◇花粉到来 ― 2015年02月11日 04時09分36秒
去年の4月に数年ぶりにアレルギー検査を受けたのだが、治療のかいあってか杉花粉が99%から1%に減っていた。
医師は、引越しなど環境の変化で変わることもあるので、経過観察しましょうということだった。
幸い去年は花粉の量が少なく楽に生活ができたのだが、今年は正月にインフルエンザをやってから、ずっと咳が抜けないし、1月の中頃には早々に目がかゆくなってきた。
2月に入って、毎年行っている耳鼻科に行き、アレルギー検査の結果を報告した上で、花粉症の治療を今年もするべきかどうか相談したのだが、今まであまりにひどい症状だったのだから、予防的にも治療をした方がいいだろうということだった。
今年のアレルギー薬はタリオン。
去年はアレグラだったが、花粉の傾向で処方される薬が違うのか、それとも医薬品業界の大人の事情なのか。
2月も中盤に入り、晴れた日にはなんとなく鼻がむずむずして目がかゆいが、我慢できないような症状は今のところない。
気にしないようにしていれば、やり過ごせる範囲。
一昨年の10月から飲み続けている、カルピスのアレルケアもなんとなく効いているようで、これを飲み始めてからはアレルギーや化学物質過敏症の反応がかなり軽くなった。
それ以前に、インフルエンザの後の咳がなかなかすっきり抜けないのが気になる。
喘息のように続く咳ではないのだが、なんとなく喉の奥がすっきりしないし痰もからむので、まだなんらかの炎症があるのだろうと思う。
その上、胃の調子もよくなくすっきりしない。
今年のシーズンも、使い捨てマスクは2箱目。
今年は化学物質過敏症の医師の薦めで、活性炭入りのマスクも用意した。
マスクはもう顔の一部と化している。
ないと外出できないし、常に予備を携帯している。
アレルギー検査の結果が1%だったとしても、やはりその時々で症状が爆発的に出てしまうこともあるとのことだったので、今年も万全の注意をしている。
でも、少しずつ春に変わる季節を、昔の様にうららかに過ごせる日がいつか来るといいと、一縷の望みも捨て切れなかったりするのだ。
医師は、引越しなど環境の変化で変わることもあるので、経過観察しましょうということだった。
幸い去年は花粉の量が少なく楽に生活ができたのだが、今年は正月にインフルエンザをやってから、ずっと咳が抜けないし、1月の中頃には早々に目がかゆくなってきた。
2月に入って、毎年行っている耳鼻科に行き、アレルギー検査の結果を報告した上で、花粉症の治療を今年もするべきかどうか相談したのだが、今まであまりにひどい症状だったのだから、予防的にも治療をした方がいいだろうということだった。
今年のアレルギー薬はタリオン。
去年はアレグラだったが、花粉の傾向で処方される薬が違うのか、それとも医薬品業界の大人の事情なのか。
2月も中盤に入り、晴れた日にはなんとなく鼻がむずむずして目がかゆいが、我慢できないような症状は今のところない。
気にしないようにしていれば、やり過ごせる範囲。
一昨年の10月から飲み続けている、カルピスのアレルケアもなんとなく効いているようで、これを飲み始めてからはアレルギーや化学物質過敏症の反応がかなり軽くなった。
それ以前に、インフルエンザの後の咳がなかなかすっきり抜けないのが気になる。
喘息のように続く咳ではないのだが、なんとなく喉の奥がすっきりしないし痰もからむので、まだなんらかの炎症があるのだろうと思う。
その上、胃の調子もよくなくすっきりしない。
今年のシーズンも、使い捨てマスクは2箱目。
今年は化学物質過敏症の医師の薦めで、活性炭入りのマスクも用意した。
マスクはもう顔の一部と化している。
ないと外出できないし、常に予備を携帯している。
アレルギー検査の結果が1%だったとしても、やはりその時々で症状が爆発的に出てしまうこともあるとのことだったので、今年も万全の注意をしている。
でも、少しずつ春に変わる季節を、昔の様にうららかに過ごせる日がいつか来るといいと、一縷の望みも捨て切れなかったりするのだ。
◇インフルエンザ日記 ― 2015年01月12日 02時16分24秒
今年の正月は何年ぶりかで故郷で正月を迎えた。
年末はお祝いが重なる私の実家で過ごし、元旦に移動して正月は夫の実家で過ごすことにしたのだ。
年末に続く北日本の荒れた天気は非常に心配されたが、私たちが滞在している間は非常に穏やかな天気だった。
インフルエンザのワクチンは毎年受けていない。
受けるとかえって具合が悪くなるからだ。
しかし、毎日のうがい手洗いには気をつけているし、外出時にはマスクを欠かさない。
空港で乳幼児を連れたご夫婦が、子供を抱っこしながらげほげほとマスクもせずに咳き込んでいるのを見て、ちょっと信じられなかったり、あたりかまわずくしゃみを撒き散らす人がいるのには閉口したりもした。
北海道を離れて30年弱、つるつるの道路を歩く技も忘れてはいなかったが、半端に暖かい家の中で普段使用されていない部屋は否応なしに寒く、母が用意してくれた煎餅布団の中で久々に布団ダッシュ(あまりに寒くて布団の中で駆け足するような動作をすること)したりした。
●12月31日水曜日
29日の帯広到着日からずっと胃の休まらない毎日。
夫が朝、腰からわき腹が痛いと訴え、救急病院に行くが、待合室の受付ですでに30分待ち。
待合室のあまりのカオスな状態に、それだけで具合が悪くなりそうで、診察を受けず帰宅する。
母からマッサージを受け、湿布して少し良くなったらしい。
この日の夜も胃の休まらない食事だったが、夫は具合が悪かったせいでお酒も節制しながら飲み、翌日には体調も回復していた様子。
私は腸の調子が本調子ではない以外は、それほど体調は悪くなかった。
●1月1日(元旦)木曜日
帯広から夫の実家に移動し、その夜なんとなく腹と足の節々の調子がおかしかった。
しかし、年末に帯広で連日お祝いの席に呼ばれ暴飲暴食しているので、調子がおかしくて当り前だと思っていた。
インフルエンザよりも、寒さのためにイレウスになる方が怖かったので、腹には常にカイロを二枚入れて腹巻と股引はしっかり着けていた。
●1月2日金曜日
朝に猛烈な肩こりがしていたが、なれない布団で寝たせいだと思っていた。
夜に咳と鼻水が出始め寒気が起こる。
手足がむくみ、手のひらが腫れる症状が久々に出て、猫のいる夫の実家でやはり猫アレルギーがあるのだろうかと夫と話していたりした。
●1月3日土曜日
朝に猛烈な寒気とだるさがあるが、熱はない。
身体の節々が痛く、特に顔が痛い。
インプラントの治療を受けたところや、虫歯の治療をしたところからまっすぐこめかみに向かって痛みが走る。
肩こりもひどい。
その日は千歳から戻る日だった。本当は義母と義妹と四人で千歳で遊ぶ予定だったが、私が具合が悪いのでそれもキャンセルさせてもらった。
ラウンジをとってもらい、そこでお茶を飲みながら飛行機の時間を待つが、だるさがだんだんとひどくなるので、ロキソニンを一錠飲んでやりすごす。
羽田に着いた頃は少し落ち着いて、身体の痛みは軽くなっていた。
軽い早めの夕食をとって帰宅。
家でゆっくり風呂につかって、早めに就寝した。
●1月4日日曜日
発熱38.33℃。
普段風邪をひいてもなかなか熱が出ずに辛い思いをする体質なのに、いきなりの発熱でインフルエンザを確信する。
顔の痛みはピークだったが、どうすることもできず。
休日担当の病院に電話をしたところ、発熱してから12時間経たないとインフルエンザの検査をしてもわからないと言われたので、病院は次の日に行く事にした。
地元の神社にお参りに行ったりしようと思っていたのが、全てキャンセル。
帰省中肉ばかり食べて体がおかしかったので、夫がミネストローネを作ってくれた。
野菜のほっとする味で癒される。
昼にあった熱は夜には36℃台まで下がる。もう身体も痛くない。
これはただの風邪だったのかもと思い始める。
●1月5日月曜日
常飲している薬をもらうついでもあったので、近所のクリニックへ。
年始初日で混んでいると思ったがそれほどでもなかった。
ぼーっとした顔を見て受付の人が「熱はないか」と聞いたが、出かけに測ったときは35.7℃。
熱がある人は個室で待つシステムだが、受付で測っても36.2℃だったのでそのまま待合室にいることに。
予約時間から30分ほど過ぎて、やっと診察。
医師が「熱以外の症状は?」と「くしゃみ、鼻水、咳、悪寒、節々の痛みがありました。特に顔の痛み」と告げると、「インフルエンザの検査をしましょう」と告げられる。
鼻の中に綿花のついた棒を突っ込まれてぐりぐりされておしまい。
個室に移され結果を待つ。
インフルエンザ検査の結果。
青い矢印のところがA型陽性のうっすら線。
前日までの身体の痛みはすでにひいていたし、もう遅いのではないかなどと考えていると、医師が申し訳なさそうに「A型だったよー。イナビル出しておくから」と薬の説明をして、「一週間安静に」と告げた。
検査結果のシートを見るとAのところにうっすらと線がついているが、ほんとにうっすらとついているので「マジかよ」と本気で思った。
薬局でイナビルと普段の薬を受け取り、自宅にて吸入。
こなこなしたものが喉に入ってくるのは、喘息の薬に似ている。
しかし、喉がイガイガして咳もあるので、咳を我慢して吸入するのはけっこう大変だった。
その日はかなり調子が戻っていたが、また熱が上がる場合もあると言われて寝ていることに。
周囲にウイルスを撒きちらさないために、一週間は外出禁止を決意する。
しかし、帰省から戻って買物に行っていないので、冷蔵庫は空っぽ。
しかたないので、イトーヨーカ堂の宅配を頼むことにした。
この日は夫は職場の新年会で留守。
私は前日夫が作ったミネストローネにご飯を入れて食べて寝た。
●1月6日火曜日
夫が朝出て行ったのは記憶にあるが、昼過ぎ汗だくで目が覚める。
熱は37.5℃ほどで、私にしては高い体温。
16時頃イトーヨーカ堂の宅配員の人から電話があり、「今、家の前にいるので出てくれ」と言うので出てみたが誰もいない。
電話をして誰もいないと言うと、配達員は前の住居に配達に来ていたことが判明。
住所変更を忘れていたらしい。
再配達を依頼し19時過ぎに無事食材が届いた。
お年始でやわらかティッシュ5箱をもらい、ものすごく嬉しかった。
●1月7日(七草)水曜日
夫が朝出て行ったのは記憶にあるが、昼過ぎ汗だくで目が覚める。
熱は36.5℃程度。寝すぎて体がだるく、頭がぼーっとする。
夫が3日に七草粥セットを買ってきていたので、米から炊くことにする。
何分粥にするか迷うが、結局五分粥にする。
粥を炊いている間に、風呂吹き大根を煮て甘味噌を作ったりするが、頭がぼーっとして息切れがする。
食後に体重を量ってみたら、年末より3キロほど痩せていた。
帯広であれだけ暴飲暴食したのはどこに行ったのか。
あちこちさわると、筋肉が落ちているのが判ってショックを受ける。
夜に咳こんでなかなか眠れず、睡眠導入剤を飲む。
●1月8日木曜日
夫が朝出て行ったのも記憶にない。昼過ぎ汗だくで目が覚める。
熱は35.7℃。いつもの平熱。
頭はぼーっとするが気分はいい。咳がなかなか抜けず、体力が消耗される。
マスクに慣れているはずなのに、気づくと顎にひっかけているので気をつける。
前日の七草粥の余りを食べ、録画していたテレビを見て過ごす。
5日に病院に行ってから一度も外出せず、イトーヨーカ堂の配達員の人と夫以外、帰宅してから誰とも話していない(電話では母と義母とは話した。インフルエンザになったので、注意を促す電話だ)。
●1月9日金曜日
夫が朝出て行ったのは記憶にあるが、昼過ぎ汗だくで目が覚める。
イナビルの説明書に記載されていた「解熱後五日間」は今日で終わるが、家でおとなしくしている。
気分も良く身体も軽いが、力が入らない。
咳と鼻水とくしゃみは継続している。
体重を量ってみると、更に1キロ落ちていて年末帰省前から4キロほど落ちた。
夜、夫は新年会で留守なので、とりあえず冷蔵庫にある肉と野菜を炒めて食べる。
正月に撮りためたビデオを見て一日過ごす。
●1月10日土曜日
昼過ぎに来客があるので、午前中に起きて掃除をする。
年末大掃除後ほとんど活動をしていないので、ほこりを取って掃除機をかけて、トイレを掃除するくらい。
身体は思ったより軽いが、体力が続かない感じ。
来客には念のためマスクをしてくるように依頼する。
午後から5日ぶりに外出をする。
大戸屋でグリーンカレーを食べたら気持ちが悪くなった。
咳と鼻水とくしゃみはまだ続く。
●1月11日日曜日
午前中に起きる。初詣がまだだったので、神社に新しいお札をもらいに行く。
どんど焼きをするところも多く、神社もにぎわっている。
お札を受け取る待合室で、冷えピタを貼っている子供がいたりして、こんな人ごみに病気の子供を連れて来る親の神経を疑う。
咳とくしゃみと鼻水は相変わらず。もしかしたらもう花粉に反応しているのだろうか。
鼻の中が痛くなったりするので、連休明けに耳鼻科に行こうと思う。
今年のインフルエンザはこんな感じであった。
今年のとあるが、インフルエンザと診断されて薬も摂取したりしたのは、実は初めてのことだ。
もともと風邪をひいてもいつまでも熱が出ずに長引く体質なので、今までインフルエンザだったかもしれなくても熱が出なければ病院に行くこともなかったからだ。
医師の指示通り一週間一歩も外へ出ずに安静にしていたが、今はスーパーの宅配もあるし、一歩も外に出ずとも生活できてしまうのだ。
熱が長く続けば食事の支度などの支障はあるが、幸い熱はすぐに下がったので支障はまるでなかった。
便利な世の中になったものだと、しみじみした一週間であった。
まともなものも食べずにずっと寝ていたので、体力がすっかり衰えている。
ヒンズースクワットをしたら、頭がくらくらしてしまった。
体重が落ちたのはいいが、筋肉を取り戻すのに時間がかかりそうだと痛感した。
年末はお祝いが重なる私の実家で過ごし、元旦に移動して正月は夫の実家で過ごすことにしたのだ。
年末に続く北日本の荒れた天気は非常に心配されたが、私たちが滞在している間は非常に穏やかな天気だった。
インフルエンザのワクチンは毎年受けていない。
受けるとかえって具合が悪くなるからだ。
しかし、毎日のうがい手洗いには気をつけているし、外出時にはマスクを欠かさない。
空港で乳幼児を連れたご夫婦が、子供を抱っこしながらげほげほとマスクもせずに咳き込んでいるのを見て、ちょっと信じられなかったり、あたりかまわずくしゃみを撒き散らす人がいるのには閉口したりもした。
北海道を離れて30年弱、つるつるの道路を歩く技も忘れてはいなかったが、半端に暖かい家の中で普段使用されていない部屋は否応なしに寒く、母が用意してくれた煎餅布団の中で久々に布団ダッシュ(あまりに寒くて布団の中で駆け足するような動作をすること)したりした。
●12月31日水曜日
29日の帯広到着日からずっと胃の休まらない毎日。
夫が朝、腰からわき腹が痛いと訴え、救急病院に行くが、待合室の受付ですでに30分待ち。
待合室のあまりのカオスな状態に、それだけで具合が悪くなりそうで、診察を受けず帰宅する。
母からマッサージを受け、湿布して少し良くなったらしい。
この日の夜も胃の休まらない食事だったが、夫は具合が悪かったせいでお酒も節制しながら飲み、翌日には体調も回復していた様子。
私は腸の調子が本調子ではない以外は、それほど体調は悪くなかった。
●1月1日(元旦)木曜日
帯広から夫の実家に移動し、その夜なんとなく腹と足の節々の調子がおかしかった。
しかし、年末に帯広で連日お祝いの席に呼ばれ暴飲暴食しているので、調子がおかしくて当り前だと思っていた。
インフルエンザよりも、寒さのためにイレウスになる方が怖かったので、腹には常にカイロを二枚入れて腹巻と股引はしっかり着けていた。
●1月2日金曜日
朝に猛烈な肩こりがしていたが、なれない布団で寝たせいだと思っていた。
夜に咳と鼻水が出始め寒気が起こる。
手足がむくみ、手のひらが腫れる症状が久々に出て、猫のいる夫の実家でやはり猫アレルギーがあるのだろうかと夫と話していたりした。
●1月3日土曜日
朝に猛烈な寒気とだるさがあるが、熱はない。
身体の節々が痛く、特に顔が痛い。
インプラントの治療を受けたところや、虫歯の治療をしたところからまっすぐこめかみに向かって痛みが走る。
肩こりもひどい。
その日は千歳から戻る日だった。本当は義母と義妹と四人で千歳で遊ぶ予定だったが、私が具合が悪いのでそれもキャンセルさせてもらった。
ラウンジをとってもらい、そこでお茶を飲みながら飛行機の時間を待つが、だるさがだんだんとひどくなるので、ロキソニンを一錠飲んでやりすごす。
羽田に着いた頃は少し落ち着いて、身体の痛みは軽くなっていた。
軽い早めの夕食をとって帰宅。
家でゆっくり風呂につかって、早めに就寝した。
●1月4日日曜日
発熱38.33℃。
普段風邪をひいてもなかなか熱が出ずに辛い思いをする体質なのに、いきなりの発熱でインフルエンザを確信する。
顔の痛みはピークだったが、どうすることもできず。
休日担当の病院に電話をしたところ、発熱してから12時間経たないとインフルエンザの検査をしてもわからないと言われたので、病院は次の日に行く事にした。
地元の神社にお参りに行ったりしようと思っていたのが、全てキャンセル。
帰省中肉ばかり食べて体がおかしかったので、夫がミネストローネを作ってくれた。
野菜のほっとする味で癒される。
昼にあった熱は夜には36℃台まで下がる。もう身体も痛くない。
これはただの風邪だったのかもと思い始める。
●1月5日月曜日
常飲している薬をもらうついでもあったので、近所のクリニックへ。
年始初日で混んでいると思ったがそれほどでもなかった。
ぼーっとした顔を見て受付の人が「熱はないか」と聞いたが、出かけに測ったときは35.7℃。
熱がある人は個室で待つシステムだが、受付で測っても36.2℃だったのでそのまま待合室にいることに。
予約時間から30分ほど過ぎて、やっと診察。
医師が「熱以外の症状は?」と「くしゃみ、鼻水、咳、悪寒、節々の痛みがありました。特に顔の痛み」と告げると、「インフルエンザの検査をしましょう」と告げられる。
鼻の中に綿花のついた棒を突っ込まれてぐりぐりされておしまい。
個室に移され結果を待つ。
インフルエンザ検査の結果。
青い矢印のところがA型陽性のうっすら線。
前日までの身体の痛みはすでにひいていたし、もう遅いのではないかなどと考えていると、医師が申し訳なさそうに「A型だったよー。イナビル出しておくから」と薬の説明をして、「一週間安静に」と告げた。
検査結果のシートを見るとAのところにうっすらと線がついているが、ほんとにうっすらとついているので「マジかよ」と本気で思った。
薬局でイナビルと普段の薬を受け取り、自宅にて吸入。
こなこなしたものが喉に入ってくるのは、喘息の薬に似ている。
しかし、喉がイガイガして咳もあるので、咳を我慢して吸入するのはけっこう大変だった。
その日はかなり調子が戻っていたが、また熱が上がる場合もあると言われて寝ていることに。
周囲にウイルスを撒きちらさないために、一週間は外出禁止を決意する。
しかし、帰省から戻って買物に行っていないので、冷蔵庫は空っぽ。
しかたないので、イトーヨーカ堂の宅配を頼むことにした。
この日は夫は職場の新年会で留守。
私は前日夫が作ったミネストローネにご飯を入れて食べて寝た。
●1月6日火曜日
夫が朝出て行ったのは記憶にあるが、昼過ぎ汗だくで目が覚める。
熱は37.5℃ほどで、私にしては高い体温。
16時頃イトーヨーカ堂の宅配員の人から電話があり、「今、家の前にいるので出てくれ」と言うので出てみたが誰もいない。
電話をして誰もいないと言うと、配達員は前の住居に配達に来ていたことが判明。
住所変更を忘れていたらしい。
再配達を依頼し19時過ぎに無事食材が届いた。
お年始でやわらかティッシュ5箱をもらい、ものすごく嬉しかった。
●1月7日(七草)水曜日
夫が朝出て行ったのは記憶にあるが、昼過ぎ汗だくで目が覚める。
熱は36.5℃程度。寝すぎて体がだるく、頭がぼーっとする。
夫が3日に七草粥セットを買ってきていたので、米から炊くことにする。
何分粥にするか迷うが、結局五分粥にする。
粥を炊いている間に、風呂吹き大根を煮て甘味噌を作ったりするが、頭がぼーっとして息切れがする。
食後に体重を量ってみたら、年末より3キロほど痩せていた。
帯広であれだけ暴飲暴食したのはどこに行ったのか。
あちこちさわると、筋肉が落ちているのが判ってショックを受ける。
夜に咳こんでなかなか眠れず、睡眠導入剤を飲む。
●1月8日木曜日
夫が朝出て行ったのも記憶にない。昼過ぎ汗だくで目が覚める。
熱は35.7℃。いつもの平熱。
頭はぼーっとするが気分はいい。咳がなかなか抜けず、体力が消耗される。
マスクに慣れているはずなのに、気づくと顎にひっかけているので気をつける。
前日の七草粥の余りを食べ、録画していたテレビを見て過ごす。
5日に病院に行ってから一度も外出せず、イトーヨーカ堂の配達員の人と夫以外、帰宅してから誰とも話していない(電話では母と義母とは話した。インフルエンザになったので、注意を促す電話だ)。
●1月9日金曜日
夫が朝出て行ったのは記憶にあるが、昼過ぎ汗だくで目が覚める。
イナビルの説明書に記載されていた「解熱後五日間」は今日で終わるが、家でおとなしくしている。
気分も良く身体も軽いが、力が入らない。
咳と鼻水とくしゃみは継続している。
体重を量ってみると、更に1キロ落ちていて年末帰省前から4キロほど落ちた。
夜、夫は新年会で留守なので、とりあえず冷蔵庫にある肉と野菜を炒めて食べる。
正月に撮りためたビデオを見て一日過ごす。
●1月10日土曜日
昼過ぎに来客があるので、午前中に起きて掃除をする。
年末大掃除後ほとんど活動をしていないので、ほこりを取って掃除機をかけて、トイレを掃除するくらい。
身体は思ったより軽いが、体力が続かない感じ。
来客には念のためマスクをしてくるように依頼する。
午後から5日ぶりに外出をする。
大戸屋でグリーンカレーを食べたら気持ちが悪くなった。
咳と鼻水とくしゃみはまだ続く。
●1月11日日曜日
午前中に起きる。初詣がまだだったので、神社に新しいお札をもらいに行く。
どんど焼きをするところも多く、神社もにぎわっている。
お札を受け取る待合室で、冷えピタを貼っている子供がいたりして、こんな人ごみに病気の子供を連れて来る親の神経を疑う。
咳とくしゃみと鼻水は相変わらず。もしかしたらもう花粉に反応しているのだろうか。
鼻の中が痛くなったりするので、連休明けに耳鼻科に行こうと思う。
今年のインフルエンザはこんな感じであった。
今年のとあるが、インフルエンザと診断されて薬も摂取したりしたのは、実は初めてのことだ。
もともと風邪をひいてもいつまでも熱が出ずに長引く体質なので、今までインフルエンザだったかもしれなくても熱が出なければ病院に行くこともなかったからだ。
医師の指示通り一週間一歩も外へ出ずに安静にしていたが、今はスーパーの宅配もあるし、一歩も外に出ずとも生活できてしまうのだ。
熱が長く続けば食事の支度などの支障はあるが、幸い熱はすぐに下がったので支障はまるでなかった。
便利な世の中になったものだと、しみじみした一週間であった。
まともなものも食べずにずっと寝ていたので、体力がすっかり衰えている。
ヒンズースクワットをしたら、頭がくらくらしてしまった。
体重が落ちたのはいいが、筋肉を取り戻すのに時間がかかりそうだと痛感した。
◇流行を無視したヘアスタイルの戦い ― 2014年03月19日 23時42分33秒
ショートカットにした。
ショートにするのは十年ぶりくらい。
以前は三叉神経に帯状疱疹が出来て、泣く泣く髪を切ったのだった。
それからずっと髪をセミロングにして、ストレートにしたり、ゆるふわパーマにしたりしてきた。
しかし、それらの髪型は決して自分の好みのスタイルではなかった。
私が要望するスタイルは、最近の美容師さんはやったことがないから出来ないとぬかすのだ。
写真を持っていこうが、美容師さんの中でイメージができないようで、失敗を恐れて要望に応じてくれようとは決してしなかった。
そういうわけで、2000年に入ってから2013年くらいまでは、私は自分の気に入ったヘアスタイルにしたことがない。
もともと若い美容師さんに、自分の話しているイメージがまったく伝わらないということを感じていたので、40代の美容師さんがいる美容院に行くようになって、そこそこ自分のイメージが伝わるようになったのだが、その人はそこのオーナーではなかったので、失敗を恐れて冒険することはなかった。
そのうち、私のタバコアレルギーがひどくなり、彼女のヘビースモーカーが苦痛になって行けなくなってしまった。
1980年代は、パーマの技術やヘアスタイリング剤は今よりもずっとよくなかったが、流行する多様なヘアスタイルに対応すべく、帯広の田舎にいる美容師さんでも、カットの技術は非常に優れていた。
ヘアデザインに意欲を持つ人も私の出会った美容師さんには多く、ヘアカタログに載っていないようなデザインでも、アレンジしていろいろとチャレンジしてくれたりもした。
別に都会の最前線にいなくても、それくらいの技術を持っている人はたくさんいたのだ。
ところが、パーマの技術が発達し、ありとあらゆるヘアスタイリング剤が登場し、自宅で自由にヘアスタイルを自分でアレンジするのが主流になってくると、多くの美容師さんはそれに頼るようになってきたように感じるのだ。
とりたてて致命的なのは、スタイリストだのと適当な肩書きをつけて高い料金をとっているのに、自分なりの主張やイマジネーションを微塵も持ち合わせていない人が多いことだ。
ヘアカタログに載っている髪型は、どれも長いか短いか、アレンジを変えたりの違いで、基本的にはどれも同じ髪型だったりする。
そこから逸脱した髪型を希望すると、とたんにそれには対応できず、まったく違う場所に無理に誘導しようとするのだ。
そしてそれが違うと指摘すると、二の句は「これはヘアアレンジしているから」とくる。
この原因は、私がイメージしているものと、美容師さんがイメージしているものが違うのが原因で、それがたとえ希望の髪形のサンプル写真を提示したところで、そこに思い描いている到達点が違えば、おのずとそのイメージも異なってくる。
それは年代的なものも大きく左右してくるだろう。
80年代の美容師さんは、美容学校でありとあらゆる髪型を勉強したらしいが、その内容にも時代が現れているのだと同年代の美容師さんに教えてもらった。
40代後半のその人は、自分たちの時代は刈り上げ、レイヤー、ツーブロックはあたり前だったけど、最近はそういうのは教わってこないようだと言っていた。
80年代に流行っていた髪形を今やりたいと思っても、それを納得いくように再現するには、そういった技術を習得している美容師さんを探さなければならないらしい。
さらに、そのイメージをきちんと把握している人が必要なのだ。
The who 右から二番目がロジャー・ダルトリー(thewho.com)
2年前、私はロンドンオリンピックを見てロックな気分になり、The Whoのロジャー・ダルトリーの70年代の写真を持って美容室で「この髪型にしたい」と言って、25年ぶりくらいにほぼカーリーヘアにした。
ちょうどそれまで通っていた美容室に行けなくなったときで、新しい美容室に事前に電話で喫煙者かどうかを確認し、こういう髪型にしたいという要望をあらかじめ伝えて行ったのだ。
もちろん髪質の違いなどでまったく同じにならないことは理解しているが、担当した30代前半の美容師さんはかなりがんばって近い髪型にしてくれた。
しかし、その時の美容室のパーマ液は私には合わなかったらしく、パーマの後のかぶれがひどかったので、私はまた次の美容室を探しすことになる。
たまたまニューオープンで顧客開拓していた店で、ロジャーは全頭スパイラルでLed Zeppelinのロバート・プラントに変貌した。
その後、ロックの後はニューウェイヴだとワンレン全頭スパイラルの頭は、そのまま裾をざっくり切って茅葺屋根のひさしのようにしてもらった。
茅葺屋根(フリー素材無料写真 森の父さん花鳥風穴「茅葺屋根の民家」)
この髪型は非常に気に入ったのだが、それまでずっとデジタルパーマをして、その後全頭カーリー、全頭スパイラルと続き、エアウェーブパーマでもその傷みはいかんともし難い状態にまで陥り、とうとうシャンプーのときに指が入らないくらい傷んでしまったのだった。
あまりの傷みにストレートにするしかないといわれ、数ヶ月間ストレートで生活をした。
一年半ほどかなりきつめのパーマになれてしまっていたので、さらさらストレートヘアはなんの面白みも感じず、ひどくつまらない上に毛先は相変わらず傷んでいるし、これが切れる長さになったらショートにしようとずっと思っていた。
そしてその日がやってきたのだ。
「ブリキの太鼓」(TIN DRUM)/ JAPAN
(こころとからだがかたちんば「Japan & 坂本龍一 「Ghosts」(Live)'82」)
アン・ルイス(Pink Cloud の独りよがり「アン・ルイス「ラ・セゾン」 (シングル盤)」)
ニューウェイヴの次はニューロマンティックスだろうと、私は無謀にもJAPANのディヴッド・シルヴィアンの写真を持っていった。写真は「ブリキの太鼓」のジャケット。
補足としてアン・ルイスの写真も提出した。
ただし、私だって45をとうに過ぎたおばさんがディヴッド・シルヴィアンの写真を持っていったところで、ディヴッド・シルヴィアンになれないことは知っている。
実際には彼とはかけ離れた仕上がりになることくらいは予想していたのだが、予想ははるか上空を駆け上っていた。
今回担当した美容師さんは、30代後半。
カット技術よりはパーマの薬剤などに凝る美容用品オタク的な人だったが、茅葺パーマもきちんとイメージどおりにしてくれたし、彼の美容院で扱っている薬剤は肌にやさしいものを揃えているので、ちょっと高いけれど彼にまたお願いすることにしたのだ。
しかし、ニューロマンティックスをリアルで経験しない彼は、このニュアンスがわからない。
最近流行りのボブスタイルの変形から、髪の毛を根元から立ち上げるパーマではなく、髪の流れをつけるだけのパーマをほどこした。
仕上がりを見て、「なんかこれちょっとイメージと違う」と言ってディヴッド・シルヴィアンの写真をもう一度確認する。
彼はこの流れがこうで、ここはこうでと説明するが、もともとのカットがそもそも違うような気がする。
何故このようなカットにしたのか、今の私の顔に合わせたイメージだったのかディスカッションするのだが、結論から言うと美容師のお決まり文句「これはセットしているから」。
そんなことは知ってるよ。この髪型になるのに、どういったカットが必要なのかも、30年前に見て知っているよ。それがどうしてニュアンスが伝わらないのか。
しかし、これは仕方がないことなのか。彼はニューロマンティックスを知らない。
ディヴッド・シルヴィアンもアン・ルイスも知らない。
当然、この当時流行ったレイヤードカットや当時のツーブロックも知らないのだ。
そして仕上がった髪型は、楳図かずおの「のろいの館」に出てくる“たまみ”か、NHKのドラマで三上博史が演じた「実験刑事トトリ」のトトリ君のような頭だった。
「のろいの館」たまみ / 楳図かずお(時間だぜ!!薄汚ねぇピーターパン!!「はやく人間になりたい!!」)
「実験刑事トトリ」三上博史(c)2013NHK
(クランクイン!!「三上博史&高橋光臣の凸凹コンビが完全犯罪に挑む!『実験刑事トトリ』DVD化決定」)
美容師本人は、「かわいい感じでいいですよ」「おしゃれな感じ」と言うけれど、私はイメージと違うのでちょっとがっかり。 三上博史ならそりゃおしゃれだろうけど、私がしたらイタイおばさんじゃないか。
くれぐれもその路線は避けてくれとお願いしたのだが、もともとが無謀な要望だから仕方がないのだろうか。
私が「おしゃれと思わなければ、それは失敗ということではないのか」と思ったが、せっかくかけたパーマをここからやり直すには時間がない。
この美容院に入って、すでに6時間が経過していた。
イメージと違うと、服やスタイルをどう選んでいいのかまたな悩まなければならないのだが、それほど多岐に渡る服装をしているわけではないので、しばらく“トトリたまみ”として生活していくしかなさそうだ。
いやいやそれ以上に、こういう髪型にすると、母にそっくりな自分が顔を出して驚いてしまった。
それにしても、カットの技術は30年前よりも多様な技術があるのだろうと思うし、さまざまな表現ができるようになったと思うのだが、それがヘアカタログに載っている髪型のただ一方にだけ発揮されている現実は、非常にもったいないと思う。
昔の美容師は、ない技術の中でいかにさまざまな表現をしようかとがんばった。
今の美容師さんは、二の句を告げば「それはアレンジで」と言う。
自分のカット技術で表現しようとは思わないのだろう。それを逃げにしてしまえば、そこから先はないと思うのだが。
それとも、私のイメージの伝え方が下手なのか。
それとも、今の「スタイリスト」という肩書きの美容師さんは、クリエイターではないのだろうか。
イマジネーションを持たないクリエイターなど、ありえないだろうと個人的には思うのだが。
ただ、どんなに愚痴を言っても、ヘアカタログに載っていない流行を無視した戦いはこれからも続く。
ショートにするのは十年ぶりくらい。
以前は三叉神経に帯状疱疹が出来て、泣く泣く髪を切ったのだった。
それからずっと髪をセミロングにして、ストレートにしたり、ゆるふわパーマにしたりしてきた。
しかし、それらの髪型は決して自分の好みのスタイルではなかった。
私が要望するスタイルは、最近の美容師さんはやったことがないから出来ないとぬかすのだ。
写真を持っていこうが、美容師さんの中でイメージができないようで、失敗を恐れて要望に応じてくれようとは決してしなかった。
そういうわけで、2000年に入ってから2013年くらいまでは、私は自分の気に入ったヘアスタイルにしたことがない。
もともと若い美容師さんに、自分の話しているイメージがまったく伝わらないということを感じていたので、40代の美容師さんがいる美容院に行くようになって、そこそこ自分のイメージが伝わるようになったのだが、その人はそこのオーナーではなかったので、失敗を恐れて冒険することはなかった。
そのうち、私のタバコアレルギーがひどくなり、彼女のヘビースモーカーが苦痛になって行けなくなってしまった。
1980年代は、パーマの技術やヘアスタイリング剤は今よりもずっとよくなかったが、流行する多様なヘアスタイルに対応すべく、帯広の田舎にいる美容師さんでも、カットの技術は非常に優れていた。
ヘアデザインに意欲を持つ人も私の出会った美容師さんには多く、ヘアカタログに載っていないようなデザインでも、アレンジしていろいろとチャレンジしてくれたりもした。
別に都会の最前線にいなくても、それくらいの技術を持っている人はたくさんいたのだ。
ところが、パーマの技術が発達し、ありとあらゆるヘアスタイリング剤が登場し、自宅で自由にヘアスタイルを自分でアレンジするのが主流になってくると、多くの美容師さんはそれに頼るようになってきたように感じるのだ。
とりたてて致命的なのは、スタイリストだのと適当な肩書きをつけて高い料金をとっているのに、自分なりの主張やイマジネーションを微塵も持ち合わせていない人が多いことだ。
ヘアカタログに載っている髪型は、どれも長いか短いか、アレンジを変えたりの違いで、基本的にはどれも同じ髪型だったりする。
そこから逸脱した髪型を希望すると、とたんにそれには対応できず、まったく違う場所に無理に誘導しようとするのだ。
そしてそれが違うと指摘すると、二の句は「これはヘアアレンジしているから」とくる。
この原因は、私がイメージしているものと、美容師さんがイメージしているものが違うのが原因で、それがたとえ希望の髪形のサンプル写真を提示したところで、そこに思い描いている到達点が違えば、おのずとそのイメージも異なってくる。
それは年代的なものも大きく左右してくるだろう。
80年代の美容師さんは、美容学校でありとあらゆる髪型を勉強したらしいが、その内容にも時代が現れているのだと同年代の美容師さんに教えてもらった。
40代後半のその人は、自分たちの時代は刈り上げ、レイヤー、ツーブロックはあたり前だったけど、最近はそういうのは教わってこないようだと言っていた。
80年代に流行っていた髪形を今やりたいと思っても、それを納得いくように再現するには、そういった技術を習得している美容師さんを探さなければならないらしい。
さらに、そのイメージをきちんと把握している人が必要なのだ。
The who 右から二番目がロジャー・ダルトリー(thewho.com)
2年前、私はロンドンオリンピックを見てロックな気分になり、The Whoのロジャー・ダルトリーの70年代の写真を持って美容室で「この髪型にしたい」と言って、25年ぶりくらいにほぼカーリーヘアにした。
ちょうどそれまで通っていた美容室に行けなくなったときで、新しい美容室に事前に電話で喫煙者かどうかを確認し、こういう髪型にしたいという要望をあらかじめ伝えて行ったのだ。
もちろん髪質の違いなどでまったく同じにならないことは理解しているが、担当した30代前半の美容師さんはかなりがんばって近い髪型にしてくれた。
しかし、その時の美容室のパーマ液は私には合わなかったらしく、パーマの後のかぶれがひどかったので、私はまた次の美容室を探しすことになる。
たまたまニューオープンで顧客開拓していた店で、ロジャーは全頭スパイラルでLed Zeppelinのロバート・プラントに変貌した。
その後、ロックの後はニューウェイヴだとワンレン全頭スパイラルの頭は、そのまま裾をざっくり切って茅葺屋根のひさしのようにしてもらった。
茅葺屋根(フリー素材無料写真 森の父さん花鳥風穴「茅葺屋根の民家」)
この髪型は非常に気に入ったのだが、それまでずっとデジタルパーマをして、その後全頭カーリー、全頭スパイラルと続き、エアウェーブパーマでもその傷みはいかんともし難い状態にまで陥り、とうとうシャンプーのときに指が入らないくらい傷んでしまったのだった。
あまりの傷みにストレートにするしかないといわれ、数ヶ月間ストレートで生活をした。
一年半ほどかなりきつめのパーマになれてしまっていたので、さらさらストレートヘアはなんの面白みも感じず、ひどくつまらない上に毛先は相変わらず傷んでいるし、これが切れる長さになったらショートにしようとずっと思っていた。
そしてその日がやってきたのだ。
「ブリキの太鼓」(TIN DRUM)/ JAPAN
(こころとからだがかたちんば「Japan & 坂本龍一 「Ghosts」(Live)'82」)
アン・ルイス(Pink Cloud の独りよがり「アン・ルイス「ラ・セゾン」 (シングル盤)」)
ニューウェイヴの次はニューロマンティックスだろうと、私は無謀にもJAPANのディヴッド・シルヴィアンの写真を持っていった。写真は「ブリキの太鼓」のジャケット。
補足としてアン・ルイスの写真も提出した。
ただし、私だって45をとうに過ぎたおばさんがディヴッド・シルヴィアンの写真を持っていったところで、ディヴッド・シルヴィアンになれないことは知っている。
実際には彼とはかけ離れた仕上がりになることくらいは予想していたのだが、予想ははるか上空を駆け上っていた。
今回担当した美容師さんは、30代後半。
カット技術よりはパーマの薬剤などに凝る美容用品オタク的な人だったが、茅葺パーマもきちんとイメージどおりにしてくれたし、彼の美容院で扱っている薬剤は肌にやさしいものを揃えているので、ちょっと高いけれど彼にまたお願いすることにしたのだ。
しかし、ニューロマンティックスをリアルで経験しない彼は、このニュアンスがわからない。
最近流行りのボブスタイルの変形から、髪の毛を根元から立ち上げるパーマではなく、髪の流れをつけるだけのパーマをほどこした。
仕上がりを見て、「なんかこれちょっとイメージと違う」と言ってディヴッド・シルヴィアンの写真をもう一度確認する。
彼はこの流れがこうで、ここはこうでと説明するが、もともとのカットがそもそも違うような気がする。
何故このようなカットにしたのか、今の私の顔に合わせたイメージだったのかディスカッションするのだが、結論から言うと美容師のお決まり文句「これはセットしているから」。
そんなことは知ってるよ。この髪型になるのに、どういったカットが必要なのかも、30年前に見て知っているよ。それがどうしてニュアンスが伝わらないのか。
しかし、これは仕方がないことなのか。彼はニューロマンティックスを知らない。
ディヴッド・シルヴィアンもアン・ルイスも知らない。
当然、この当時流行ったレイヤードカットや当時のツーブロックも知らないのだ。
そして仕上がった髪型は、楳図かずおの「のろいの館」に出てくる“たまみ”か、NHKのドラマで三上博史が演じた「実験刑事トトリ」のトトリ君のような頭だった。
「のろいの館」たまみ / 楳図かずお(時間だぜ!!薄汚ねぇピーターパン!!「はやく人間になりたい!!」)
「実験刑事トトリ」三上博史(c)2013NHK
(クランクイン!!「三上博史&高橋光臣の凸凹コンビが完全犯罪に挑む!『実験刑事トトリ』DVD化決定」)
美容師本人は、「かわいい感じでいいですよ」「おしゃれな感じ」と言うけれど、私はイメージと違うのでちょっとがっかり。 三上博史ならそりゃおしゃれだろうけど、私がしたらイタイおばさんじゃないか。
くれぐれもその路線は避けてくれとお願いしたのだが、もともとが無謀な要望だから仕方がないのだろうか。
私が「おしゃれと思わなければ、それは失敗ということではないのか」と思ったが、せっかくかけたパーマをここからやり直すには時間がない。
この美容院に入って、すでに6時間が経過していた。
イメージと違うと、服やスタイルをどう選んでいいのかまたな悩まなければならないのだが、それほど多岐に渡る服装をしているわけではないので、しばらく“トトリたまみ”として生活していくしかなさそうだ。
いやいやそれ以上に、こういう髪型にすると、母にそっくりな自分が顔を出して驚いてしまった。
それにしても、カットの技術は30年前よりも多様な技術があるのだろうと思うし、さまざまな表現ができるようになったと思うのだが、それがヘアカタログに載っている髪型のただ一方にだけ発揮されている現実は、非常にもったいないと思う。
昔の美容師は、ない技術の中でいかにさまざまな表現をしようかとがんばった。
今の美容師さんは、二の句を告げば「それはアレンジで」と言う。
自分のカット技術で表現しようとは思わないのだろう。それを逃げにしてしまえば、そこから先はないと思うのだが。
それとも、私のイメージの伝え方が下手なのか。
それとも、今の「スタイリスト」という肩書きの美容師さんは、クリエイターではないのだろうか。
イマジネーションを持たないクリエイターなど、ありえないだろうと個人的には思うのだが。
ただ、どんなに愚痴を言っても、ヘアカタログに載っていない流行を無視した戦いはこれからも続く。
◇カルピスのアレルケア ― 2014年03月13日 01時35分13秒
40歳を過ぎたあたりから、それまで顕在的に持っていたであろうアレルギーの症状が具体的に顔を出してきた。
花粉症は言うに及ばず、冬になると寝るときにくしゃみがとまらなくなり、同時に咳も併発して、喉をつまらせてしまうのだ。
この症状がアレルギーからくる喘息だということに気づくには、非常に時間がかかった。
何故なら、当時私は喫煙者だったからだ。
35歳を過ぎたあたりから、常に喉の調子が悪く、呼吸器に慢性的な違和感を感じていた。
呼吸器科を訪ねたが、当時は禁煙外来が一般的でなかったせいか、呼吸器科の医師は私にこう言った。
「喫煙者の人は呼吸器疾患を治す意思がないのだから、私は診ません」
この言葉を言われてから数年、私は呼吸器科を受診できずにいた。
別な病院に行くことも考えたが、同じようなことを言われるのが怖かったのだ。
その後私は、成人歯列矯正をして欠損していた奥歯にインプラントを入れることを決意した。その時に、私の周囲にいた唯一の喫煙者の友人がタバコを辞めたのをきっかけに、私も禁煙を決意した。
インプラントには歯周病が大敵であり、それを予防する第一歩が禁煙だったからだ。
それから5年数か月、私はただの一本もタバコを吸っていない。
いや、吸いたくても吸えない状況に陥ったのだ。
禁煙した当時はそうでもなかったのだが、禁煙して2年くらいした頃に、タバコの臭いを感知するだけで、吐き気をもよおし、涙目になって呼吸が乱れ、声が出なくなり、動悸が激しくなって人事不正に陥る。
タバコの煙の有無はどうでもよく、タバコの臭いがダメなのだから始末が悪い。
自分の昔吸っていたタバコの臭いが持ち物にしみこんでいて、物の整理をすると具合が悪くなるほどだった。
調べると、タバコのアレルギーというのは存在しないらしい。
あるのは、化学物質過敏症という病気らしい。
タバコの臭いと同じように、新建材にも同じような反応をする。
ある建売住宅の内見では、5分とそこにいられなかったこともある。
自分ではどうしようもない上に、認知度も低いせいか他人に説明するのも大変である。
タバコがダメというと、ただ単純に嫌煙を疑われたりするだけで、タバコの煙がなければいいだろうなどと、勝手な判断をされることが多いからだ。
それから常にタバコの臭いから逃げて生活する毎日が続き、花粉の季節にはダブルで刺激を受けるため、春先はあまり外出しなくなってしまう。
今回引越しをすることが決まり、私は新しい家に越すことよりも、新建材の臭いの中での生活に心を重くしていた。
そんなときに、カルピスのアレルケアの広告を見たのだ。
通常なら、この手のサプリメントはあまり信用しないのだが、その時は試してみようと思ったのだ。
アレルケアを摂取して4ヶ月が経つが、3月に入っても花粉の飛散量がいつもの年より少なめではあるものの、今のところいつものように箱ティッシュを持ち歩くような事態には陥っていない。
耳鼻科に行ってヒスタミンの注射は一本だけ受けたが、一週間以上経っても症状が重くなる兆候はまだない。
また、現在我が家の前の家が建築中で、作業員の人が外でタバコを吸うので大変迷惑をしている。
それでも、タバコの臭いを感知して自分でそこから逃げるだけの余裕ができた。
相変わらず発作は起きるものの、マスクをしたりハンカチを口元にあてるなどのケアができるくらいにはなった。
これらが“改善”となるのかどうかはわからない。
全てがアレルケアのおかげかどうかもわからないが、少なくともいつもの花粉の季節とは圧倒的に違う生活を送っているし、タバコに対しても心に余裕ができたことは確かだ。
今年は花粉症の症状が軽いせいか、耳鼻科での飲み薬はでなかったが、鼻炎スプレーと目薬は処方されたし、通年を通して喘息の治療は受けている。
入居するときに、新建材の臭いなどを軽減するために、窓ガラスに光触媒を塗ってもらったのだが、この効果の高さにも驚き、そして安心しているせいもあるのかもしれない。
いずれにしても、アレルケアを飲み始めてから少し体調が変わった実感があるのは事実なので、もう少し飲み続けてみようと思ったりしている。
カルピス アレルケア
花粉症は言うに及ばず、冬になると寝るときにくしゃみがとまらなくなり、同時に咳も併発して、喉をつまらせてしまうのだ。
この症状がアレルギーからくる喘息だということに気づくには、非常に時間がかかった。
何故なら、当時私は喫煙者だったからだ。
35歳を過ぎたあたりから、常に喉の調子が悪く、呼吸器に慢性的な違和感を感じていた。
呼吸器科を訪ねたが、当時は禁煙外来が一般的でなかったせいか、呼吸器科の医師は私にこう言った。
「喫煙者の人は呼吸器疾患を治す意思がないのだから、私は診ません」
この言葉を言われてから数年、私は呼吸器科を受診できずにいた。
別な病院に行くことも考えたが、同じようなことを言われるのが怖かったのだ。
その後私は、成人歯列矯正をして欠損していた奥歯にインプラントを入れることを決意した。その時に、私の周囲にいた唯一の喫煙者の友人がタバコを辞めたのをきっかけに、私も禁煙を決意した。
インプラントには歯周病が大敵であり、それを予防する第一歩が禁煙だったからだ。
それから5年数か月、私はただの一本もタバコを吸っていない。
いや、吸いたくても吸えない状況に陥ったのだ。
禁煙した当時はそうでもなかったのだが、禁煙して2年くらいした頃に、タバコの臭いを感知するだけで、吐き気をもよおし、涙目になって呼吸が乱れ、声が出なくなり、動悸が激しくなって人事不正に陥る。
タバコの煙の有無はどうでもよく、タバコの臭いがダメなのだから始末が悪い。
自分の昔吸っていたタバコの臭いが持ち物にしみこんでいて、物の整理をすると具合が悪くなるほどだった。
調べると、タバコのアレルギーというのは存在しないらしい。
あるのは、化学物質過敏症という病気らしい。
タバコの臭いと同じように、新建材にも同じような反応をする。
ある建売住宅の内見では、5分とそこにいられなかったこともある。
自分ではどうしようもない上に、認知度も低いせいか他人に説明するのも大変である。
タバコがダメというと、ただ単純に嫌煙を疑われたりするだけで、タバコの煙がなければいいだろうなどと、勝手な判断をされることが多いからだ。
それから常にタバコの臭いから逃げて生活する毎日が続き、花粉の季節にはダブルで刺激を受けるため、春先はあまり外出しなくなってしまう。
今回引越しをすることが決まり、私は新しい家に越すことよりも、新建材の臭いの中での生活に心を重くしていた。
そんなときに、カルピスのアレルケアの広告を見たのだ。
通常なら、この手のサプリメントはあまり信用しないのだが、その時は試してみようと思ったのだ。
アレルケアを摂取して4ヶ月が経つが、3月に入っても花粉の飛散量がいつもの年より少なめではあるものの、今のところいつものように箱ティッシュを持ち歩くような事態には陥っていない。
耳鼻科に行ってヒスタミンの注射は一本だけ受けたが、一週間以上経っても症状が重くなる兆候はまだない。
また、現在我が家の前の家が建築中で、作業員の人が外でタバコを吸うので大変迷惑をしている。
それでも、タバコの臭いを感知して自分でそこから逃げるだけの余裕ができた。
相変わらず発作は起きるものの、マスクをしたりハンカチを口元にあてるなどのケアができるくらいにはなった。
これらが“改善”となるのかどうかはわからない。
全てがアレルケアのおかげかどうかもわからないが、少なくともいつもの花粉の季節とは圧倒的に違う生活を送っているし、タバコに対しても心に余裕ができたことは確かだ。
今年は花粉症の症状が軽いせいか、耳鼻科での飲み薬はでなかったが、鼻炎スプレーと目薬は処方されたし、通年を通して喘息の治療は受けている。
入居するときに、新建材の臭いなどを軽減するために、窓ガラスに光触媒を塗ってもらったのだが、この効果の高さにも驚き、そして安心しているせいもあるのかもしれない。
いずれにしても、アレルケアを飲み始めてから少し体調が変わった実感があるのは事実なので、もう少し飲み続けてみようと思ったりしている。
カルピス アレルケア
◇行き着いた先の下着とナプキン ― 2013年10月28日 03時47分46秒
今回は下着と生理用品の話である。
今年は寒さが突然やってきた。
この季節になると腹巻が手離せない。腹を冷やすと腸閉塞になるからだ。
婦人科の治療も長年継続しているので、冷えは最大の敵である。
一時期は貼るカイロも手離せなかったが、肌の負担が大きく、更にあまり温めすぎると身体への負担が大きいことがわかってから、必要以上に温めることはしない。肌表面を温めすぎると、かえって身体の深部を冷やす事を実感したからだ。
数年前までは保温性の高い新素材の下着なども試してみたが、どうしても肌に合わないものが多く、去年良くても新しい年にはさらに新化していて、それが合わなかったりする。
もう毎年新素材の下着を探し続けるのはうんざりだ。
今年の春、フェリシモのカタログに絹のショーツが出ていたのを見た。
「冷えとり専科 女性をまるごとあたため習慣 新発想の積層構造 はくだけ冷えとりショーツの会」
フェリシモは、突然愛用していた商品がなくなったり、サイズがなくなったりするし、少し割高なので敬遠していたのだが、新素材にうんざりしていたところに、これはちょっと興味をそそられた。
クロッチ部分は綿と絹を重ねており、その他の部分は綿で出てきている。
他のサイトで口コミを見てみると、絹の部分の洗濯が面倒とか、普通に洗うと絹がゴワゴワになるといった意見があり、好意的な意見が少なかったのだが、へそまであるデカパンタイプで、大きいサイズもあることから、値段は少し高いが一枚試してみようと思い購入した。
これが当たりだったのだ。
本体部分は厚手で足の部分も深くできているので、窮屈さはまったくない。
クロッチ部分は絹なので確かに普通に洗濯するとゴワゴワになることはなるのだが、はいてしまえばあまり気にならなかった。
何より、股から腹にかけて冷えない実感は大きかった。
最初に購入したのが3月で、夏場も愛用していたが、ムレることはほとんどない。
それよりも、吸収がよいので夏場の分泌物の臭いも気にならなかった。
韓国では、股から子宮を温める冷え性予防の方法もあるようで、よもぎ温座パットなどの製品も発売されている。 私はあいにく、これを使用すると股がかぶれて具合が悪かったのだが、原理的にはこれを更にソフトにしたものだと勝手に解釈している。
これと平行して最近愛用しているのは、布ナプキンだ。
通販ではよく見かけたがちょっと敷居が高く躊躇していると、近所のショッピングモールに最近出店した雑貨屋さんで発見。
オリモノシート代わりに薄手のを購入。ネル生地のと綿のと二種類買ってみたが、ネル生地のは本当に心地好く、冷えとりショーツでない日はいつもこれを装着しないと気持ち悪いくらいだ。
布ナプキンは洗濯が面倒という印象があったが、私は一日の大半をほとんど家で過ごすので、ハンドソープと水(お湯で洗うと分泌物が固まってしまうので、必ず水で)でざっと洗ってあとは普通に洗濯している。
専用の洗剤は使用せず。
先日のNHK朝イチの生理の特集で出演されていた皮膚科の医師が、「肌が弱い人は普段使用しているボディソープなどで洗濯するのがお勧め」と言っていたのを実践したみたら、これで十分と実感した。
肌かぶれもないし、身体が温かいような気がするので、この二つはしばらく実践しみようと思っている。
フェリシモ
「冷えとり専科 女性をまるごとあたため習慣 新発想の積層構造 はくだけ冷えとりショーツの会」
優月美人 よもぎ温座パット
nunonapukin.jp
今年は寒さが突然やってきた。
この季節になると腹巻が手離せない。腹を冷やすと腸閉塞になるからだ。
婦人科の治療も長年継続しているので、冷えは最大の敵である。
一時期は貼るカイロも手離せなかったが、肌の負担が大きく、更にあまり温めすぎると身体への負担が大きいことがわかってから、必要以上に温めることはしない。肌表面を温めすぎると、かえって身体の深部を冷やす事を実感したからだ。
数年前までは保温性の高い新素材の下着なども試してみたが、どうしても肌に合わないものが多く、去年良くても新しい年にはさらに新化していて、それが合わなかったりする。
もう毎年新素材の下着を探し続けるのはうんざりだ。
今年の春、フェリシモのカタログに絹のショーツが出ていたのを見た。
「冷えとり専科 女性をまるごとあたため習慣 新発想の積層構造 はくだけ冷えとりショーツの会」
フェリシモは、突然愛用していた商品がなくなったり、サイズがなくなったりするし、少し割高なので敬遠していたのだが、新素材にうんざりしていたところに、これはちょっと興味をそそられた。
クロッチ部分は綿と絹を重ねており、その他の部分は綿で出てきている。
他のサイトで口コミを見てみると、絹の部分の洗濯が面倒とか、普通に洗うと絹がゴワゴワになるといった意見があり、好意的な意見が少なかったのだが、へそまであるデカパンタイプで、大きいサイズもあることから、値段は少し高いが一枚試してみようと思い購入した。
これが当たりだったのだ。
本体部分は厚手で足の部分も深くできているので、窮屈さはまったくない。
クロッチ部分は絹なので確かに普通に洗濯するとゴワゴワになることはなるのだが、はいてしまえばあまり気にならなかった。
何より、股から腹にかけて冷えない実感は大きかった。
最初に購入したのが3月で、夏場も愛用していたが、ムレることはほとんどない。
それよりも、吸収がよいので夏場の分泌物の臭いも気にならなかった。
韓国では、股から子宮を温める冷え性予防の方法もあるようで、よもぎ温座パットなどの製品も発売されている。 私はあいにく、これを使用すると股がかぶれて具合が悪かったのだが、原理的にはこれを更にソフトにしたものだと勝手に解釈している。
これと平行して最近愛用しているのは、布ナプキンだ。
通販ではよく見かけたがちょっと敷居が高く躊躇していると、近所のショッピングモールに最近出店した雑貨屋さんで発見。
オリモノシート代わりに薄手のを購入。ネル生地のと綿のと二種類買ってみたが、ネル生地のは本当に心地好く、冷えとりショーツでない日はいつもこれを装着しないと気持ち悪いくらいだ。
布ナプキンは洗濯が面倒という印象があったが、私は一日の大半をほとんど家で過ごすので、ハンドソープと水(お湯で洗うと分泌物が固まってしまうので、必ず水で)でざっと洗ってあとは普通に洗濯している。
専用の洗剤は使用せず。
先日のNHK朝イチの生理の特集で出演されていた皮膚科の医師が、「肌が弱い人は普段使用しているボディソープなどで洗濯するのがお勧め」と言っていたのを実践したみたら、これで十分と実感した。
肌かぶれもないし、身体が温かいような気がするので、この二つはしばらく実践しみようと思っている。
フェリシモ
「冷えとり専科 女性をまるごとあたため習慣 新発想の積層構造 はくだけ冷えとりショーツの会」
優月美人 よもぎ温座パット
nunonapukin.jp
◇人間ドックに行く ― 2013年05月14日 00時10分30秒
人間ドックに行ってきた。
いつもは6月に受けるのだが、6月は混むのと賞与が出て多少なりとも気持ちが大きくなって、つい食べ過ぎた後のツケが如実に出るので、今年は5月にしてみた。
しかし、連休で浮かれた毎日を送ったツケの結果が出るのは同じだということに気づいたのは、検査の当日であった。
要は、健康は常に留意しなければ身に付かないということなのだ。
旦那はもともと体質的にコレステロール値が高い体質のだが、若いときは「体質」ですんでも40を超えるとそういうわけにはいかないらしい。
数年前にコレステロール値を下げるべく、昼食は揚げ物仕出し弁当から手作り愛妻弁当、そして深夜のウォーキングと、かなり健康を意識した生活切り替えに成功した。
しかし、昨年旦那の職場移動と私の仕事が忙しくなってしまったことで、もとの適当生活に逆戻りしてしまった。
一つだけ違うことは、一度意識した野菜を中心にした食事だとか、食べる順番を繊維質のものからを心がけるなどは実践している。
しかし、一昨年と比較してかなりのジャンク生活を自覚するだけに、今年のコレステロール値は恐怖の対象でもあったのだ。
今年の人間ドックから、胃のバリウム検査を胃カメラに変更したのだが、旦那は胃カメラの鎮静剤で突然意識を失い、検査の間中寝ていたらしい。
目が覚めたときには胃カメラ開始から一時間が経過していた。
私は鎮静剤がブスコパンだったが、旦那はグルカゴンというもので、注意事項に「低血糖を起す」と書いてある。
該当者は検査後に甘いものを摂取するように注意書きに書いてあったが、旦那は胃炎が見つかりそのまま外来受信→再検査となったため、二人がその日の昼食にありつけるまで甘いものを摂取することができなかったのが、ちょっと怖いと思った。
旦那は胃炎の発見があったが、同時にピロリ菌の検査もしてもらえたので、ついでとはいえ怪我の功名だったかもしれない。
最後の問診で、私は去年よりはコレステロール値は高かったもののギリギリ範囲内、血糖値も正常、婦人科はこのまま治療を継続と、特に悪いところもなく、あるとすれば体重を落とすということだけだった。
しかし、旦那はやはり懸念していたコレステロール値が一気に上がり、一昨年に意識していた生活がいかに貴重であったかを物語った。
また、適当生活の中でも食事だけはある程度気をつけてはいたものの、やはり同時の運動がいかに大切かを痛感させられる。
先週軽い腸閉塞をやらかし救急搬送されていた私は、点滴の血管注射が異様に下手なインターンの医者にあらゆる腕の血管をダメにされていたので、両腕が内出血だらけで、採血のときも胃カメラの鎮静剤を入れるときも、血管の確保にひどく手間取ってしまった。
結局確保できたのは手の甲。
先週も手の甲から輸液をされていたので、私の腕と手の甲は、まるでDVの痕のようになっているのが我ながら痛々しい。
ドックの結果が手元に届くのは一ヶ月くらい後になるが、その間にもコレステロール値を下げる計画をまたたてなければと考えるのだった。
いつもは6月に受けるのだが、6月は混むのと賞与が出て多少なりとも気持ちが大きくなって、つい食べ過ぎた後のツケが如実に出るので、今年は5月にしてみた。
しかし、連休で浮かれた毎日を送ったツケの結果が出るのは同じだということに気づいたのは、検査の当日であった。
要は、健康は常に留意しなければ身に付かないということなのだ。
旦那はもともと体質的にコレステロール値が高い体質のだが、若いときは「体質」ですんでも40を超えるとそういうわけにはいかないらしい。
数年前にコレステロール値を下げるべく、昼食は揚げ物仕出し弁当から手作り愛妻弁当、そして深夜のウォーキングと、かなり健康を意識した生活切り替えに成功した。
しかし、昨年旦那の職場移動と私の仕事が忙しくなってしまったことで、もとの適当生活に逆戻りしてしまった。
一つだけ違うことは、一度意識した野菜を中心にした食事だとか、食べる順番を繊維質のものからを心がけるなどは実践している。
しかし、一昨年と比較してかなりのジャンク生活を自覚するだけに、今年のコレステロール値は恐怖の対象でもあったのだ。
今年の人間ドックから、胃のバリウム検査を胃カメラに変更したのだが、旦那は胃カメラの鎮静剤で突然意識を失い、検査の間中寝ていたらしい。
目が覚めたときには胃カメラ開始から一時間が経過していた。
私は鎮静剤がブスコパンだったが、旦那はグルカゴンというもので、注意事項に「低血糖を起す」と書いてある。
該当者は検査後に甘いものを摂取するように注意書きに書いてあったが、旦那は胃炎が見つかりそのまま外来受信→再検査となったため、二人がその日の昼食にありつけるまで甘いものを摂取することができなかったのが、ちょっと怖いと思った。
旦那は胃炎の発見があったが、同時にピロリ菌の検査もしてもらえたので、ついでとはいえ怪我の功名だったかもしれない。
最後の問診で、私は去年よりはコレステロール値は高かったもののギリギリ範囲内、血糖値も正常、婦人科はこのまま治療を継続と、特に悪いところもなく、あるとすれば体重を落とすということだけだった。
しかし、旦那はやはり懸念していたコレステロール値が一気に上がり、一昨年に意識していた生活がいかに貴重であったかを物語った。
また、適当生活の中でも食事だけはある程度気をつけてはいたものの、やはり同時の運動がいかに大切かを痛感させられる。
先週軽い腸閉塞をやらかし救急搬送されていた私は、点滴の血管注射が異様に下手なインターンの医者にあらゆる腕の血管をダメにされていたので、両腕が内出血だらけで、採血のときも胃カメラの鎮静剤を入れるときも、血管の確保にひどく手間取ってしまった。
結局確保できたのは手の甲。
先週も手の甲から輸液をされていたので、私の腕と手の甲は、まるでDVの痕のようになっているのが我ながら痛々しい。
ドックの結果が手元に届くのは一ヶ月くらい後になるが、その間にもコレステロール値を下げる計画をまたたてなければと考えるのだった。
◇予防接種の履歴を知りたい ― 2013年04月02日 01時22分39秒
巷で風疹が流行っている。
妊娠している人が風疹にかかった場合に、産まれた子供に障がいが出るケースがあるとのニュースを耳にする。
この手のニュースは毎年のように、なんかかんか病気が変わってニュースになる。
現在行われている予防接種のシステムが問題になる場合もあるし、現在の風疹のように過去の接種を受けたか受けないかが問題になっているケースもある。
風疹云々とは別に、自分は予防接種と言われるものは、どういうものを受けているのか気になった。
うちには子供がいないので、恥ずかしながら予防接種というものがどのようなシステムで現在行われているのかとか、現在はどういうものが接種されているのかなどまったくわからない。
私的に受けたのは別として、昔は学校で一斉に予防接種を受けていた。それより前は親の任意で病院で受けていたのだろう。
公的な予防接種はみんなが受けたのだから、何年生まれから何年生まれの人は、何々の予防接種を受けているかどうかだけでも公開されているのだろうと思ったのだが、インターネットで「予防接種 履歴」などでググっても出てこない。
出てきたのは、
国内外の最新医療情報を発信!QLifePro医療ニュース
2012年08月03日 PM12:00
アメリカで話題!ワクチン接種履歴をオンラインで確認可能に
米国インディアナ州での新しい試み
7月24日付、アメリカ発インターネット情報サイトwane.comによると、アメリカ連邦政府と州事務局は、インディアナ州の保健局が、インディアナ州地区の住民らの予防接種履歴をインターネット上で確認できるシステム「MyVaxIndiana」の提供を発表した。
<中略>
日本においては、各自の予防接種履歴は、出生時に配布される母子手帳に記録され、各自で保管、確認することになる。引っ越しなどによる紛失の可能性もあり、親の記憶に頼ることも多い。このようなシステムが日本でも実施されることを望む。
<引用終わり>
となっている。
別な類似記事でも、『去年日本脳炎のワクチン接種で亡くなった10歳の男の子の事件に際し、併用禁忌とされている2種類の薬を服用していたことが判明していることで、このようなシステムの重要性を示唆している(そめやデンタルクリニック「お知らせブログ」『予防接種履歴確認システム』2012年11月9日)』。
これを見てみると、現在日本では、自分がいつどんな公的予防接種を受けたのかは、大雑把にでもわからないらしい。情報が開示されていないというやつだ。
それで所管に保険所に聞いてみたところ、そのような資料は公開されていないとのこと。
だいたいの人が母子手帳に記録されいるはずだと言われたが、小学校の予防接種で学校に母子手帳を持参した記憶はない。
そのことを質問したところ、「母親に連絡がいっているはずなので、母親が記録していることになっている」との返事。「あなたが小学校の頃は、そんな連絡が親にいっていたことをあなた自身ご存知でしたか?」と質問したところ、保険所の女性は「いや~記憶にないですね」と苦笑いしていた。
厚生労働省の予防接種室というところに聞いてみたら、質問して一番最初に聞かれたのは「B型肝炎の訴訟に関することですか?」というもの。
どちらの機関にも、質問の意図として「今回報道されている風疹の予防接種の有無を考えたところ、自分がこれまでどんな予防接種を受けたかを知りたかった」と伝えた。
その返事として、風疹に関してだけ言えば、20代~40代と報道されてはいるが、1977年から1994年までは学校で接種が行われており、私の年代では中学校で女子のみが接種が行われたらしい。
なぜ女子だけだったのかなどの詳しいことは、対応してくれた方も資料を確認しながらで詳しいことは答えられそうになかったので聞かなかった。
また、子供の頃に予防接種を受けても、年齢と共に抗体が弱くなってきて、それは個人差があるので、自分でどんな抗体を持っているかは、抗体検査(保険適用外)を受けるとわかると教えてくれた。費用としては格差はあるものの、だいたい1万円強くらいらしい。
返答として特徴的は、「そんなこと初めて質問されました」的な対応。
グーグルで「予防接種」で検索すると、2番目か3番目に検索履歴にひっかかってくる文言なのに、そんなわけねーだろと言いたい。
それにしても、母親がマメな性格でない限り、記録は正しく行われていない可能性もあるわけだ。
災害などで消失している可能性だってあるし、さまざまな理由で親がすでに管理していない場合だってあるだろう
海外移住のときなどは履歴がないと困る場合だってあるはずだし、なんとなく自分の身体に何を注入されているのか知りたいと思うのは、今の世の中では当然の要求であるような気がするのだが。
B型肝炎訴訟の例もあるので、知られては困る理由でもあるのだろうか。
みんなが知っているし調べればわかりそうなものなのだが、なぜ情報開示しないのか不思議でならない。
それにしても、国民人口を増やす目的の一つとして予防接種というのが行われているのに、そのシステムがおざなりなばかりに、かえって人口を減らす原因の一つになっているのではないかと思うと、本末転倒なのではないかと思うのは、私だけなのだろうか。
年齢と共に抗体が弱くなるのであれば、人間ドックなどで任意に抗体検査を行い、必要であれば接種するシステムがあればいいと思うのだが。
まして、コンピュータがここまで普及している現代で、このような情報が母親まかせというのもいかがなものかと思ったりする。
訴訟目的の人はもっと詳しい履歴が必要かとは思うが、自分のことが知りたいだけなら何年生まれの人がいつ頃どこで何の予防接種を受けたのかが表になっているだけでもいいと思うのだが、そんな簡単なことではないのだろうか。
せめて、自分の身体に国が何をいつ入れたのかだけでも開示してほしいと心底願うと共に、夫婦二人で抗体検査を受けると、けっこうな出費だなあと思ったりするのであった。
妊娠している人が風疹にかかった場合に、産まれた子供に障がいが出るケースがあるとのニュースを耳にする。
この手のニュースは毎年のように、なんかかんか病気が変わってニュースになる。
現在行われている予防接種のシステムが問題になる場合もあるし、現在の風疹のように過去の接種を受けたか受けないかが問題になっているケースもある。
風疹云々とは別に、自分は予防接種と言われるものは、どういうものを受けているのか気になった。
うちには子供がいないので、恥ずかしながら予防接種というものがどのようなシステムで現在行われているのかとか、現在はどういうものが接種されているのかなどまったくわからない。
私的に受けたのは別として、昔は学校で一斉に予防接種を受けていた。それより前は親の任意で病院で受けていたのだろう。
公的な予防接種はみんなが受けたのだから、何年生まれから何年生まれの人は、何々の予防接種を受けているかどうかだけでも公開されているのだろうと思ったのだが、インターネットで「予防接種 履歴」などでググっても出てこない。
出てきたのは、
国内外の最新医療情報を発信!QLifePro医療ニュース
2012年08月03日 PM12:00
アメリカで話題!ワクチン接種履歴をオンラインで確認可能に
米国インディアナ州での新しい試み
7月24日付、アメリカ発インターネット情報サイトwane.comによると、アメリカ連邦政府と州事務局は、インディアナ州の保健局が、インディアナ州地区の住民らの予防接種履歴をインターネット上で確認できるシステム「MyVaxIndiana」の提供を発表した。
<中略>
日本においては、各自の予防接種履歴は、出生時に配布される母子手帳に記録され、各自で保管、確認することになる。引っ越しなどによる紛失の可能性もあり、親の記憶に頼ることも多い。このようなシステムが日本でも実施されることを望む。
<引用終わり>
となっている。
別な類似記事でも、『去年日本脳炎のワクチン接種で亡くなった10歳の男の子の事件に際し、併用禁忌とされている2種類の薬を服用していたことが判明していることで、このようなシステムの重要性を示唆している(そめやデンタルクリニック「お知らせブログ」『予防接種履歴確認システム』2012年11月9日)』。
これを見てみると、現在日本では、自分がいつどんな公的予防接種を受けたのかは、大雑把にでもわからないらしい。情報が開示されていないというやつだ。
それで所管に保険所に聞いてみたところ、そのような資料は公開されていないとのこと。
だいたいの人が母子手帳に記録されいるはずだと言われたが、小学校の予防接種で学校に母子手帳を持参した記憶はない。
そのことを質問したところ、「母親に連絡がいっているはずなので、母親が記録していることになっている」との返事。「あなたが小学校の頃は、そんな連絡が親にいっていたことをあなた自身ご存知でしたか?」と質問したところ、保険所の女性は「いや~記憶にないですね」と苦笑いしていた。
厚生労働省の予防接種室というところに聞いてみたら、質問して一番最初に聞かれたのは「B型肝炎の訴訟に関することですか?」というもの。
どちらの機関にも、質問の意図として「今回報道されている風疹の予防接種の有無を考えたところ、自分がこれまでどんな予防接種を受けたかを知りたかった」と伝えた。
その返事として、風疹に関してだけ言えば、20代~40代と報道されてはいるが、1977年から1994年までは学校で接種が行われており、私の年代では中学校で女子のみが接種が行われたらしい。
なぜ女子だけだったのかなどの詳しいことは、対応してくれた方も資料を確認しながらで詳しいことは答えられそうになかったので聞かなかった。
また、子供の頃に予防接種を受けても、年齢と共に抗体が弱くなってきて、それは個人差があるので、自分でどんな抗体を持っているかは、抗体検査(保険適用外)を受けるとわかると教えてくれた。費用としては格差はあるものの、だいたい1万円強くらいらしい。
返答として特徴的は、「そんなこと初めて質問されました」的な対応。
グーグルで「予防接種」で検索すると、2番目か3番目に検索履歴にひっかかってくる文言なのに、そんなわけねーだろと言いたい。
それにしても、母親がマメな性格でない限り、記録は正しく行われていない可能性もあるわけだ。
災害などで消失している可能性だってあるし、さまざまな理由で親がすでに管理していない場合だってあるだろう
海外移住のときなどは履歴がないと困る場合だってあるはずだし、なんとなく自分の身体に何を注入されているのか知りたいと思うのは、今の世の中では当然の要求であるような気がするのだが。
B型肝炎訴訟の例もあるので、知られては困る理由でもあるのだろうか。
みんなが知っているし調べればわかりそうなものなのだが、なぜ情報開示しないのか不思議でならない。
それにしても、国民人口を増やす目的の一つとして予防接種というのが行われているのに、そのシステムがおざなりなばかりに、かえって人口を減らす原因の一つになっているのではないかと思うと、本末転倒なのではないかと思うのは、私だけなのだろうか。
年齢と共に抗体が弱くなるのであれば、人間ドックなどで任意に抗体検査を行い、必要であれば接種するシステムがあればいいと思うのだが。
まして、コンピュータがここまで普及している現代で、このような情報が母親まかせというのもいかがなものかと思ったりする。
訴訟目的の人はもっと詳しい履歴が必要かとは思うが、自分のことが知りたいだけなら何年生まれの人がいつ頃どこで何の予防接種を受けたのかが表になっているだけでもいいと思うのだが、そんな簡単なことではないのだろうか。
せめて、自分の身体に国が何をいつ入れたのかだけでも開示してほしいと心底願うと共に、夫婦二人で抗体検査を受けると、けっこうな出費だなあと思ったりするのであった。
◇1400日に思うこと ― 2012年10月01日 19時51分03秒
今日は、禁煙をしてからちょうど1400日らしい。
このブログの右エリアのブログパーツも、最初に設定したものが一時期使用不可能になったので、途中で違うものに替えたのだが、新しいのは節約されたタバコ代が換算できるようになっている。
このタバコ代が一箱いくらの設定かは知らないが、1400日の間に80万円のタバコ代が節約されたことになっている。
80万円あったら何ができるかなと、ちょっと考えたりしてしまった。
タバコをやめると太るといわれて覚悟はしていたのだが、私は幸いにして特に体重の変化はなかった。
一番変化したのは、喘息が喘息であるとはっきりしたことだった。
喫煙者だった頃は、寝ているときにも気道狭さくをおこして呼吸困難になって目覚めたりすることもしばしばあった。
当時喘息を疑って呼吸器医に行ったが、私が行った医師は「喫煙者は病気を治す気持ちがない人だから、私は診ない」と言ったのだった。
病院で禁煙をするという時代はまだ先の頃だったから、この医師の発言は腹立たしいけれど納得はできるものだった。
しかし、私が実際に禁煙できるまではここから数年かかっているので、もしこのときに禁煙して治療を受けることができていたら、もう少し喘息もましだったのではと思ってしまう。
喫煙できない苦しさよりも、喘息の苦しさの方が大きかった。
これが、私が禁煙を成功させた一番の理由だと思っている。
禁煙してよかったのは、身体の不調がはっきりしたせいで、きちんとした治療を受けることができ、身体のコントロールもできるようになったことだった。
喫煙していたときは、確かにメンタル的には喫煙することでリラックスできていたと思っており、禁煙できない理由も概ねそんなところだったけれど、そのリラックスは実は全くリラックスされていないことに気づいたのも、禁煙してわかったことだった。
喫煙することで、私の身体のあちこちは悲鳴をあげ、不調になっても「タバコ吸ってるから仕方ないか」と思って適切な処置をしないできた。
それは身体も心も無理をした状態であったのだと思う。
タバコを吸っても身体に異変もなく死ぬ人もいることも知っているが、私は不調の原因の大半がタバコであったことを、喫煙中にも薄々気づいていて気づかないふりをしていたのだった。
自分に自分で嘘をついて喫煙していたことに対し、なんのためにそんなことをしていたのだろうと、マインドコントロールから開放されたかのような清々しい気持ちで今は振り返る。
だが、禁煙してもいいことばかりではない。これはちょっと困ったことだった。
最初の一年くらいは、同じ空間にタバコを吸う人がいたとしても、比較的平気にしていられたのに、年々タバコの煙にアレルギー反応が起きるようになり、今ではタバコの煙というよりはタバコの臭いだけで反応してしまう。
先日、20年ぶりにあるレストランに行ったときのこと。
神奈川県では分煙か禁煙が一般的なので、当然そういうレストランであると思って行ったのだった。
しかし、そのレストランは「喫煙レストラン」であった。お店の入口にもそれを示すステッカーが掲示されていたのだが、私はそれを見逃して入店してしまった。
入店して、隣の席の人がタバコを吸いだし、私は喘息の発作を起してしまった。お店の人が機転をきかせてくれ、タバコの煙の影響のない席を作ってくれたので、私はその店で食事をすませることができた。
しかし、その間店主のママがずっとこちらの様子を確認しに来て、そのときの表情がとても怒っているような感じだったのだ。
会計するときに、私は初めてママから「ここは喫煙できるレストランです」と告げられた。
「ちゃんとステッカーも貼って告知してあるんですよね」と、タバコが苦手なのにこの店を利用したことか迷惑であった、という意思表示をされたのだった。
これは完全に私のミスで、「神奈川県のレストランだから」という思い込みで安易に入店すべきではなく、自分自身がタバコアレルギーという病気を持っていることをもっと注意すべきだと痛感した出来事であった。
それでも、タバコの煙に対して配慮してくれ、食事をさせてくれたウエイトレスさんには感謝したが、ママが嫌煙者である客を監視するほど苦々しく思っているのであれば、私が発作を起したときにはまだ料理もできていなかったのだし、そのとき言ってくれればよかったのになあと、ちょっとだけ思った。
タバコの分煙、禁煙が徐々に浸透しつつある神奈川県だが、まだまだ飲み屋関係ではなかなかそこまでいかないのが現状である。
おかげで、常連さんが圧倒的に喫煙者が多い馴染みのすし屋では、私たちが行くとお客さん総出で気を使わせてしまうので行けなくなってしまった。
焼き鳥屋に行きたくても、焼き鳥の炭火焼の煙は平気でも、その中でタバコを吸われてしまうと、発作が起きてしまう。煙の中だからいいだろうは、アレルギーには通用しないのだ。
一番困ったのは、あちこち吟味した末にやっと見つけた美容院の担当者が、喫煙者であることだった。目の前でタバコを吸うことはなくても、パーマの途中で喫煙されて戻ってくると、手にヤニがついていて、非常に苦しい思いをしなければならない。
一度、目にパーマ液が入ってしまい、担当者が濡れたティッシュを持ってきてくれたのだが、そのティッシュがヤニ臭く、「これはもうだめだ」と思い行けなくなってしまった。
技術も施設も気に入っていたので、これは痛恨の極みだった。
喫煙レストランの一件で、喫煙者は、嫌煙者に対しては憎しみのような感情を持ち合わせていることも知った。
私が喫煙者だったときも、あまりにも過剰反応する嫌煙者が何人かいたが、その大半は過去に喫煙経験のある人ばかりだ。
その反応を見て喫煙者だった私は非常に困った気持ちになったりもしたが、喫煙可のところにわざわざいて嫌煙を叫ぶ人の気持ちに賛同はできなかったので、そういう人には構わないでいた。でも、特に憎いと思ったこともなかった。
私は今は嫌煙者だが、病気なので「わざわざタバコを吸える場所に行って嫌煙を叫ぶ」なんてことはできない。
タバコを吸う人とは、たとえ目の前でタバコを吸っていなくても、できるだけ近づきたくないと思うだけだ。
公共の灰皿の近くに行ってわざわざ嫌煙を叫ぶ嫌煙者は、同じ嫌煙者でもあまり歓迎するものではない。
そんなことをするから、喫煙者と嫌煙者との理解が遠くなるばかりなのだろうとさえ思うからだ。
でも、喫煙者にとっては、そんな嫌煙者もタバコアレルギーで近づけない人も、嫌煙者であることにはかわりなく、嫌な存在であるのだろうと感じる。
自分が喫煙者のときには、そこまで考えていなかったが、タバコアレルギーの人が近くに来られなかったので知らないだけだったのだろうと思う。
タバコのアレルギーは嫌煙ではあるものの、気持ち的に「嫌い」ということではなく「身体が受け付けない」ので結果的に「嫌い」ということなので、我慢して喫煙者と同席できるようなものではないのだ。
小麦アレルギーの人に無理てしパンを食べさせる人はいないだろうし、蕎麦アレルギーの人を蕎麦屋に誘う人もいないと思う。
だけど、タバコは喫煙者が私の影響がでる範囲でタバコを吸う限り、私は発作と戦わなくてはならない。
家の中を掃除をしていて古いものを引っ張り出すと、たまにタバコの臭いがすることがある。それを感じて、発作の心配をしなければならない私は、過去の自分に復讐されているような気がしてならないのだ。
このブログの右エリアのブログパーツも、最初に設定したものが一時期使用不可能になったので、途中で違うものに替えたのだが、新しいのは節約されたタバコ代が換算できるようになっている。
このタバコ代が一箱いくらの設定かは知らないが、1400日の間に80万円のタバコ代が節約されたことになっている。
80万円あったら何ができるかなと、ちょっと考えたりしてしまった。
タバコをやめると太るといわれて覚悟はしていたのだが、私は幸いにして特に体重の変化はなかった。
一番変化したのは、喘息が喘息であるとはっきりしたことだった。
喫煙者だった頃は、寝ているときにも気道狭さくをおこして呼吸困難になって目覚めたりすることもしばしばあった。
当時喘息を疑って呼吸器医に行ったが、私が行った医師は「喫煙者は病気を治す気持ちがない人だから、私は診ない」と言ったのだった。
病院で禁煙をするという時代はまだ先の頃だったから、この医師の発言は腹立たしいけれど納得はできるものだった。
しかし、私が実際に禁煙できるまではここから数年かかっているので、もしこのときに禁煙して治療を受けることができていたら、もう少し喘息もましだったのではと思ってしまう。
喫煙できない苦しさよりも、喘息の苦しさの方が大きかった。
これが、私が禁煙を成功させた一番の理由だと思っている。
禁煙してよかったのは、身体の不調がはっきりしたせいで、きちんとした治療を受けることができ、身体のコントロールもできるようになったことだった。
喫煙していたときは、確かにメンタル的には喫煙することでリラックスできていたと思っており、禁煙できない理由も概ねそんなところだったけれど、そのリラックスは実は全くリラックスされていないことに気づいたのも、禁煙してわかったことだった。
喫煙することで、私の身体のあちこちは悲鳴をあげ、不調になっても「タバコ吸ってるから仕方ないか」と思って適切な処置をしないできた。
それは身体も心も無理をした状態であったのだと思う。
タバコを吸っても身体に異変もなく死ぬ人もいることも知っているが、私は不調の原因の大半がタバコであったことを、喫煙中にも薄々気づいていて気づかないふりをしていたのだった。
自分に自分で嘘をついて喫煙していたことに対し、なんのためにそんなことをしていたのだろうと、マインドコントロールから開放されたかのような清々しい気持ちで今は振り返る。
だが、禁煙してもいいことばかりではない。これはちょっと困ったことだった。
最初の一年くらいは、同じ空間にタバコを吸う人がいたとしても、比較的平気にしていられたのに、年々タバコの煙にアレルギー反応が起きるようになり、今ではタバコの煙というよりはタバコの臭いだけで反応してしまう。
先日、20年ぶりにあるレストランに行ったときのこと。
神奈川県では分煙か禁煙が一般的なので、当然そういうレストランであると思って行ったのだった。
しかし、そのレストランは「喫煙レストラン」であった。お店の入口にもそれを示すステッカーが掲示されていたのだが、私はそれを見逃して入店してしまった。
入店して、隣の席の人がタバコを吸いだし、私は喘息の発作を起してしまった。お店の人が機転をきかせてくれ、タバコの煙の影響のない席を作ってくれたので、私はその店で食事をすませることができた。
しかし、その間店主のママがずっとこちらの様子を確認しに来て、そのときの表情がとても怒っているような感じだったのだ。
会計するときに、私は初めてママから「ここは喫煙できるレストランです」と告げられた。
「ちゃんとステッカーも貼って告知してあるんですよね」と、タバコが苦手なのにこの店を利用したことか迷惑であった、という意思表示をされたのだった。
これは完全に私のミスで、「神奈川県のレストランだから」という思い込みで安易に入店すべきではなく、自分自身がタバコアレルギーという病気を持っていることをもっと注意すべきだと痛感した出来事であった。
それでも、タバコの煙に対して配慮してくれ、食事をさせてくれたウエイトレスさんには感謝したが、ママが嫌煙者である客を監視するほど苦々しく思っているのであれば、私が発作を起したときにはまだ料理もできていなかったのだし、そのとき言ってくれればよかったのになあと、ちょっとだけ思った。
タバコの分煙、禁煙が徐々に浸透しつつある神奈川県だが、まだまだ飲み屋関係ではなかなかそこまでいかないのが現状である。
おかげで、常連さんが圧倒的に喫煙者が多い馴染みのすし屋では、私たちが行くとお客さん総出で気を使わせてしまうので行けなくなってしまった。
焼き鳥屋に行きたくても、焼き鳥の炭火焼の煙は平気でも、その中でタバコを吸われてしまうと、発作が起きてしまう。煙の中だからいいだろうは、アレルギーには通用しないのだ。
一番困ったのは、あちこち吟味した末にやっと見つけた美容院の担当者が、喫煙者であることだった。目の前でタバコを吸うことはなくても、パーマの途中で喫煙されて戻ってくると、手にヤニがついていて、非常に苦しい思いをしなければならない。
一度、目にパーマ液が入ってしまい、担当者が濡れたティッシュを持ってきてくれたのだが、そのティッシュがヤニ臭く、「これはもうだめだ」と思い行けなくなってしまった。
技術も施設も気に入っていたので、これは痛恨の極みだった。
喫煙レストランの一件で、喫煙者は、嫌煙者に対しては憎しみのような感情を持ち合わせていることも知った。
私が喫煙者だったときも、あまりにも過剰反応する嫌煙者が何人かいたが、その大半は過去に喫煙経験のある人ばかりだ。
その反応を見て喫煙者だった私は非常に困った気持ちになったりもしたが、喫煙可のところにわざわざいて嫌煙を叫ぶ人の気持ちに賛同はできなかったので、そういう人には構わないでいた。でも、特に憎いと思ったこともなかった。
私は今は嫌煙者だが、病気なので「わざわざタバコを吸える場所に行って嫌煙を叫ぶ」なんてことはできない。
タバコを吸う人とは、たとえ目の前でタバコを吸っていなくても、できるだけ近づきたくないと思うだけだ。
公共の灰皿の近くに行ってわざわざ嫌煙を叫ぶ嫌煙者は、同じ嫌煙者でもあまり歓迎するものではない。
そんなことをするから、喫煙者と嫌煙者との理解が遠くなるばかりなのだろうとさえ思うからだ。
でも、喫煙者にとっては、そんな嫌煙者もタバコアレルギーで近づけない人も、嫌煙者であることにはかわりなく、嫌な存在であるのだろうと感じる。
自分が喫煙者のときには、そこまで考えていなかったが、タバコアレルギーの人が近くに来られなかったので知らないだけだったのだろうと思う。
タバコのアレルギーは嫌煙ではあるものの、気持ち的に「嫌い」ということではなく「身体が受け付けない」ので結果的に「嫌い」ということなので、我慢して喫煙者と同席できるようなものではないのだ。
小麦アレルギーの人に無理てしパンを食べさせる人はいないだろうし、蕎麦アレルギーの人を蕎麦屋に誘う人もいないと思う。
だけど、タバコは喫煙者が私の影響がでる範囲でタバコを吸う限り、私は発作と戦わなくてはならない。
家の中を掃除をしていて古いものを引っ張り出すと、たまにタバコの臭いがすることがある。それを感じて、発作の心配をしなければならない私は、過去の自分に復讐されているような気がしてならないのだ。
◇蛍族は殺人者になりたいのか?(怒) ― 2011年05月22日 06時44分33秒
■プロローグ
ここのところ、関東では朝晩は涼しいが、天気のいい日は日中25度を超す夏日になることもある。
私の住む集合住宅のうちの部屋は、風通しが良いせいか、南側のベランダと北側の窓を開けてやると、風が南から北に抜けるのでとても心地が良い。
今年は節電のためもあり、エアコンをつけるよりは窓を開ける家も増えるだろう。
我が家もできる限り、エアコンの使用は控えたいと思っている。
しかし、去年あたりから困った問題がおきた。
それは、我が家の周辺の部屋の人が、ベランダでタバコを吸うようになったからだ。
ここに越してきてから数年経つが、以前はそういうことはなかったので、ここ1~2年のことなのだ。
あるいは、約2年と4ヶ月以前は私自身喫煙者だったので、自分でそうとは気づかなかっただけなのかもしれない。
とにかく、平日は早朝に一服、心地の良い夕方に一服。休日ともなると、2時間おきに気配はやってくるのだ。
禁煙して身体から有害成分が抜けるに従い、タバコによってリアルタイムに悪かった症状がなくなったおかげで、喫煙当時からすでにタバコアレルギーであったことを、禁煙して知るところとなった。
症状の重い時期は、タバコをその時吸っていない喫煙者とすれ違っただけで息苦しくなり、動悸と頭痛が激しくなるようになった。
タバコの煙を察知するだけで、声がでなくなることもある。
症状の軽い時期でも、タバコの気配には、自分からは極力近づかないようにしている。
喫煙スペースが屋外にある場所など、外で気配を感じるときには、できるだけ息を止めて歩いたりもする。
嫌煙だとか以前に、自分の生死に関わる問題になってしまったからだ。
喫煙するお父さんの居場所がなくて、マンションなどの集合住宅でのベランダで喫煙するのが話題になったのは、1980年代後半のことだ。
当時はまだ国際的にも喫煙には寛容で、神経質な欧米社会の出来事だと思っていたが、いまやタバコ好き国民の中国やトルコのような国でも、タバコが歓迎されない時代となった。
今の時代、タバコに寛容な場所などほとんどないと言っていい。
蛍族と同時発生的に出てきた、「嫌煙家」の世界的な勝利と言っていいだろう。
■個人的見解
私は喫煙者だったので、喫煙者はタバコを購入することで非喫煙者よりも多くの税金を支払い、タバコを吸う吸わないは個人の自由であるということに、異論を唱えるつもりはない。
さらに、タバコを自分の家で吸うのを、他人にとやかく言われる筋合いではないだろう。
自宅に戻っても、喫煙者が自由に過ごせる場所は家族には認められないから、仕方なくベランダに出ているという理由もあるのかもしれない。
しかし、ベランダや集合住宅の廊下は、その建物の公共スペースである。
「公共スペース」は「自宅スペース」ではない。
たとえ、自分の部屋からのみ出入りができる場所であり、普段プライベートな洗濯物などが干され、プライベートな収穫物を育てるスペースだったり、敷地が広い場合はベランダに出てお食事なんてこともすることもあるような、とかくプライベート性の高いスペースであったとしても、ベランダは“自分の家”であって“自分の家”ではない。
集合住宅に住む住民は、「ベランダは公共スペース」であることを常に頭に入れて生活をしなければならないよう、入居時の契約書には必ず明記されているはずだ。
マンションのエレベーターが禁煙であるのと同じ理屈だ。
蛍族に関しての意見をネットを見ていても、「タバコ自体が合法だから自宅での喫煙に文句の言いようがない」とか、タバコと排気ガスを同等に論じられることも多い。
しかし、タバコが喫煙者と非喫煙者の相互のマナー意識や注意で、いかようにも被害を少なくすることができるのに対し、排気ガスは個人が車に乗らなかったとしても、路線バスや運送業のトラックなど、人が生活するうえで間接的に利用しているものも含まれているため、同一に論じるものでもないように個人的には思う。
同じ視点で論じるなら、アレルギー患者にとっては「0と1」と「0と100」はあまり変わらない現実がある。アレルゲンが存在するかしないかが問題だからだ。
もちろん、アレルゲンが少なければ、症状自体もそれなりに起こりにくかったり、軽かったりすることはある。
花粉症の人が、大気中の花粉の量で症状の軽減があるのと同じだ。
しかし、原因が1であっても発作が起こってしまえば重症化することもある。
車の排気ガスにアレルギーを持つ人がいたとしたら、車が100台走っていようが1台だけだろうが、やはり発作が起これば量は関係ないといえるだろう。
自分が車を持っていなくても、外を走る車にまったく関係しない人などほとんどいない。
生活をする上では流通は欠かせないものだし、車を持っていなければバスを利用する人だっている。それは、間接的に排気ガスを撒き散らしているのと同じだと思う。
排気ガスは、タバコのように、個人が注意をすることで防げるものではない。
ただの嫌煙なら、見方を変えればそういう論理も成り立つこともあるのかもしれないが(個人的にはナイが)、アレルギーは好き嫌いの問題ではない。
大気汚染の原因となる自動車や工場の煙などは、長い業界努力で、昔よりはだいぶましになってきた。
でも、タバコの煙は「少なくなった」とか「臭いが気にならない」というのはあるが、有害物質の量は、タバコの銘柄の問題になってしまう。
昔よりは軽いタバコが好まれるようになったとはいっても、自分の周囲を漂う煙の有害物質の量がどのくらいかは、やはり喫煙者個人の影響によるものが大きい。
タバコを目の敵にする人は、タバコや喫煙者の存在そのものよりも、喫煙者と吸殻の周辺に漂う副流煙とその臭いがいやなのだ。
中には喫煙所に行ってまで、嫌煙を声高に唱えるヒステリックな人もいるかもしれないが、タバコを吸う場所と吸えない場所をきっちり分けるのであれば、例え屋外に喫煙所があって周囲に煙と臭いが漂っていたとしても、その影響を受ける場所にわざわざいる嫌煙者が悪いとも思う。
(もちろん、灰皿の置いてある場所の問題もある。コンビニなどのように、入り口付近に灰皿があると、防ぎたくても防ぎようがないが。)
そういう意味では、「自宅」というパーソナルスペースに他人の影響が大きく関与するのは、あまり歓迎する問題ではない。それが健康被害に関係してくるなら、小さな問題でもないだろうと思う。
まともな感覚を持って集合住宅に住んでいるなら、騒音や臭いなど、隣近所に影響するようなものは、できるだけ個人個人で注意するのが住む人のマナーであり、集合住宅在住に限らず社会生活での最低限の決まりごとだ。
それはタバコだけの問題ではないだろう。
蛍族の問題に関しては、集合住宅での生活において個人が注意をすることで防げることであり、喫煙者と非喫煙者の一般的な論争と同じ位置づけをすること自体おかしな話だと思う。
部屋の中(自宅の占有スペース)でタバコを吸っていて、それが外に出て影響を受けているのとは訳が違う。
また、一家庭の中の喫煙問題は、個々の自宅スペースの中で解決する問題だ。家族の喫煙への反対だとか、自分の部屋が汚れるのを嫌うというのは、理由としては論外だ。
■でかい文字で赤く怒る
私はこれまで、このブログでも喫煙自体は否定しても、喫煙する自由を批判することは避けてきたつもりだ。
私自身の喫煙時代を言い訳すると、喫煙マナーが一般的な重要事項として認識してからは、外ではほとんど喫煙することはなかったし、タバコを持ち歩くことも稀だった。
喫煙していたのは自宅の仕事場がほとんどで、喫煙者である自分と非喫煙者(特に旦那)の健康と引き換えにしてきた。
長く禁煙できなかった理由としては、他の喫煙者とたいして変わらない。
自分自身タバコのアレルギーがあっても、自分が喫煙者であったからこそ、私には喫煙を批判しても、マナーを守る喫煙者までは批判できなかった。
しかし、自分の喫煙歴を棚に上げても、勝手だと言われても、これだけは許せない。
喫煙を許可した来客でもないのに、自分の家にいながらにして、個人的な理由で赤の他人から健康被害を受ける理由はないからだ。
だからあえて、でかい文字で赤く言いたい。
アレルギーは誰がどんな症状なのか、他人には理解してもらいづらいものも多く、それでも当の本人には死活問題である。
好きでこんな身体になったわけでは決してないが、元喫煙者にとってはタバコだけは「なるべくしてなった」と言われてもしょうがない。
だからといって、「それくらい我慢しろ」とか「元喫煙者なら、それはあんたの我侭だ」と言われるのは、「死ね」と言われることと同じことなのだ。
「自分の家さえクリーンで、自分の家族に害が及ばないなら、よその家に迷惑かけても関係ない」というなら、そいつは集合住宅に住む資格はない。
福島の原子力発電所の事故で飛散した放射性物質について、人体への影響(特に子供)が各地で問題になっているが、自宅にいながら意図しない副流煙が他人の家に入ることは平気なのだろうか。
だとしたら蛍族は、ベランダに生ゴミ放置するよりも、事故を起こした原子力発電所よりもタチが悪い。
生ゴミは臭いけど人体には影響はほとんどないだろうし、原子力発電所は人災といわれるが、事故自体は意図的に起こされたものではないからだ。
タバコをベランダで吸うということは、意図的に周囲に撒き散らしているのだから、蛍族は生ゴミ以下、原子力発電所以下ということだ。
今、放射性物質が気になるなら、タバコの人体への影響だってそれに匹敵するくらい大きい。
自宅に子供がいることが蛍族の理由で、隣近所に小さな子供がいるのであれば、自分の家の子供だけが助かればいいって話になるのではないか。
放射性物質が将来的に癌などの原因になる確率は、成分によってはタバコの害より低い。
まして、政府が言うところでは、放射性物質は「すぐに人体に影響はない」ということだが、アレルギー患者にとってタバコの煙は、「発作ですぐに死に至る危険あり」なのだ。
個人的には、マナーの守れない喫煙者に、子供の安全だとか放射能だとか言う資格なしとさえ思う。
喫煙者の多くは、「これだけ外で我慢しているのだから、家でぐらい好きにさせろ」と言いたいかもしれないが、あなたがタバコを吸う風下では、あなたの吐き出す煙で、すぐにでも死ぬ人がいるかもしれないことを知ってほしい。
それでなくても、駅などの公共施設の喫煙所が外にあるおかげで、どうしても風で被害を避けられない場合もあるが、タバコを歓迎しない人だって黙っているだけで我慢している。
今年は節電モードで、エアコンをつけるよりは窓を開ける家が増えるだろう。
タバコの煙がいやなら窓を閉めればいいという意見もあるかもしれないが、タバコの煙を家の中で感知したときには、すでに煙は外にはない。
先日は、南側のベランダからの風で、北側の部屋で臭いを感知することになった。それはすでに、家の中を煙が通り過ぎていることを意味するので、感知してから窓を閉めても無駄なのだ。
その証拠に、どこの誰が吸っているのか確認しようにも、煙を部屋で感知してベランダに出たときには、人影はよそのベランダにはない。
洗濯物を外に干せば、臭いだってつくこともある。
それに、今年が去年のような暑さであれば、エアコンなしで窓を閉めれば熱中症の危険だってある。
■エピローグ
ここまで喫煙を批判されても、こんなにタバコの税金が高くなっても、それでも「私は喫煙し続ける」という、ある意味強い意志があるなら、絶対的にマナーを守るという強い意志も同時に身に着けてほしい。
タバコ吸えないところでは、我慢するくらいの覚悟もてないなら、タバコ吸う資格さえないとさえ言いたい。
タバコ我慢したくらいじゃ、イライラするかもしれないけど、直接的に死ぬことはない。
「同じ穴のムジナだったくせに、禁煙に成功したからって偉そうなこと言うな」と思うなら、「世間の風潮に同調した情けないヤツ」だと思われてもかまわない。
禁煙したからって、喫煙者よりも偉いなんて、1μgも思ってはいないからだ。
喫煙者が禁煙者に山ほどの言い訳をするのは、どこかで後ろめたいと思っている証拠だ。
吸うと決めたなら、マナー守って堂々と吸えばいい。
家族が反対するなら、理解してもらえばいい。
それでも理解がないなら、せめて自宅では我慢する訓練をすべきだ。
私は逆で、外出したときは喫煙しなかったけど、それでも完全に禁煙するよりは辛くない。
職場や学校などが全面禁煙でも、外に出れば喫煙できるエリアも昔よりは多いと感じる。
喫煙する人も、嫌煙者にかたくなに言い訳したり、屁理屈言ったりするくらいなら、喫煙できる環境と、自分の喫煙サイクルを、自分の生活の中できっちり作る必要があるのではないか。
何も選択は「禁煙か、喫煙か」の二つしかないわけではない。
行政が、世間がって、他人のせいばかりにしていないでさ。
ここのところ、関東では朝晩は涼しいが、天気のいい日は日中25度を超す夏日になることもある。
私の住む集合住宅のうちの部屋は、風通しが良いせいか、南側のベランダと北側の窓を開けてやると、風が南から北に抜けるのでとても心地が良い。
今年は節電のためもあり、エアコンをつけるよりは窓を開ける家も増えるだろう。
我が家もできる限り、エアコンの使用は控えたいと思っている。
しかし、去年あたりから困った問題がおきた。
それは、我が家の周辺の部屋の人が、ベランダでタバコを吸うようになったからだ。
ここに越してきてから数年経つが、以前はそういうことはなかったので、ここ1~2年のことなのだ。
あるいは、約2年と4ヶ月以前は私自身喫煙者だったので、自分でそうとは気づかなかっただけなのかもしれない。
とにかく、平日は早朝に一服、心地の良い夕方に一服。休日ともなると、2時間おきに気配はやってくるのだ。
禁煙して身体から有害成分が抜けるに従い、タバコによってリアルタイムに悪かった症状がなくなったおかげで、喫煙当時からすでにタバコアレルギーであったことを、禁煙して知るところとなった。
症状の重い時期は、タバコをその時吸っていない喫煙者とすれ違っただけで息苦しくなり、動悸と頭痛が激しくなるようになった。
タバコの煙を察知するだけで、声がでなくなることもある。
症状の軽い時期でも、タバコの気配には、自分からは極力近づかないようにしている。
喫煙スペースが屋外にある場所など、外で気配を感じるときには、できるだけ息を止めて歩いたりもする。
嫌煙だとか以前に、自分の生死に関わる問題になってしまったからだ。
喫煙するお父さんの居場所がなくて、マンションなどの集合住宅でのベランダで喫煙するのが話題になったのは、1980年代後半のことだ。
当時はまだ国際的にも喫煙には寛容で、神経質な欧米社会の出来事だと思っていたが、いまやタバコ好き国民の中国やトルコのような国でも、タバコが歓迎されない時代となった。
今の時代、タバコに寛容な場所などほとんどないと言っていい。
蛍族と同時発生的に出てきた、「嫌煙家」の世界的な勝利と言っていいだろう。
■個人的見解
私は喫煙者だったので、喫煙者はタバコを購入することで非喫煙者よりも多くの税金を支払い、タバコを吸う吸わないは個人の自由であるということに、異論を唱えるつもりはない。
さらに、タバコを自分の家で吸うのを、他人にとやかく言われる筋合いではないだろう。
自宅に戻っても、喫煙者が自由に過ごせる場所は家族には認められないから、仕方なくベランダに出ているという理由もあるのかもしれない。
しかし、ベランダや集合住宅の廊下は、その建物の公共スペースである。
「公共スペース」は「自宅スペース」ではない。
たとえ、自分の部屋からのみ出入りができる場所であり、普段プライベートな洗濯物などが干され、プライベートな収穫物を育てるスペースだったり、敷地が広い場合はベランダに出てお食事なんてこともすることもあるような、とかくプライベート性の高いスペースであったとしても、ベランダは“自分の家”であって“自分の家”ではない。
集合住宅に住む住民は、「ベランダは公共スペース」であることを常に頭に入れて生活をしなければならないよう、入居時の契約書には必ず明記されているはずだ。
マンションのエレベーターが禁煙であるのと同じ理屈だ。
蛍族に関しての意見をネットを見ていても、「タバコ自体が合法だから自宅での喫煙に文句の言いようがない」とか、タバコと排気ガスを同等に論じられることも多い。
しかし、タバコが喫煙者と非喫煙者の相互のマナー意識や注意で、いかようにも被害を少なくすることができるのに対し、排気ガスは個人が車に乗らなかったとしても、路線バスや運送業のトラックなど、人が生活するうえで間接的に利用しているものも含まれているため、同一に論じるものでもないように個人的には思う。
同じ視点で論じるなら、アレルギー患者にとっては「0と1」と「0と100」はあまり変わらない現実がある。アレルゲンが存在するかしないかが問題だからだ。
もちろん、アレルゲンが少なければ、症状自体もそれなりに起こりにくかったり、軽かったりすることはある。
花粉症の人が、大気中の花粉の量で症状の軽減があるのと同じだ。
しかし、原因が1であっても発作が起こってしまえば重症化することもある。
車の排気ガスにアレルギーを持つ人がいたとしたら、車が100台走っていようが1台だけだろうが、やはり発作が起これば量は関係ないといえるだろう。
自分が車を持っていなくても、外を走る車にまったく関係しない人などほとんどいない。
生活をする上では流通は欠かせないものだし、車を持っていなければバスを利用する人だっている。それは、間接的に排気ガスを撒き散らしているのと同じだと思う。
排気ガスは、タバコのように、個人が注意をすることで防げるものではない。
ただの嫌煙なら、見方を変えればそういう論理も成り立つこともあるのかもしれないが(個人的にはナイが)、アレルギーは好き嫌いの問題ではない。
大気汚染の原因となる自動車や工場の煙などは、長い業界努力で、昔よりはだいぶましになってきた。
でも、タバコの煙は「少なくなった」とか「臭いが気にならない」というのはあるが、有害物質の量は、タバコの銘柄の問題になってしまう。
昔よりは軽いタバコが好まれるようになったとはいっても、自分の周囲を漂う煙の有害物質の量がどのくらいかは、やはり喫煙者個人の影響によるものが大きい。
タバコを目の敵にする人は、タバコや喫煙者の存在そのものよりも、喫煙者と吸殻の周辺に漂う副流煙とその臭いがいやなのだ。
中には喫煙所に行ってまで、嫌煙を声高に唱えるヒステリックな人もいるかもしれないが、タバコを吸う場所と吸えない場所をきっちり分けるのであれば、例え屋外に喫煙所があって周囲に煙と臭いが漂っていたとしても、その影響を受ける場所にわざわざいる嫌煙者が悪いとも思う。
(もちろん、灰皿の置いてある場所の問題もある。コンビニなどのように、入り口付近に灰皿があると、防ぎたくても防ぎようがないが。)
そういう意味では、「自宅」というパーソナルスペースに他人の影響が大きく関与するのは、あまり歓迎する問題ではない。それが健康被害に関係してくるなら、小さな問題でもないだろうと思う。
まともな感覚を持って集合住宅に住んでいるなら、騒音や臭いなど、隣近所に影響するようなものは、できるだけ個人個人で注意するのが住む人のマナーであり、集合住宅在住に限らず社会生活での最低限の決まりごとだ。
それはタバコだけの問題ではないだろう。
蛍族の問題に関しては、集合住宅での生活において個人が注意をすることで防げることであり、喫煙者と非喫煙者の一般的な論争と同じ位置づけをすること自体おかしな話だと思う。
部屋の中(自宅の占有スペース)でタバコを吸っていて、それが外に出て影響を受けているのとは訳が違う。
また、一家庭の中の喫煙問題は、個々の自宅スペースの中で解決する問題だ。家族の喫煙への反対だとか、自分の部屋が汚れるのを嫌うというのは、理由としては論外だ。
■でかい文字で赤く怒る
私はこれまで、このブログでも喫煙自体は否定しても、喫煙する自由を批判することは避けてきたつもりだ。
私自身の喫煙時代を言い訳すると、喫煙マナーが一般的な重要事項として認識してからは、外ではほとんど喫煙することはなかったし、タバコを持ち歩くことも稀だった。
喫煙していたのは自宅の仕事場がほとんどで、喫煙者である自分と非喫煙者(特に旦那)の健康と引き換えにしてきた。
長く禁煙できなかった理由としては、他の喫煙者とたいして変わらない。
自分自身タバコのアレルギーがあっても、自分が喫煙者であったからこそ、私には喫煙を批判しても、マナーを守る喫煙者までは批判できなかった。
しかし、自分の喫煙歴を棚に上げても、勝手だと言われても、これだけは許せない。
喫煙を許可した来客でもないのに、自分の家にいながらにして、個人的な理由で赤の他人から健康被害を受ける理由はないからだ。
だからあえて、でかい文字で赤く言いたい。
ベランダでタバコを吸う行為は、
殺人も同じ。
蛍族は殺人者になりたいのか?
殺人も同じ。
蛍族は殺人者になりたいのか?
アレルギーは誰がどんな症状なのか、他人には理解してもらいづらいものも多く、それでも当の本人には死活問題である。
好きでこんな身体になったわけでは決してないが、元喫煙者にとってはタバコだけは「なるべくしてなった」と言われてもしょうがない。
だからといって、「それくらい我慢しろ」とか「元喫煙者なら、それはあんたの我侭だ」と言われるのは、「死ね」と言われることと同じことなのだ。
「自分の家さえクリーンで、自分の家族に害が及ばないなら、よその家に迷惑かけても関係ない」というなら、そいつは集合住宅に住む資格はない。
福島の原子力発電所の事故で飛散した放射性物質について、人体への影響(特に子供)が各地で問題になっているが、自宅にいながら意図しない副流煙が他人の家に入ることは平気なのだろうか。
だとしたら蛍族は、ベランダに生ゴミ放置するよりも、事故を起こした原子力発電所よりもタチが悪い。
生ゴミは臭いけど人体には影響はほとんどないだろうし、原子力発電所は人災といわれるが、事故自体は意図的に起こされたものではないからだ。
タバコをベランダで吸うということは、意図的に周囲に撒き散らしているのだから、蛍族は生ゴミ以下、原子力発電所以下ということだ。
今、放射性物質が気になるなら、タバコの人体への影響だってそれに匹敵するくらい大きい。
自宅に子供がいることが蛍族の理由で、隣近所に小さな子供がいるのであれば、自分の家の子供だけが助かればいいって話になるのではないか。
放射性物質が将来的に癌などの原因になる確率は、成分によってはタバコの害より低い。
まして、政府が言うところでは、放射性物質は「すぐに人体に影響はない」ということだが、アレルギー患者にとってタバコの煙は、「発作ですぐに死に至る危険あり」なのだ。
個人的には、マナーの守れない喫煙者に、子供の安全だとか放射能だとか言う資格なしとさえ思う。
喫煙者の多くは、「これだけ外で我慢しているのだから、家でぐらい好きにさせろ」と言いたいかもしれないが、あなたがタバコを吸う風下では、あなたの吐き出す煙で、すぐにでも死ぬ人がいるかもしれないことを知ってほしい。
それでなくても、駅などの公共施設の喫煙所が外にあるおかげで、どうしても風で被害を避けられない場合もあるが、タバコを歓迎しない人だって黙っているだけで我慢している。
今年は節電モードで、エアコンをつけるよりは窓を開ける家が増えるだろう。
タバコの煙がいやなら窓を閉めればいいという意見もあるかもしれないが、タバコの煙を家の中で感知したときには、すでに煙は外にはない。
先日は、南側のベランダからの風で、北側の部屋で臭いを感知することになった。それはすでに、家の中を煙が通り過ぎていることを意味するので、感知してから窓を閉めても無駄なのだ。
その証拠に、どこの誰が吸っているのか確認しようにも、煙を部屋で感知してベランダに出たときには、人影はよそのベランダにはない。
洗濯物を外に干せば、臭いだってつくこともある。
それに、今年が去年のような暑さであれば、エアコンなしで窓を閉めれば熱中症の危険だってある。
■エピローグ
ここまで喫煙を批判されても、こんなにタバコの税金が高くなっても、それでも「私は喫煙し続ける」という、ある意味強い意志があるなら、絶対的にマナーを守るという強い意志も同時に身に着けてほしい。
タバコ吸えないところでは、我慢するくらいの覚悟もてないなら、タバコ吸う資格さえないとさえ言いたい。
タバコ我慢したくらいじゃ、イライラするかもしれないけど、直接的に死ぬことはない。
「同じ穴のムジナだったくせに、禁煙に成功したからって偉そうなこと言うな」と思うなら、「世間の風潮に同調した情けないヤツ」だと思われてもかまわない。
禁煙したからって、喫煙者よりも偉いなんて、1μgも思ってはいないからだ。
喫煙者が禁煙者に山ほどの言い訳をするのは、どこかで後ろめたいと思っている証拠だ。
吸うと決めたなら、マナー守って堂々と吸えばいい。
家族が反対するなら、理解してもらえばいい。
それでも理解がないなら、せめて自宅では我慢する訓練をすべきだ。
私は逆で、外出したときは喫煙しなかったけど、それでも完全に禁煙するよりは辛くない。
職場や学校などが全面禁煙でも、外に出れば喫煙できるエリアも昔よりは多いと感じる。
喫煙する人も、嫌煙者にかたくなに言い訳したり、屁理屈言ったりするくらいなら、喫煙できる環境と、自分の喫煙サイクルを、自分の生活の中できっちり作る必要があるのではないか。
何も選択は「禁煙か、喫煙か」の二つしかないわけではない。
行政が、世間がって、他人のせいばかりにしていないでさ。
◇ディナゲストの供給についての情報 ― 2011年04月22日 02時17分12秒
3月29日に、子宮内膜症治療薬「ディナゲスト」が、発売元の持田製薬の工場が震災によって壊滅的被害を受け、その影響で供給が危ぶまれているという記事を書いた。
◇治療薬がなくなりそう。 ―
2011年03月29日 04時05分16秒
http://makura.asablo.jp/blog/2011/03/29/5763523
その後、メールをいただいたり、コメントをいただいたりしていたが、多くは私と同じように子宮内膜症の治療を続けていて、薬がなくなることに困惑しているという内容だった。
また、担当医や薬剤師から、薬の供給が困難であることを受けて、検索ワードでここの記事を閲覧される方も多かった。
今回、持田製薬の平成23年4月19日発表のニュースリリースにて、ディナゲストの供給に関して公式に発表されているので、ここにリンクを貼っておくことにした。
持田製薬株式会社
2011年度ニュースリリース一覧
http://www.mochida.co.jp/news/index.html
平成23年4月19日発表ニュースリリース
「東日本大震災の影響に関するお知らせ(第四報)-子宮内膜症治療剤「ディナゲスト」の供給について-」(PDF)
http://www.mochida.co.jp/news/2011/pdf/0419.pdf
PDFを見られない方のために、概要だけをかいつまむと
今回の震災により持田製薬工場株式会社の本社工場(栃木県大田原市)が被災し、供給ができない状態になっている口径剤及び医薬品に関して、包装工程及び生産工程が徐々に回復してきており、一部は外部委託にて供給ができるような措置をとったとこと。
(持田製薬ニュースリリース「東日本大震災の影響に関するお知らせ(第三報)」平成23年4月18日発表」より)
その中で、ディナゲストについては外部委託の措置をとり、早急に供給できる体制を整えているとのこと。
これについては、上記リンクの第四報に別に詳細を発表している。
以下、ニュースリリースの内容を一部抜粋のうえ引用する。
「ディナゲスト錠1mg」につきましては、緊急措置的対応として在庫仕掛品のバラ包装品での出荷対応をとることとし、「バラ包装(56 錠)」の出荷が4月下旬より開始できる見込みとなりましたのでお知らせいたします。また、十分な供給量を確保すべく、本剤生産の一部を外部委託いたしました。5月下旬より委託製造分が供給に寄与してくる見込みです。なお、従来のPTP 包装品の生産はPTP 包装ラインの復旧を待っての再開となりますが、その時期は6月下旬頃の見込みです。(引用ここまで)
※平成23年4月19日発表ニュースリリース
「東日本大震災の影響に関するお知らせ(第四報)-子宮内膜症治療剤「ディナゲスト」の供給について-」
http://www.mochida.co.jp/news/2011/pdf/0419.pdf
より一部抜粋
やはり、代替薬がまだないということと、女性の精神と生活に直結する症状なので、薬がないということは処方されている人にとっては非常に不安だった。
これで、少しめどが見えてきたことに、ほっとするばかりだ。
◇治療薬がなくなりそう。 ―
2011年03月29日 04時05分16秒
http://makura.asablo.jp/blog/2011/03/29/5763523
その後、メールをいただいたり、コメントをいただいたりしていたが、多くは私と同じように子宮内膜症の治療を続けていて、薬がなくなることに困惑しているという内容だった。
また、担当医や薬剤師から、薬の供給が困難であることを受けて、検索ワードでここの記事を閲覧される方も多かった。
今回、持田製薬の平成23年4月19日発表のニュースリリースにて、ディナゲストの供給に関して公式に発表されているので、ここにリンクを貼っておくことにした。
持田製薬株式会社
2011年度ニュースリリース一覧
http://www.mochida.co.jp/news/index.html
平成23年4月19日発表ニュースリリース
「東日本大震災の影響に関するお知らせ(第四報)-子宮内膜症治療剤「ディナゲスト」の供給について-」(PDF)
http://www.mochida.co.jp/news/2011/pdf/0419.pdf
PDFを見られない方のために、概要だけをかいつまむと
今回の震災により持田製薬工場株式会社の本社工場(栃木県大田原市)が被災し、供給ができない状態になっている口径剤及び医薬品に関して、包装工程及び生産工程が徐々に回復してきており、一部は外部委託にて供給ができるような措置をとったとこと。
(持田製薬ニュースリリース「東日本大震災の影響に関するお知らせ(第三報)」平成23年4月18日発表」より)
その中で、ディナゲストについては外部委託の措置をとり、早急に供給できる体制を整えているとのこと。
これについては、上記リンクの第四報に別に詳細を発表している。
以下、ニュースリリースの内容を一部抜粋のうえ引用する。
「ディナゲスト錠1mg」につきましては、緊急措置的対応として在庫仕掛品のバラ包装品での出荷対応をとることとし、「バラ包装(56 錠)」の出荷が4月下旬より開始できる見込みとなりましたのでお知らせいたします。また、十分な供給量を確保すべく、本剤生産の一部を外部委託いたしました。5月下旬より委託製造分が供給に寄与してくる見込みです。なお、従来のPTP 包装品の生産はPTP 包装ラインの復旧を待っての再開となりますが、その時期は6月下旬頃の見込みです。(引用ここまで)
※平成23年4月19日発表ニュースリリース
「東日本大震災の影響に関するお知らせ(第四報)-子宮内膜症治療剤「ディナゲスト」の供給について-」
http://www.mochida.co.jp/news/2011/pdf/0419.pdf
より一部抜粋
やはり、代替薬がまだないということと、女性の精神と生活に直結する症状なので、薬がないということは処方されている人にとっては非常に不安だった。
これで、少しめどが見えてきたことに、ほっとするばかりだ。
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