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◇英断するも後悔先にたたず2020年04月19日 05時55分48秒

この3月の初めに、あくまでも個人的な用事で2週間帯広へ帰省する予定だった。
いろいろなことに出会うため、相手と場所と交渉し、日程を調整して楽しみにしていた。
自分だけの用事で帰省することは、結婚してからはほとんどなかったので、本当に楽しみにしていた。

新型コロナの騒ぎが一般的になったのは、2月の始め頃だっただろうか。
ここ20年くらいは自宅で仕事をしていたのに、心機一転外に仕事を求め、2月からバスと電車で通勤していた。
職場には外国人もいて、花粉や風邪の季節ということもあり、咳やくしゃみをしている人も多い。
当初は若い人は症状がでにくく、老人に感染すると重篤化しやすいといわれていた。
自分が陽性かどうか判断がつかない中、実家に帰って年老いた母や周辺の老人に移すかもしれないという危機感がぬぐえなかった。

母と妹は、もし感染するとしたら私がいてもいなくても関係ないだろう。
私から感染するのならそれはそれと言っていた。
しかし、その他に約束していた人は、年齢が高い人が多かったせいかキャンセルされた。
35年ぶりに会う約束をしていた友人だけが、気にしないので来たらいいと言ってくれていた。
当初帯広は1名の感染者が報告されているだけで、母も友人も対岸の火事を見るような雰囲気だった。

北海道は、2月の終わりに日本で最初に緊急事態宣言が発令され、北海道行きの飛行機が飛ばないのではないかという噂がたった。
約束をしていた友人も、はっきりは言わないものの、日を追うごとに難色を示すようになってきた。
妹に相談し、本音としてはやはり心配だということで、私は3月の帰省を断念した。
帰る口実も理由もなくなってしまったからだ。

あれから1か月半。
コロナの猛威はすでに国をゆるがす大事になっている。
東京の知人が3月の始めに帯広入りしたときは、自分は感染しないようなことを言っていた。
しかし、いざ首都圏に具体的な危機感が走り出した途端、毎日のようにFBに危機を煽る記事を引用するようになった。

無理をしても、口実なんてなくても、3月の始めに帰ればよかったのかもしれないと、頭の片隅で自問する。
少なくとも、友人に会うだけでもよかったじゃないかと思う。
ずっと会いたくて、やっと再会にこぎつけた人だった。
私がいかないことを告げた後、理由は別にあったのかもしれないが、なんとなく距離をおかれて疎遠になってしまった。もう会うこともないだろう。

例えウイルスの蔓延が収束したとしても、感染のリスクが収束するのはまだ先の話だろう。
特効薬の臨床が進んでいるとはいえ、今後私が実家に帰ることができるのは、たぶん数年後のことだろう。
11月には父の三回忌がある。
母は出席できなくても気にしなくていいと言っているが、あれだけ長女だからと言われて育ったのに、父の三回忌にその責任を果たせないだろうことが、母の簡単な言葉ではぬぐい切れないほど無念でならない。

テレビでは、ベルリンの壁崩壊のドキュメンタリーをやっている。
私はまるで、ウイルスという壁にはさまれて会いたい人に会えないベルリン市民のようだと思った。
気分転換に映画館に行ったり、美術館や博物館に行くこともできない。
楽しみにしていた上映や企画展は、会期中誰も足を運ばないまま終了している。
大昔、ペストが流行したときには、経済の変化に伴い常識も大きく変化した。
誰もが楽しみを謳歌し気軽に移動する時代は、この3月で終了したのかもしれない。

そんなことしか考えられないほど、現在の私の中の絶望は大きい。

◇カフカの「変身」を改めて考える2020年04月01日 19時54分16秒


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カフカの「変身」を読んだのは、中学生の頃だっただろうか。
小難しい小説が好きな頃だったが、「変身」は思ったほど小難しい小説ではなかった。
内容はいたって簡単だが、そこに内在している“感情”は簡単なものではなかったと、今でも思う。

最近になって、カフカの「変身」について調べていたら、5年前のこんな記事を見つけた。

exciteニュース
「新訳でびっくり。カフカ『変身』の主人公は、本当に「毒虫」に変身したのか」
米光一成
2015年4月8日 10:50
https://www.excite.co.jp/news/article/E1428432525544/

冒頭の主人公の身の上におきたショッキングな出来事が、実はこれまで私たちが思っていたものとは少し違うのではないかという記事である。

グレゴールが朝起きて自分の身に感じた変化が、実は虫ではなかったら。

私たちはずっと、彼が虫に変身したのだと思っていた。
いつもと違う身体の変化と、いつも通りに生活を始めようとする主人公の感覚とのギャップ。
そして、それを目にして恐れおののく家族の反応。

日本語に訳された小説の中では、グレゴールが虫になってしまったために、身体の感覚を推し量りながら生活をする描写がいくつも出てくる。
触覚の感触を発見し、位置が変わり増えてしまった足の動かし方を工夫する描写も生々しい。

しかし、それが虫ではなかったら。

私はカフカの「変身」を、山下肇訳・岩波文庫で読んでいる。
それは何度も何度も繰り返し読んだもので、私の中の「変身」は山下肇訳で固定されている。
しかし、この記事が書かれて5年も経ってはいるものの、私の興味をひくには十分すぎるものだった。

5年前に新訳された多和田葉子訳では、グレゴールが変身したものは原書にある「Ungeziefer/ウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)」と訳されているらしい。
Ungezieferを自動翻訳にドイツ語→日本語で訳してみたところ、いくつかの翻訳サイトでは「害虫」と出てくるのだが、exciteなどでは「バグ」とでてくる。 試しにドイツ語→英語で訳してみると、UngezieferはBugsと出てくる。
コンピュータ用語の「バグ」も、もともとは「虫」である。

これについて私は、「バグ」について考えた。
個人的感覚ではあるが、「バグ」という言葉には、「正しくない」というニュアンスを感じる。大きなものの中の小さな何か(虫)が原因で、全体的な狂いが生じるという感じ。
朝起きて虫になっているのと、身体にバグ=正しくない変化が起きているのとでは、感覚的に大きな違いがある。
人間、ある程度の年になってくると、身体のバグなどしょっちゅう経験する。まして、グレゴールのようにストレスにさらされた毎日を送っていれば、朝起きて身体にバグがあることなど珍しいことでもないよう気持ちになってしまう。
しかし、もしグレゴールの身に「虫になるくらい大きなバグ」が起こっていたのだとしたら。

それを夫と話したところ、夫は以前浮世絵の展示にあった、江戸時代の病気=お腹の虫を思いだしたらしい。
江戸時代の病気は、お腹にいる「虫」が悪さをしていると考えられていたようで、その手の書籍がかわいい。

和楽 日本文化の入り口マガジン
このゆる?い虫たちが病気の原因? 戦国時代の医学書が可愛いすぎるってウワサ
https://intojapanwaraku.com/culture/51691/


事実、日本語には身体の調子が悪いときに「虫」がでてくる言葉がたくさんある。
1568年に作られた「針聞書(はりききがき)」という本には、そのような身体の虫がたくさん出てくる。
人間の身体は虫によってコントロールされ、虫によって体調も悪くなれば機嫌も悪くなるのだというものだ。

この考え方でいうと、グレゴールは虫によってひどい病気になってしまい、その姿を見て勤め先の支配人も、家族さえも近寄りがたい存在になってしまったのではないか。
昔は寄生虫の影響で人間の姿が変わったりすることもある。
そうなるとグレゴールの変身は、あながちありえない話でもないのだろうか。

姿かたちはかわらなくとも、今このときに世界中が震撼している新型コロナウイルスへの罹患を家族が知ったとしたら、この時代であればあるうる反応なのではないかとさえ思ってしまう。
自分たちへの影響、世間体、家族一人の病気のためにさまざまな困難を背負う可能性を示唆している。
そんな想像がかりたてられてしまう。

私はまだ、新訳の多和田葉子訳のものを読んでいない。
多和田葉子訳を読むにあたり、もう一度山下肇訳を読んでいる。
私の勝手な想像は別にして、今まで考えていたグレゴールと新しいグレゴールはどのように違うのか。
久しぶりにわくわくして本を読んでいる。

◇新型コロナウイルスで2020年03月13日 00時04分51秒

ここ一か月のニュースは、新型コロナウイルスばかり。
イベントはもちろん、ふだんの生活にまで支障が出る状況に、世界中が対応し、翻弄され、株価も一気に急降下している。
各国政府の対応が正しいのか否か、たぶんジャッジがくだるのは数年先の話。
今はこの状況に冷静に対処する姿勢が必要だと感じる。
不安なのは自分だけじゃなくて、たぶん世界中の人が不安。
個々が騒いだからといって、この不安から逃げられるわけでもないことだけは自明の理かと。

◇キース リチャード タバコをやめる2020年02月08日 02時47分17秒


ローリング・ストーンズのキース リチャーズといえば、タバコをくわえてステージに立ち、ギターを演奏する姿がトレードマークのようなものだった。
少なくとも、私はそんな印象をもっていた。
そのキース リチャーズがタバコをやめたというニュース。
もうタバコがかっこいい時代は終わりをつげた。
ロックのアイコンも、いまやタバコは除外される世の中を歓迎したい。

◇携帯電話のコールバック2019年09月18日 13時38分26秒

昨年(2018年)の11月に父が亡くなった。
父が亡くなってからしばらくの間は父の携帯電話をそのままにしていたのだが、死亡証明などの書類の有効期限が失効されるのを懸念し、亡くなって2か月ほどで解約した。

その後、私も携帯を変えるなどしたので、アドレス帳の整理をしていたときのこと。
間違えて父の携帯に電話をしてしまったのだ。
解約してすぐの頃は、「おかけになった電話番号は現在使われておりません」とアナウンスされていた。
しかし、父の携帯を解約して半年以上が経ったこの時、父の携帯番号は普通に呼び出し音が鳴った。
驚いてすぐに電話を切ったのだが、電話の向こうの人は律儀にコールバックしてきたのだ。

「もしもし?」という声は比較的若い男性の声だったが、それは当然の父の声ではない。
向こうも見知らぬ番号から電話がきたのでコールバックしたけど、私が誰だかわからないので、それ以上の言葉は発しない。
父の番号からかかってきた父ではない男性の声に、どのように対処していいのかわからなかった私は、「○○さん(旧姓)のお電話ですか?」と聞いてしまった。
相手は少し警戒した感じで「違います」と返事をしたので、「大変申し訳ございませんでした」と謝罪して電話を切った。

携帯電話が普及し始めた頃は、解約したばかりのときは間違って電話をしてしまう場合があるので、携帯電話の番号は最低でも3年間あけるという話だった。
しかし、携帯電話の普及で番号の割り当てが足りなくなり、今では半年足らずで別なユーザーに割り当てられるようだ。
半年くらいであれば、それが周知されていなければ別な人に電話をしてしまう可能性は大きいだろうと思う。
商用で使っていたものだったら、そういう間違い電話も多いのではないかと思ったりもする。

母にこのことを話すと、妹も少し前に父の携帯に電話をしてしまい、呼び出し音が鳴ったので驚いたらしいという話をしていた。
私の電話の着信履歴には、父の死から数か月して父から電話があったことになっている。
父にこの話をしたら、「俺の番号はいい番号だからな。すぐに貰い手がつくだろうな」と笑いながら言ったような気がする。

いずれにしても、父の番号を現在使用している方には、大変失礼なことをしてしまって申し訳ない。
妹が電話をしたときにコールバックがあったかどうかは知らないが、少なくとも私がかけてすぐにかけ直してきたことを考えると、商用の電話なのかもしれない。
ただ、電話の相手は「もしもし」としか言わなかったので、やっぱり個人用の電話なのだろうか。

父は私が電話をして出られなかったとしても、必ずかけ直してきてくれた。
それは病院に入院しているときでもそうだった。
病室では通話禁止だったので、決まった場所でしか通話ができなかったのだが、多少具合が悪くても時間がかかっても必ずその場所に移動してコールバックしてくれた。
父の番号の今の持ち主も、知らない番号からかかってきてもかけ直してくれるような律儀な方のようで、そういうところは父に似た気質の持ち主なのかもしれないと勝手な想像をしたりする。

◇コーヒーが飲めない2018年10月21日 01時58分18秒

最近コーヒーが飲めない。
いや、飲もうと思えば飲めるし飲んでもいるのだが、飲むと後で必ず気持ち悪くなるのだ。
作り置きのまずいコーヒーでも、自家焙煎で入れたてのおいしいコーヒーでもかわらない。
飲んだときにはおいしくても、少しすると胃がむかむかしてきて、下手をすると吐いてしまう。

今年は暑さですっかり胃をやられていて、秋になってすっかり身体が弱っているのを感じる。
いきつけの病院の医師は、それはあなただけではないから安心しろと言う。

みんながそうだからって、身体の不調は安心できるものでもないと思うのですが、せんせい。

◇平成30年北海道胆振東部地震を関東で感じる2018年09月08日 04時51分39秒

平成30年北海道胆振東部地震で被災されたみなさま、お見舞い申し上げます。

地震のあった9月6日の午前3時頃、私はまだ起きていてネットで北海道で地震のあったことを知った。
被災してまだ日が浅く、まだまだ余震の恐怖する状況の中で、この二日間は電気と通信に振り回されることになる。
この広い北海道で、なぜ一局の発電所のシステムダウンが、地震の被害のない地域まで巻き込む状況になるのか。
停電は地震の揺れがほとんど感じないくらいだった稚内にまで及び、NTTの電話回線と携帯回線は停電のためにサーバダウンし、北海道は全域で通信不可能な状況になった。
札幌などの一部の地域では通信して情報を得ることができたようだが、9月6日と7日はほとんどの人が情報を得るためにラジオなどを利用することになったようだ。

稚内などは、岬に沿ってたくさんの風力発電機があり、この発電で稚内全域の電力をまかなうことができるのだが、そのほとんどが町の役に立っていない事実を先日知った。北海道電力が売電に応じないというのがその理由らしい。
ほくでんとしては、安定した送電のためにシステムを統一したいというのがその理由で、風まかせ、太陽まかせの自然発電では心もとないというなのだろう。
稚内の風力発電しかり、十勝のメガソーラーシステムしかり、東日本大地震の後に自然発電への意識が高まりそのシステムづくりが急務とまでいわれていたのに、その教訓がまったく活かされていない事実に呆然とするばかりだ。

私は6日の早朝5時過ぎに、父の携帯に安否の電話を入れた。
その時はまだdocomoの回線は正常につながっていたが、停電はしてる様子だった。
8時頃にもう一度母の携帯に電話をしたときが、その日両親と話した最後になった。
停電によるサーバダウンで、帯広は6日の午前中にはほとんどの通信がない状態になった。
両親のいる地域では7日の午後7時まで電気も通信も遮断された状態になり、まったく連絡がとれない状況だった。
札幌の義妹のところも6日と7日の7時半くらいまで停電だったが、携帯の通信はできている様子で、定期的にLINEで様子を教えてくれた。
どちらも上下水道が使える状況だったのが、まだよかった。

7日の早朝には妹から携帯で電話があり、帯広市内でも通信ができる地域とできない地域があるようだと知らせてくれた。
稚内の夫の従姉からも携帯で電話があり、停電はしているがやっと通信ができるようになったと教えてくれた。どちらもNTTの電話はつながらないと言っていた。
10時になる前に、帯広のあちこちから携帯を経由して連絡がとれ少し安心する。

6日の時点で、遅い夏休みで江差方面に遊びに行っていた友人が、9時間かけて帯広に戻ってきたと知った。
函館方面から帯広に移動するには、よほどの遠回りをしない限り震源地に近いところを通らなくてはならない。友人が帰宅できたことで、少なくとも西と東が分断されている状況ではないことを知り、物流が復旧しても今の状態を維持できているなら、遮断されることはないだろうと少し安堵した。

◇26年ぶりに友達に会い、原点に帰る。2018年05月29日 05時27分03秒

プリンアラモード

プリンアラモードと珈琲。メニューが岩波文庫の表紙になっている。

先日、26年ぶりに学生時代の友人に再会した。
ずっと年賀状では「今年こそ会おう」とお互いに書いていたのだが、実現できなかった。

学校のあった御茶ノ水駅で待ち合わせをする。
私は少し早く着いたので、学生時代によく通った店などチェックする。
聖橋口で待ち合わせたのだが、昔JRの駅を出てすぐに見えていたはずのニコライ堂が見えない。
駅前には大きな商業施設がいくつもあって、面影があるのはJRの駅くらい。
ニコライ堂を探してみたら、ビルの陰にすっかり隠れてしまい、まるで札幌の時計台のようだった。

30年ぶりに会った友人は、それなりに年はとったものの、昔の面影そのままで変わらない印象。
あちらも私を見て第一声が「変わらないねぇ」だった。
お互いおばさんになったのは、言わない約束である。

ランチをして、御茶ノ水橋交差点から水道橋へ坂を下っていく。
神田川の文京区側の建物はあまり変化がないように見えるが、線路の千代田区側はすでに私達の知っている建物ではないような気がしてならない。
一本中に入ったところにあるアテネフランセなどは変わらずそこにあるが、病院や研究所の建物など微妙に違って見える。
私達が通った学校もすっかり古くなり、一番通った水道橋の別館も今はもうないと聞いた。
あの頃は東京ドームもまだ後楽園球場の頃で、マイケル・ジャクソンが後楽園球場で初来日ライブをやるというときは、学校の屋上までその喧騒が響いていた。

神田川沿いをてくてく水道橋まで降りて行き、神保町まで歩いて行く。
天ぷらの「いもや」が店じまいをしたと聞いていたが、看板がまだあちこちに残っているので確認したら、やはり平成30年3月いっぱいで閉店したと貼紙があった。
水道橋から神保町までの道は、昔は中古レコード屋がたくさんあったエリアだったが、いまやよくある食べ物屋ばかりが軒を並べ、中古レコード屋はぽつぽつと有名老舗が数軒残っている。
大正時代から続く「奥野かるた店」は未だ健在で、私はここで旅行用の小さなバックギャモンを購入して今も持っている。
もともとは文字通りかるたの店だったのだが、今はかるたやカードゲーム、希少なボードゲームなどが売られている。
ウォールナッツのバックギャモンのセットが店頭にあり、あやうく買いそうになってしまう。

神保町交差点までくると、正面にあるはずの岩波ホールが丸ごとなくなっていて、その角にはスーツ屋があり、みずほのATMがあり、ブックカフェがあった。


岩波文庫表紙

ブックカフェは本屋の中に静かな喫茶店があるというもの。テーブルの上のメニューが岩波文庫の表紙と同じデザインなので、岩波書店のカフェなのだろう。
プリンアラモードやパフェなど、昔の喫茶店で馴染みのスイーツがメニューにある。
プリンが食べたかったので、私はプリンアラモードと珈琲、友人はチョコパフェに珈琲を注文した。

毎日のように通った御茶ノ水駅や水道橋駅、神保町の街並は、お店の顔は変わったけれど、学生の街という雰囲気はそのままなような気がする。
おばさんが2人、懐かしそうに通りのあの店はどうだった、この店はどうだったといいながら歩き、古い街角で懐かしいスイーツを食べながら、昔のこと、今のこと、これからのことを話した。

彼女は、私の結婚式に出席してくれてはいるが、こんな風に会ってゆっくり話すこと自体は30年ぶり。
学生当時に留学生だったYさんと今でも交流があると言っていた。
子供も独立して、今は自分自身の悩みと向き合っている。
負けず嫌いで頑固な彼女が見せる、久々の弱気な顔。
最初に再開したときの笑顔も、今の境遇を愚痴るつもりが真剣な話になってしまい弱気な顔も、本当に変わっていないのだなあと思う。
ただ変わったのは、昔は漠然とした悩みだったのが、今は具体的な悩みであることくらいだろうか。

老舗の中華料理屋で注文しすぎて満腹中枢はちきれる中で、次の再開を約束し都営新宿線と三田線が分かれるところで彼女と別れた。
神保町、九段下は、東京で本格的にやりたい仕事を始めた街だ。
学校時代の授業も、御茶ノ水の本館ではなく、神保町に近い今はない別館が多かった。
お腹がすけばいもやで500円の天丼か天ぷら定食をかきこみ、キッチンジローで今はきっと食べきることもできない洋食の定食を食べ、日本でもまだ数少なかった回転寿司で先輩と皿の数を競ったりもした。
紙を買うにはすずらん通りの裏に行き、写植を頼みに馴染みの写植屋に行って出されたお茶でさぼったりもした。

懐かしい友人が、今は子供のことより長く続けた仕事のことで悩んでいる。
私もこの年になって、今のこの中途半端な状況を悩んでいる。
バブル目前のあの頃も、このままここで自分ができる仕事などあるのだろうかと悩んだりした。
とりあえず、食べられることが幸せだと思った。
にっちもさっちもいかなくなって、地元に戻ろうと思ったこともある。
結婚した相手も北海道の人で、なんとなく結婚してもまだ北海道に帰ることがあるかもしれないと思いながら過ごした。

26年ぶりの友達に会って、原点の場所でなんとなく、自分はそれでもここにいるんだなあと、そんなことを思いながらあの頃とはまるで反対方向の家路についた。

◇クモの巣退治2018年05月23日 04時12分51秒

わが家の表札とインターホンがくっついている門柱があるのだが、そこはかっこうのクモの巣エリアだった。
とってもとっても、夜のうちにクモは毎日巣を張る。
夕方にとって夜中に見ると、もう再興されているのだ。

クモは家を守ってくれる益虫だと思っているので、むやみに殺したりはしたくない。
それに、ここにいる一匹を殺したところで、また違う一匹がやってくるのだろう。
街燈の下の虫が集まる、巣の張りやすいかっこうの場所なのだろうから。

それでも、わが家のインターホンを使う人にとってはたまったものではない。
訪れた家のインターホンに、堂々とクモが巣を張っていたら、私だっていやだ。
クモの巣をほうきで毎日とっていると、そこにいるクモもなじみになってくる。
巣の真ん中にいるところに息をふきかけると、サササッと隅に隠れるのもかわいらしく思えなくもない。
それでも、クモにいつまでも居ついてもらっては困るのだ。

そこで、断腸の思いでクモの巣撃退スプレーなるものを購入してみた。
ホームセンターで聞いてみると、殺虫剤にシリコンがまじったものだと説明された。
うちのポストと表札の枠はアルミなのだが、夫はアルミにシリコンスプレーをかけることに反対をした。ものによっては腐食するからと言うのだ。
しかし、外に野ざらしになっているものなのだから、それなりの加工はされているはずだろう。何よりクモの巣と毎日戦っているのは私なのだ。嫌ならクモの巣係は夫にやってもらうと言うと、すんなり購入に同意した。


購入したのはアース製薬のクモの巣消滅ジェット 450mL
正直、こんなものきくのかなと思いつつ、門柱とポストのすきま、表札、インターホまでたっぷりかけた。インターホンはさすがに直接かけるのはためらったので、布に含ませて塗布した。
スプレーして3日経ったが、クモの巣どころかクモ一匹見かけなくなった。蛾などの虫も心なしかいなくなったような気がする。
おそるべしクモの巣消滅ジェット。

さすがにスプレーするときは、そこにいたクモをほうきではらって、スプレーが直接かからないようにした。
クモも悪気があってそこに巣を張っていたわけではないし、なんとなく馴染みになってしまうと、追い出すことも悪い気がしてしまう。

それにしても、ここに越したばかりの頃は、インターホンに顔を近づけすぎて魚眼レンズに映った人みたいな来訪者がしょっちゅういたが、クモのおかげでか最近はそういう人はいなかった。
クモの巣がなくなったら、また魚眼レンズの人が来るようになるだろうか。

◇うちの書庫2018年05月15日 03時33分35秒

私の家の二階の一部屋は、「本の部屋」と化している。
書斎ではなく、文字通り本を置いてある部屋「書庫」だ。
この家に越してきたとき、10トン超えた私達の荷物の60%は本だ。
あとは、古いVHS、カセットテープ、ファミコンソフトなどなどなどなど......

引っ越したとき、引越し業者が荷物の配置までしてくれたのだが、今回利用した業者の整理は、本の種類はバラバラ。
これまでの業者さんはちゃんと巻数そろえてくれたのに、今回はあまりの多さにそれさえも無視され、同じタイトルのものが近くにある程度の整理具合である。
他にもたくさんやることあったし、なにせ10トンの荷物は一日で運び終わったのが奇跡のような量であったのだから仕方がない。

他人が整理した本棚はつまらないし、イライラする。
本は自分で整理したい。
しかし、あまりの多さに、私達はその状態のまま4年ほど放置していた。

それまでは、きちんと本棚は整理されていた。
夫の本と私の本の区別もついていたし、絶対に捨てられない稀少本は、ちゃんと大切に保管されていた。
それは、本棚がきちんと見やすく扱いやすい状態になっていたからだ。
しかし、本棚を専用の部屋に押しやってしまうと、その部屋に行かないと本が読めない。
その上、新しい本も買うので、本はどんどん増えるばかりだ。

思い切って捨てたいが捨てられない。
老後の楽しみとか言っているが、古い雑誌なんぞ絶対に見ないと思う。
見れば見たで面白いのだが、掃除中に開くわけにはいかない。
きっと、将来もこの繰り返しだろう。

しかし、この情報の氾濫した時代に、昔の価値観で止まったものを、後生大事にスペースと金を使って保存しているのは、狂気の沙汰といえる。
すっかり捨ててしまったら、どんなにすっきりするだろう。
だが、別冊宝島だとか、「この映画を観ろ」とか、「19XX」みたいな、時代を反映したもの。本当はそういうのが一番面白いということを知っている私達夫婦は、なんだかんだいって捨てられないのだ。

老後にそういうのを見ても、たぶん一瞬「わー、すげー」と言って終わりだろう。それを数年に何度か繰り返すだけだ。
でも、そういうのが一番面白かったと知っている世代の私達には、やっぱり宝物なのかもしれない。

そうして、ふりだしに戻るのだ→



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