の表記とは異なりますが同じものを指しています。
◇ザ・ピーナッツ 伊藤エミさんの訃報で思い出すこと ― 2012年06月28日 03時22分35秒
恋のバカンス / ザ・ピーナッツ
ザ・ピーナッツの伊藤エミさんが亡くなられた。
昭和歌謡の全盛期にヒット曲を数多く出していたが、1975年に引退してからはほとんどその消息を聞くことはなかった。
最後に聞いたのは、沢田研二と離婚したというニュースだっただろうか。
当時の歌手の人たちは非常に歌唱力のある人が揃っていたし、彼女達もそのうちの1組である。あの頃はみんなが歌える曲が多かったので、彼女達の曲は今でもとても人気がある。
めったにやらないカラオケだが、「恋のバカンス」は私にも歌いやすいし、特に思い出深い曲でもある。
当時私は知らなかったのだが、ザ・ピーナッツは日本のみならず、海外での人気も非常に高かったようだ。当時は東西に別れていたドイツ両国や、イタリアのみならず、ロシアなどでも人気があったらしい。
ちょうど13、14年前の1998年と1999年に、つくばでHuun-Huur-Tu(今年招聘された際の日本語の表記は、「フンフルトゥ」のようだが、当時は「フーン・フール・トゥ」と表記した。「Huun-Huur-Tu」は英語での表記である)というロシア連邦トゥヴァ共和国のグループがコンサートを行なった。
彼等はホーメイと呼ばれる喉歌の技法とトゥヴァの楽器や口琴などを駆使した演奏で、世界中を回っているスーパースターだ。
私はコンサートの印刷物を作成すると共に、コンサートスタッフとして彼等のお世話をした。
公演前日の夕食を一緒にしたり、コンサート会場から打ち上げ会場までの送り迎えをしたりしたのだが、彼等は車の中でもずっと歌っている。歌っていないときはずっとしゃべっていて、だまっている時間がないほどテンションの高い人たちだった。
車の中で、「こんな歌を知っているか?日本の歌だよ」と言って歌ってくれたのが、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」だった。もちろん彼等はロシア語で歌っているので、歌詞の内容はさっぱりわからないのだが、後でトゥヴァに詳しい方に「ロシアでも数年前に流行して、ラジオでずっと流れていた」と教えてもらった。
打ち上げ会場では、スタッフや彼等をよく知る人たちなどが大勢集まった。そして、「恋のフーガ」をみんなで大合唱したのだ。
後にも先にも、こんな楽しい打ち上げはなかったと思う。
明日は13年ぶりに彼等の生演奏を東京で聞ける機会に恵まれ、コンサートを楽しみにしていたのだ。
13年前にみんなで撮影をしたパーティの写真などを彼等にあげようと、スキャンしたりして準備をしていたりもしたのだ。
そんな中でこの訃報に接し、非常に驚いてしまった。
彼等の住むトゥヴァ共和国は海のない国なので、当時別なスタッフが「海はここから近いのか」「海に連れていってほしいと」せがまれて困ったという話をしていた。
つくばはトゥヴァほどではないけれど山間の土地で、海まで往復する時間はなかったからだ。
それに、1999年の公演当日は、東海村で原発の臨界事故が起きた日でもあった。
あの日に海に行くなど、もってのほかだったのだ。
もちろん世界中を周っている彼等は、今ではいろいろな海を知っているだろうと思う。
でも、YuoTubeで「恋のバカンス」を探しているときに、この湘南海岸や昭和30年代の海岸の様子が映った映像を見つけて、あの日彼等が日本の海を見られなかったから、今回は海を見ることができたらいいのにと思った。
また一人昭和の偉大な歌手が亡くなられたことは、本当に残念でならない。
伊藤エミさんの、ご冥福をお祈りいたします。
Huun Huur Tu - Chiraa-Khoor
Huun-Huur-Tu 2012年日本ツアー
http://www.harmony-fields.com/a-huunhuurtu/
◇ドナ・サマー、ビージーズ ロビン・ギブの訃報 ― 2012年05月22日 15時27分56秒
Donna Summer - Hot Stuff
Bee Gees - Stayin' Alive
昨日、金環日食のブログを書いているとき、ラジオからロビン・ギブの訃報飛び込んできた。
最近のニュースはたいていネットのニュース配信で知ることが多いので、ラジオで最初のニュースを得たことが、なんだか新鮮だった。
その数日前には、1970年代後半のディスコ・ブームを牽引したドナ・サマーが、5月17日に亡くなった。
「昭和は遠くなりにけり」とはよく言うが、昭和の一時代を築いた人たちの訃報が続くと、やはり寂しくなってしまう。
ロビンのニュースはこのちょっと前に、持病が悪化してこん睡状態に陥ったが、数日後に回復したというニュースを見ていた。
1988年にビージーズとは別に活動していた末っ子アンディが亡くなったのは知っていたが、ビージーズのメンバーでロビンの双子の兄弟であるモーリスが2003年に亡くなっていたのは知らなかった。
昔は毎日ラジオで聞かない日はなかったビージーズも、今は遠い存在になっていたのだなと感慨深かった。
歌手として活動していたギブ兄弟のうち、アンディとモーリスが亡くなり、残ったうちのロビンが亡くなり、ビージーズは長兄のバリー一人になってしまった。
ホイットニー・ヒューストンが亡くなったのは、グラミー賞の前日のことで、彼女もその式典にゲストで出場することが決まっていたうちの死であり、その死因も謎に包まれていたりと、なかなかショッキングだったせいか、このニュースはしばらく話題になっていたが、ドナ・サマーの訃報はなんとなくさらりと行過ぎていった感触がある。
彼女のディスコ・ブームの中での活躍は、ホイットニーよりもずっと華やかだったような記憶があるのだが、やはり年月とは残酷なものなのだろうかと思ったりもした。
私が小学生の頃は、ビージーズの曲は毎日ラジオで流れていた。
ディスコ・ブームの火付けともなった「サタデー・ナイト・フィーバー」という映画をきっかけに、主人公のジョン・トラボルタの衣装とポーズは、私の両親さえもが真似をするほど流行したし、映画で使用されたビージーズの曲は、聞かない日がないほどヒットした。
ここで使用された曲は、ディスコチックなリズムにビージーズのファルセットヴォイスが印象的な曲なのだが、私はこの曲が当時嫌いだった。
彼らの粘りつくような高音が、何度も何度も聞いていくうちに、非常に耳障りに感じられたからだ。
特に中心にいたバリーは髭面で、「髭なんかはやしているのに、こんな高音で歌って信じられない~」と、意味不明な理由で嫌っていた。
彼らのファルセットが受け入れられないということから、オフコースも嫌いになったくらいだったので、オフコースにしてみれば小学生女子のファンを自らとは別な理由で失ったのだから、ちょっと迷惑なことだったかもしれない。
黒人風のディスコサウンド風のリズムの中で、黒人風のファルセットを、白人である彼らが歌うという設定も、なんとなく腑に落ちなかった。
曲調も黒人バンドのシックに似ているようにも感じていたし、当時はまだ音楽の中でも黒人差別がはっきりと存在していた時代だったので、そんなことを勉強したての小学生の私は、なんとなく許せないものを感じていたのかもしれない。
The Bee Gees 映画「小さな恋のメロディ」 Melody Fair
そんなビージーズが、1971年の「小さな恋のメロディ」という映画の中で、「メロディフェア」という曲を歌っていたのを知り、その曲を聴いたときはちょっとびっくりした。メランコリックな曲調に彼らの声がマッチして、とても美しい曲だと感じたからだった。
この曲は私の嫌いなファルセットヴォイスでは歌っていないし、彼らのハーモニーがとても美しく、聞きやすかったのだろうと思う。
空前のヒット曲となった「ステイン・アライブ」と「サタデー・ナイト・フィーバー」は嫌いだったが、「メロディフェア」は好きになった。
今聞くと懐かしさの方が先にたっているので、そんなに耳障りには感じられない。当時の時代を象徴する曲であったことは確かだし、嫌いだった曲だけど懐かしい。
ビージーズの曲が空前のヒットで毎日ラジオで流れる中、黒人のディスコクイーンであるドナ・サマーの大ヒット曲「ホット・スタッフ」が北海道のラジオでもかかるようになり、一時ラジオはディスコソング一色になっていく。
ディスコソングがあまり好きでなかった私には、歓迎する状況ではなかったが、ドナ・サマーの曲は好きだった。
当時の黒人女性歌手の多くは、アレサ・フランクリンのようなゴスペル風か、ティナ・ターナーのような力強い歌い方の印象的な人が多く、あまりに力が入りすぎていて、私は苦手だった。
でも、ドナ・サマーの歌は適度に力が抜けていて、とても聞きやすかった。聞きやすいといっても、彼女から黒人シンガーのパワーを感じなかったわけではない。当時、どこか押し付けがましささえ感じていたリキミのようなものが、彼女の歌からは感じられず、楽しく踊る歌というのが一番に感じられて好感が持てた。
当時は、ビージーズ以外はアバやオリビア・ニュートンジョンなどのポップスグループのヒット曲が主流だった。それまで苦手意識がった黒人音楽だったが、ドナ・サマーの登場で、その他の黒人ミュージシャンの曲もラジオで聴くようになった。いわば私の黒人音楽の入門的な人物だった。
1990年代に入り、ダンス・ミュージックの様相が一変するにしたがって、彼女のニュースも耳にしなくなり、そのうちその存在もだんだん薄くなってしまっていたが、彼女がやはり一時代を築いた人物であることは否めない。
彼女が亡くなったことで、あの時代を思い出す人は多いようで、例えマスコミの扱いが淡白だったとしても、人の心の中にはしっかりと根付いているのがネットでわかった。
これも時代の表れなのかもしれないと、やっぱり感慨深くなってしまう。
彼女が亡くなったというニュースを聞いて、彼女の一番のヒット曲「ホット・スタッフ」をYouTubeで聞いてみたら、私はとてつもない間違いに気づいた。
この曲のサビのところの歌詞を、「アイ ニード “マッチョ”」と言っているのだとずっと思っていたのだ(ビデオの1分10秒すぎくらいの箇所)。
当時、マッチョという言葉が流行りだした頃で、そういう要素が入っているのだと勝手に思っていたのだった。これも、小学校高学年~中学生女子の勝手な妄想である。
真実は、この曲のタイトル「HotStuff」と歌っているので、ちょっと考えればわかりそうなものだが、今の今まで気が付かなかったのだから、ちょっと恥ずかしい思い出である。
また、この話を旦那にしたところ、「ホットスタッフってどういう意味だろう」というので、真顔で「熱い従業員」と言って笑われた。それは「staff」でスペル違いである。
ディスコソング「熱い従業員」。踊れないかもしれない。
いろんな思い出を残してくれた彼らに、ご冥福をお祈りいたします。
◇ロジャー・ダルトリー横浜公演「ROGER DALTREY PERFORMS THE WHO'S TOMMY AND MORE」 ― 2012年04月28日 04時09分05秒
「ROGER DALTREY PERFORMS THE WHO'S TOMMY AND MORE」の購入したオフィシャルグッズ。
旅行記の途中だが、ちょっと閑話休題。
The Whoのヴォーカリストロジャー・ダルトリーの単独「TOMMY」完全ライブ「ROGER DALTREY PERFORMS THE WHO'S TOMMY AND MORE」に行ってきた。会場は、神奈川県民大ホール。
ネタバレも少し含むので、これから観るという人はご注意願いたい。
この日は連休前の最後の就業日なので、旦那は定時ギリギリまで仕事である。
私は午前中に病院に行き、午後から少し仕事をして先に横浜に向った。
天気は朝から雨。肌寒く、コートを着るかどうか迷うくらい。
6時30分開場だったが、会場に到着したのは30分ちょっと過ぎ。
チケット持参者の入り口はちょっとだけ列があったが、たいした混雑もなくスムーズに入館できた。
入口の真横、スタッフの目の前で堂々とタバコを吸っているやつがいて、副流煙で喘息の発作を起しかける。
神奈川県の条例では、ここは禁煙区域であり、副流煙が禁煙区域内に流れることも禁止されているはずなのに、横浜県民ホールの職員もUDOのスタッフも見て見ぬふり。「神奈川県民」ホールなはずなのに聞いてあきれる。
チケットのもぎりを通ると、他のコンサートのチラシを渡されたのだが、エイジアと東京のBUNKAMURAで行なわれる女性シンガーのコンサートのチラシ2枚のみ。
今回ギターで参加している、ピート・タウンジェントの実弟のサイモンのニューアルバムの小さなチラシが、申し訳なさそうにホチキスで止められていた。
配布されていた、サイモン・タウンジェントのニューアルバム告知のチラシ。
グッズを買おうとまずCD売り場に行ってみると、だいぶ前に再発されたThe WhoのアルバムとライブDVDのみの販売。TOMMYの公演だから、先日発売された四重人格のスペシャルボックスとかそういうのはないかもとは思ったが、肝心のTOMMYの映画のDVDもない。
チラシにあったサイモンのニューアルバムもない。
あまりのラインナップの少なさにやる気のなさを感じ、軽いショックを受ける。
オフィシャルグッズ売り場も、3列に並ぶようにうながされるが、たいした混雑もなくすぐに購入できた。
今回はオフィシャル・パンフレットの販売もない。
あるのは、今回のロジャーのツアーの開催地の一覧の入ったTシャツや、TOMMYの中の曲名でもある「We're Not Gonna Take It」のTシャツ、TOMMYのロゴ入りトートバッグ、キーホルダーなどが販売されているのみ。
何もないので、Tシャツ2枚とトートバッグを購入したが、Tシャツが一枚4000円(!?)。お金を払うときに、映画の「TOMMY」の中で最初にグッズを放り出したヘルズエンジェルの気分にちょっとだけなった。
男性のトイレ前にホワイエがあり、ワインなどが販売されている。
あらかじめThe WhoのTシャツを着て来ている人もいたが、男性の多くは購入したTシャツに着換える人が多かった。
モッズコートを着ている人が多く、「四重人格じゃなくてTOMMYの公演なんだけどなあ」と、ちょっと違和感を感じたりもした。
そんな中で、リーゼントに革ジャンといういでたちと、襟とポケットカバーがヒョウ柄の革のロングコートを着たテディボーイ風の人がいたりして、こういうところは横浜ならではなのか。
客層は、ほとんどが40代以上と見られる。The Whoのときにもそうだったのだが、たまに70代以上かと思うような方もおられて、しかも女性一人で来ている風な人もいたので、これはちょっと驚く。
客席は2階席に人はなく、一階席もちらちらと空席が目立っていた。
開演はほぼ定刻どおりの7時。
ドラムの前に透明のプラスチックの屏風がある。「The Kids Are Alright」の中でキース・ムーンが「観客が野菜を投げつけ、ロジャーがそれをマイクでぶった切る。ぼくはそれをシンバルで受け止めてドレッシングをかけて、イタリアンサラダの出来上がり」と言っていたのを思い出してしまった。
横浜公演では、「OVERTURE」からぶっちぎりでみんな総立ちになる。
最初はPAが悪すぎ。サイモンもギターの調子が悪いのか、曲の途中でしょっちゅうギターを取り替えていた。
音がやっと安定したのは「I'M FREE」くらいからで、それでも後半ロジャーがハモニカをふいている音は、私の席ではほとんど聞き取れなかった。
どちらかといえば、「TOMMY」の内容よりも「and MORE」の方が良かったように思う。
ロジャーの声は、最初はちょっと疲れているようにも聞こえたが、だんだんと調子を取り戻した感じ。後半の「and MORE」の方が楽しく歌っているようにさえ感じた。
それでも、「従兄弟のケビン」の極悪な歌詞の曲などはトーンを落として歌ったり、映画の中でキース・ムーンが担当した曲は、ちょっと似せて歌っているようにも思えた。
「AMAZING JOURNEY」や「PINBALL WIZARD」、「We're Not Gonna Take It」などで盛り上がるのは、お約束か。 曲調は、オリジナルの曲そのものではなく、どちらかというと映像を意識したアレンジ。
バックに流れるアニメーションも、TOMMYの映画を見たことがない人でもその世界観を感じられるような工夫もされていた。
特に「SALLY SIMPSON」で流れるアニメーションは、なかなか秀悦かもとも思う。
演奏された曲は、たぶんロッキンオン社のブログのライブレポートにある曲順と同じ。
アンコールもなく、予定通り終了したという感じ。
ロジャー自身、TOMMYのアルバムを発表した当時からも、映画でTOMMYを演じた当時からも、ずいぶんと歳を重ねているのだが、歌っている姿を見ていると、ふっと映画の中で見せる笑顔とだぶる瞬間があったりする。
68歳にして27歳の頃の面影を今も保ち、その頃に負けない声量で歌い、しかも体型もまったく老齢を感じさせないのは、この人は本当のパフォーマーなのだと思う。
途中のMCで、横浜に来る途中、工場がたくさん並んでいるのを見て、ロジャーが14歳の頃に工場で働いていたことを思い出したという話をしてくれたことが印象的だった。
それを、サポートメンバーの日本人のギターの人が通訳をしてくれたのだけど、途中だいぶはしょって通訳していたりして、それで笑いを誘ったりと、「and MORE」は非常にアットホームな雰囲気だった。
しかし、当のロジャーがだんだん元気になるのに反して、高齢組の観客は少しづつ手があげられなくなり、揺れも少なくなっていく。
私は肩が四十肩っぽくなって、足はこむら返りを起し、手をたたきすぎて腕が痛くなっている。
予定の曲目を終了し、袖にいったん下がったに見えたが、下がる方向を間違えて退場しなおしたりのハプニングも。もう一度出てきてくれるかと思ったが、すぐに会場の明かりがともされてしまった。
メンバーのうちの半分がいなくなってしまったThe Whoだが、常にサポートしてきたサイモン・タウンジェントが参加していたのと、私の記憶にちがいがなければ2008年の単独来日公演のときに参加したドラマーだったのは、よかったと思う(ザック・スターキーでなかったのはちょっとだけ残念だったけれど)。
ひとつだけ残念なのは、やっぱりペースがどうしても物足りなく感じること。
今回参加したベースも決して下手なわけではないのだが、やっぱりジョンが特殊すぎるのだと思う。こればかりは、ないものねだりなのだけど。
UDO主催のThe Who関連の公演では、2004年オデッセイのときにも、グッズ販売で並ぶ列でデオドラントスプレーを風上で使用する女に思い切りスプレー剤をかけられたり、2008年の横浜公演でも開場を待って並ぶ列の中で、堂々とタバコを吸うやつがいても、スタッフは無視を決め込んだりと、会場で常にひどい目にあってきた。
今回も会場前でタバコをふかすやつは、公演の前後で出入り口正面に存在していたが、まったく気にかけるそぶりもない。
喫煙場所を設けていたらしいが、その場所が他の客に影響があるのであれば、それはすでに配慮ではない。完全禁煙してほしいというわけではないが、せめて神奈川県の禁煙の条例に沿った措置をしてほしいと思う。
それに、パンフレットがなければせめてサポートメンバーの紹介や。曲目が決まっているのならその紹介を、ワープロプリントでもいいから用意するのが客への礼儀じゃないかとさえ思ったりした(公演のチラシさえもらえなかった)。
2年おきにUDOの催しに参加する度に同じような嫌な思いをするのだから、これはもう主催者に客に気持ちよく来てもらいたいという努力がないものと判断するしかないだろう。
客席には70年代ばりの警備員が配置され、ちょっとでも通路にでようものならすぐに飛んできて客席に戻るよううながされる。「SALLY SIMPSON」じゃあるまいし、「We're Not Gonna Take It」という気分。
もう二度とUDO主催の公演は行きたくないと思うが、いつも公演自体は最高なので、やっぱり次のThe Who関連の公演がUDOの主催でも、足を運んでしまうのだろうなと思った。それだけがちょっと残念で悔しい。
入りの悪かった客席でも、最大限のサービスを見せてくれたロジャー達が気の毒だとも思った。
追記: ロッキンオン社のブログの記事を見ていたら、こんな記事があって笑った。
実現したら、すごいだろうなあ。
「英オリンピック委員会、故人のキース・ムーンにオファー?」
旅行記の途中だが、ちょっと閑話休題。
The Whoのヴォーカリストロジャー・ダルトリーの単独「TOMMY」完全ライブ「ROGER DALTREY PERFORMS THE WHO'S TOMMY AND MORE」に行ってきた。会場は、神奈川県民大ホール。
ネタバレも少し含むので、これから観るという人はご注意願いたい。
この日は連休前の最後の就業日なので、旦那は定時ギリギリまで仕事である。
私は午前中に病院に行き、午後から少し仕事をして先に横浜に向った。
天気は朝から雨。肌寒く、コートを着るかどうか迷うくらい。
6時30分開場だったが、会場に到着したのは30分ちょっと過ぎ。
チケット持参者の入り口はちょっとだけ列があったが、たいした混雑もなくスムーズに入館できた。
入口の真横、スタッフの目の前で堂々とタバコを吸っているやつがいて、副流煙で喘息の発作を起しかける。
神奈川県の条例では、ここは禁煙区域であり、副流煙が禁煙区域内に流れることも禁止されているはずなのに、横浜県民ホールの職員もUDOのスタッフも見て見ぬふり。「神奈川県民」ホールなはずなのに聞いてあきれる。
チケットのもぎりを通ると、他のコンサートのチラシを渡されたのだが、エイジアと東京のBUNKAMURAで行なわれる女性シンガーのコンサートのチラシ2枚のみ。
今回ギターで参加している、ピート・タウンジェントの実弟のサイモンのニューアルバムの小さなチラシが、申し訳なさそうにホチキスで止められていた。
配布されていた、サイモン・タウンジェントのニューアルバム告知のチラシ。
グッズを買おうとまずCD売り場に行ってみると、だいぶ前に再発されたThe WhoのアルバムとライブDVDのみの販売。TOMMYの公演だから、先日発売された四重人格のスペシャルボックスとかそういうのはないかもとは思ったが、肝心のTOMMYの映画のDVDもない。
チラシにあったサイモンのニューアルバムもない。
あまりのラインナップの少なさにやる気のなさを感じ、軽いショックを受ける。
オフィシャルグッズ売り場も、3列に並ぶようにうながされるが、たいした混雑もなくすぐに購入できた。
今回はオフィシャル・パンフレットの販売もない。
あるのは、今回のロジャーのツアーの開催地の一覧の入ったTシャツや、TOMMYの中の曲名でもある「We're Not Gonna Take It」のTシャツ、TOMMYのロゴ入りトートバッグ、キーホルダーなどが販売されているのみ。
何もないので、Tシャツ2枚とトートバッグを購入したが、Tシャツが一枚4000円(!?)。お金を払うときに、映画の「TOMMY」の中で最初にグッズを放り出したヘルズエンジェルの気分にちょっとだけなった。
男性のトイレ前にホワイエがあり、ワインなどが販売されている。
あらかじめThe WhoのTシャツを着て来ている人もいたが、男性の多くは購入したTシャツに着換える人が多かった。
モッズコートを着ている人が多く、「四重人格じゃなくてTOMMYの公演なんだけどなあ」と、ちょっと違和感を感じたりもした。
そんな中で、リーゼントに革ジャンといういでたちと、襟とポケットカバーがヒョウ柄の革のロングコートを着たテディボーイ風の人がいたりして、こういうところは横浜ならではなのか。
客層は、ほとんどが40代以上と見られる。The Whoのときにもそうだったのだが、たまに70代以上かと思うような方もおられて、しかも女性一人で来ている風な人もいたので、これはちょっと驚く。
客席は2階席に人はなく、一階席もちらちらと空席が目立っていた。
開演はほぼ定刻どおりの7時。
ドラムの前に透明のプラスチックの屏風がある。「The Kids Are Alright」の中でキース・ムーンが「観客が野菜を投げつけ、ロジャーがそれをマイクでぶった切る。ぼくはそれをシンバルで受け止めてドレッシングをかけて、イタリアンサラダの出来上がり」と言っていたのを思い出してしまった。
横浜公演では、「OVERTURE」からぶっちぎりでみんな総立ちになる。
最初はPAが悪すぎ。サイモンもギターの調子が悪いのか、曲の途中でしょっちゅうギターを取り替えていた。
音がやっと安定したのは「I'M FREE」くらいからで、それでも後半ロジャーがハモニカをふいている音は、私の席ではほとんど聞き取れなかった。
どちらかといえば、「TOMMY」の内容よりも「and MORE」の方が良かったように思う。
ロジャーの声は、最初はちょっと疲れているようにも聞こえたが、だんだんと調子を取り戻した感じ。後半の「and MORE」の方が楽しく歌っているようにさえ感じた。
それでも、「従兄弟のケビン」の極悪な歌詞の曲などはトーンを落として歌ったり、映画の中でキース・ムーンが担当した曲は、ちょっと似せて歌っているようにも思えた。
「AMAZING JOURNEY」や「PINBALL WIZARD」、「We're Not Gonna Take It」などで盛り上がるのは、お約束か。 曲調は、オリジナルの曲そのものではなく、どちらかというと映像を意識したアレンジ。
バックに流れるアニメーションも、TOMMYの映画を見たことがない人でもその世界観を感じられるような工夫もされていた。
特に「SALLY SIMPSON」で流れるアニメーションは、なかなか秀悦かもとも思う。
演奏された曲は、たぶんロッキンオン社のブログのライブレポートにある曲順と同じ。
アンコールもなく、予定通り終了したという感じ。
ロジャー自身、TOMMYのアルバムを発表した当時からも、映画でTOMMYを演じた当時からも、ずいぶんと歳を重ねているのだが、歌っている姿を見ていると、ふっと映画の中で見せる笑顔とだぶる瞬間があったりする。
68歳にして27歳の頃の面影を今も保ち、その頃に負けない声量で歌い、しかも体型もまったく老齢を感じさせないのは、この人は本当のパフォーマーなのだと思う。
途中のMCで、横浜に来る途中、工場がたくさん並んでいるのを見て、ロジャーが14歳の頃に工場で働いていたことを思い出したという話をしてくれたことが印象的だった。
それを、サポートメンバーの日本人のギターの人が通訳をしてくれたのだけど、途中だいぶはしょって通訳していたりして、それで笑いを誘ったりと、「and MORE」は非常にアットホームな雰囲気だった。
しかし、当のロジャーがだんだん元気になるのに反して、高齢組の観客は少しづつ手があげられなくなり、揺れも少なくなっていく。
私は肩が四十肩っぽくなって、足はこむら返りを起し、手をたたきすぎて腕が痛くなっている。
予定の曲目を終了し、袖にいったん下がったに見えたが、下がる方向を間違えて退場しなおしたりのハプニングも。もう一度出てきてくれるかと思ったが、すぐに会場の明かりがともされてしまった。
メンバーのうちの半分がいなくなってしまったThe Whoだが、常にサポートしてきたサイモン・タウンジェントが参加していたのと、私の記憶にちがいがなければ2008年の単独来日公演のときに参加したドラマーだったのは、よかったと思う(ザック・スターキーでなかったのはちょっとだけ残念だったけれど)。
ひとつだけ残念なのは、やっぱりペースがどうしても物足りなく感じること。
今回参加したベースも決して下手なわけではないのだが、やっぱりジョンが特殊すぎるのだと思う。こればかりは、ないものねだりなのだけど。
UDO主催のThe Who関連の公演では、2004年オデッセイのときにも、グッズ販売で並ぶ列でデオドラントスプレーを風上で使用する女に思い切りスプレー剤をかけられたり、2008年の横浜公演でも開場を待って並ぶ列の中で、堂々とタバコを吸うやつがいても、スタッフは無視を決め込んだりと、会場で常にひどい目にあってきた。
今回も会場前でタバコをふかすやつは、公演の前後で出入り口正面に存在していたが、まったく気にかけるそぶりもない。
喫煙場所を設けていたらしいが、その場所が他の客に影響があるのであれば、それはすでに配慮ではない。完全禁煙してほしいというわけではないが、せめて神奈川県の禁煙の条例に沿った措置をしてほしいと思う。
それに、パンフレットがなければせめてサポートメンバーの紹介や。曲目が決まっているのならその紹介を、ワープロプリントでもいいから用意するのが客への礼儀じゃないかとさえ思ったりした(公演のチラシさえもらえなかった)。
2年おきにUDOの催しに参加する度に同じような嫌な思いをするのだから、これはもう主催者に客に気持ちよく来てもらいたいという努力がないものと判断するしかないだろう。
客席には70年代ばりの警備員が配置され、ちょっとでも通路にでようものならすぐに飛んできて客席に戻るよううながされる。「SALLY SIMPSON」じゃあるまいし、「We're Not Gonna Take It」という気分。
もう二度とUDO主催の公演は行きたくないと思うが、いつも公演自体は最高なので、やっぱり次のThe Who関連の公演がUDOの主催でも、足を運んでしまうのだろうなと思った。それだけがちょっと残念で悔しい。
入りの悪かった客席でも、最大限のサービスを見せてくれたロジャー達が気の毒だとも思った。
追記: ロッキンオン社のブログの記事を見ていたら、こんな記事があって笑った。
実現したら、すごいだろうなあ。
「英オリンピック委員会、故人のキース・ムーンにオファー?」
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