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◇古い友人と鎌倉散策2006年08月03日 22時50分40秒

鶴岡八幡宮 源平池の蓮
鶴岡八幡宮 源平池の蓮

帯広在住で20年来の友人Kがこちら来る用事があるので、一日早く来てうちに泊まるということになり、それではというので鎌倉を案内することになった。

羽田空港に車で12時半頃迎えに行く約束だったが、一般道で渋滞につかまり、それでも高速道路がすいていたおかげで、約束の時間に10分ほどの遅刻で羽田空港に到着することができた。しかし携帯で電話をすると、電波の調子が悪いのか向こうでは私の声が宇宙人のように聞こえるという。到着ロビーで待ち合わせしたものの、彼女はすでに移動していて外の喫煙所にいるというのだが、羽田空港の外の喫煙所は数箇所あってわからない。詳しい場所を知りたいが、こちらの話していることが向こうには伝わっていないようだ。羽田空港は第二ロビーができて複雑になっているので、「外の喫煙所」だけではどこなのかさっぱりわからないのだ。こういうときに、住んでいる土地の感覚の違いを思い知らされる。
メールで駐車場の連絡通路の場所を教えて、約束の時間から20分ほどでやっとKと会うことができた。

鎌倉はどの季節も花を楽しむことができる。今の季節だと、蓮の花が見頃らしい。北鎌倉は好きでよく行くので、北鎌倉のお気に入りの店でランチをしたいと思っていたのだが、この時間だとランチ終了に間に合うかどうか心配だった。
それほどの渋滞にも会わず、40分ほどで北鎌倉に到着したが、お目当ての店は残念ながらお休みだった。
しかたないので、精進料理の老舗「鉢の木」に入る。ここは初めてだが、広い座敷のような部屋にテーブルと椅子がいくつかおいてある部屋に通される。椅子がレトロな感じで、庭の木が青々としていて雰囲気がいい。BGMも何もない部屋が心地よい。
出された料理は、ゴーヤのおひたし、ごま豆腐、野菜の煮物、など5品のコース。北鎌倉は「けんちん汁」の発祥の地である建長寺が有名だが、この日はけんちん汁はなく、野菜中心の精進料理だった。そのどれもが心を配った調理がされており、大変美味しかった。席に座ったときには煎茶を、食事の途中にはほうじ茶が出された気配りも嬉しいものだった。

食事を終えて東慶寺に行く。東慶寺は別名「縁切り寺」と呼ばれ、昔は駆け込み寺だったところだ。友達を連れていくにはいささかどうかと思う場所だが、こじんまりとした中に鎌倉の静けさが存在するここの庭は、私は好きでよく来るのだ。紫陽花が綺麗なのでも有名だが、残念ながら紫陽花はすでに終わった後だった。
庭を抜けて墓地の手前には、竹林と杉林をのぞむ休憩所があり、林の中ではうぐいすが鳴いている。歩く先々に蝶が飛び交い、北海道のそれとはちがう静けさが澄んだ鎌倉の雰囲気を盛り上げてくれる。観光ルートからもはずれた場所なので、お客もまばらでゆっくり堪能することができた。

お目当ての蓮の花を見に、鎌倉観光の王道「鶴岡八幡宮」に行く。八幡宮の中にある源平池では、7月に蓮の見頃だというので時期が少し遅かったし、夕刻だったので花はまばらで閉じてしまっていた。それでも、池一面の蓮は見ごたえ十分だった。
しかし良く見ると、池の水はどろどろであまり綺麗なものではない。蓮自体もあまり手入れされているようには見えず、茨城で土浦の蓮畑を見ていた私は、ちょっと残念に思った。
上海の豫園の蓮園は、観光地の蓮池ながら蓮根や蓮の種も収穫する池になっており、池の中では蓮の手入れをする人が作業をしていて、蓮はどれも綺麗だったことを思い出した。
源平池を一望できる休憩所で写真を撮ったのだが、Kの写真ポーズが20年前と変わっていないので、なんだかおかしかった。

鶴ケ岡八幡宮もゆっくり見てまわり、5時になるので鎌倉の大仏に行って終わりにすることにした。大仏近くの駐車場で、「長谷さんに行くのかい?」と駐車場のおじさんに聞かれたので、「大仏さんに行きます」というと、「ここは6時までだからその方がいい。でも長谷さんは今が一番見るのにいいんだよね〜」と言われ、長谷観音にも行きたくなってしまう。おやじ、余計なこというなよな。
大仏に到着すると、やはり観光客が引けた後なのか、人も少なく写真撮影するには絶好だった。胎内には入れなかったけれど、大仏さんを堪能するには十分だった。

あまり十分にまわったとは言えないが、観光バスなどで急ぎ足で回る鎌倉見物だったら、いつでもできる。人の手が入りながら人々が愛してきた鎌倉の自然と、歴史の静けさを堪能するには、何箇所かでじっくりと自然を楽しむのが一番いいと思う。Kにそれが伝わったかどうかはわからないが、楽しんでもらえていたら良いと思う。お気に入りの店が休みだったりして残念だったが、楽しむことができた一日だった。

◇七沢温泉に行く2006年08月08日 20時03分39秒

 
大山に沈む夕日  
   

ここのところしばらく天気の悪い日が続き、久しぶりのお天気の週末だったので、どこかに行こうかという話になった。その日はお昼過ぎまで寝ていたので、そう思ったのは1時も回ったあたりだった。
 準備をして取りに行くのを一週間忘れていたクリーニングを引き取りに行き、実際にうちの近所を出発したのは、2時半も回ったあたりだった。

この時間から行くとなると、近場しかない。新婚時代、よくバイクでいった大山に行こうということになり、伊勢原方面に向かった。大山は昔からの霊山で、大山山頂の大山阿夫利神社には酒造の神様が祀られている。ロープウェーで途中の下社に行くことができ、そこから山頂の本社に行くには徒歩で山をのぼる。ロープウェーの駅までの山道は参道になっており、大山名物の独楽を売る店や豆腐を食べさせてくれる店が軒を並べ、風情があってとてもいい。
 途中座間の友人の家に、渡しそびれていた北海道のお土産を届けに寄ったので、多少遠回りをしたが、海老名から246を抜けたあたりはすいすいと快調に進んでいく。このあたりの246はバイパスになっているので、高速道路を走っている気分だが、厚木のあたりから道は混みだしてくる。ここですでに3時半を回っていた。
 渋滞の中、「この時間から大山に行っても、お店はどこも開いていないし、ロープウェーにも乗れないのではないか」という疑問が頭をよぎる。大山に行くなら、豆腐懐石を食べたいのだ。
 「大山で豆腐を食べられないのなら、七沢に行こう」と言うと、旦那も「行ったことがないから行ってみよう」と賛成してくれた。246の本線から七沢方面に向かう道に入ると、混雑もなくなりすいすいと進んでいく。

 
  ネポンの看板

神奈川といえば横浜、東京のとなりにある都会のイメージがあるが、神奈川もこのあたりになると田園風景が広がる田舎町の様相が濃くなってくる。田んぼが広がる道を行くと、ネポンという看板が目につく。「ネポンってなんだろう」。言葉の響きが面白く、なんとなくネポンの看板がある方向に向かってしまう。しばらく行くと、ネポンの社屋が見えて来たが、結局このときは「ネポン」がなんなのかは判らなかった。後で調べたら、施設園芸用暖房機関連、 住宅設備関連の総合メーカーとのことらしい。

厚木の山奥までくると、森の里という新興住宅地を通る。緑が広がる中に新しい家がたくさん建てられており、米軍の飛行機の影響を如実に受けている我が家のあたりとは違い、空気も綺麗だしとても静かで閑静だ。夕方近くで、山から鳥の声や蜩の鳴き声だけが響いている。神奈川で家を建てるなら、こんなところに住みたいとうらやましく思うが、交通の便を考えるととても無理だと思う。

森の里を抜け、トンネルをくぐると七沢の入口に消防署の隣に設けられた七沢観光案内所の看板が見えた。時計はすでに4時半時近くになっている。中に入り「七沢で今から日帰り入浴できるところはありますか?」と尋ねると、案内所の人は地図をくれて親切に教えてくれた。トイレを借りて案内された場所に行く。
 案内所で教えてくれた旅館は4つ。一本道に旅館が並ぶ中、その一つ一つの外観と料金を確かめて回り、七沢で一番名前を聞く「七沢荘」に行くことにした。七沢温泉の中でも泉質は単純泉とアルカリ泉とあるようで、七沢荘はアルカリ泉の源泉をひいているようだ。
 昔は七沢温泉というと、箱根や熱海と違って「沸かし湯」というイメージが強かった。温泉の温度が低いので、温泉に加熱しているためだ。これは今でも変わらないのだが、加熱しているからといって温泉の効果に変わりがあるわけではない。ただ、昔は「加熱している」という理由だけで、なんとなく「沸かし湯だし」という感覚があったのだ。来てみると、山の中のひなびた温泉郷という雰囲気があり、メジャーな箱根や熱海などと比べると親しみやすい感じがする。
 七沢荘に入ると、露天風呂の脱衣所はロビーを抜けたすぐのところにあったのだが、最初は内湯に入りたくてそちらに回った。古い旅館を建て増し建て増ししているようで、婦人の脱衣所までの間迷路の中をぐるぐる回っている感じだ。風呂に入ると、足にびりっと何か感じたが湯に入ってしまうと気持ちがよい。アルカリ度が高いのかとてもつるつるしている。温度はさほど高くなく長くつかっていられる。
 露天に移動しようとドアをあけると、そこは露天の脱衣所になっていた。なんだ脱衣所もつながっていたのか。露天風呂は、せまいながらも3種類あり、竹のまくらのある寝湯、子宝の湯と称した男根の鋳型がある風呂、そして岩風呂とある。岩風呂の露天の真ん前に、さっき入った内風呂とは違う内風呂があり、「波動の湯」と名付けられている。波動の湯には、気功の力を入れた岩盤がしいてあるらしい。特にアトピーなどには効力があるという。その他にも、外傷や打ち身などにもいいらしい。この日私は、寝違えて首が痛かったのだが、お湯に入ったことで帰りにはだいぶ楽になっていた。お肌もつるつるで、悩みのがさがさのひじもつるつるになっていて嬉しかった。

 
分れ道の表札  

6時近くに七沢を出ると、道すがら大山を臨むことができる。ちょうど日没の頃で、運転しながらもうっとり見入ってしまいたくなるほど綺麗だ。
 途中、伊勢原に出る道で「分れ道」という交差点に出る。確かに分れ道なのだが、なぜわざわざ「分れ道」なのか。近くのバス停も「分れ道」バス停になっている。ここは厚木から伊勢原神社方面、寒川神社方面、大山方面と神社にお参りする人が使用した街道のはずなので、どの神社に行くかの分れ道ということなのだろうか。
 分れ道から伊勢原を抜けて、寒川を通って帰ろうとしたところ、寒川に入ったあたりでものすごい渋滞。30分で1キロちょっとしか動いていない。仕方ないので、Uターンをして1号に抜ける道に向かった。
 家に着いた頃、寒川の方から花火が上がるのが見えた。そうか、寒川の花火大会のための渋滞だったのだ。あのまま止まっていたら、花火の見える渋滞だったのかもしれないと思うとちょっと惜しかったが、お腹がすいていたので早く移動できてよかったと思う。

途中、茅ヶ崎で閉店まぎわのバイク屋に寄り、以前から購入を考えていたヘルメットを物色したが、あまり品物が揃っていなくがっかりした。親切な店員さんが、横浜にバイク用品の専門店があると教えてくれたので、次の日に行こうと決めた。

 

七沢温泉HP   http://www.tanzawa.or.jp/nana.html
 七沢荘HP    http://www.tanzawa.or.jp/~nanasawa/
 大山阿夫利神社  http://www.afuri.or.jp/

◇ヘルメット購入2006年08月08日 20時18分21秒

新規購入ヘルメット SHOEI Z-5

バイクに乗らなくなって10年以上経つ。
つくばに転勤になったのをきっかけに車を購入したため、私も旦那もバイクに乗らなくなってしまった。つくばの町の特徴として、車がないと生活できないというのがあったためだ。バスの便が非常に悪く、交通事情もあまり良いとは言えないので(道はいいのだが)、旦那の会社から「つくばでのバイク通勤禁止」が言い渡されたからだ。つくばで数年SRを保管していたが、結局二人で移動するには車の方がいいということでほとんど乗らなくなり、友人に売ってしまった。
結婚した当初は旦那もYAMAHAのSR400で通勤していたし、私もバスの便が悪いところに仕事が決まったのをきっかけに、YAMAHAのJOGを購入した。その当時はSRでよく熱海や伊東、箱根まで二けつで遊びに行ったし、休みの日の買い物は二けつに段ボールを積んで移動したりもした。SRには本当にお世話になった。

つくばに8年住んで、それまで住んでいた今の町に3年前に戻った。以前と違うのは、車があること。しかし事情はつくばとは違い、道も狭くて混雑している上に、町中の時間駐車場の代金がつくばの4倍である。歯医者で町中に行くことが多くなると、駐車場を探すのに手間取り、駐車場割り引きをあてにして無駄な買い物も増えてしまう。そこでスクーターを復活させようと思ったのだ。

今のヘルメットは、JOGを購入した時に購入したSETAのフルフェイスだ。バイク乗りは誰もがヘルメットはSHOEIかAraiがいいというが、SHOEIはでかくて好きではなく、Araiは重くて疲れてしまうので嫌いだった。その点SETAは小さくて比較的軽く、デザインもすっきりしていて好きだった。
長年SETAのヘルメットを愛用し、バイクに乗らないのを理由に3年に一度の買い替えのセオリーも無視していたが、やはり10年以上前のヘルメットだと、中のウレタンがへろへろになっている。そこで買い替えを決心したのだ。

またSETAを買いたいと思いネットで調べてみると、SETAの名前が出てこない。バイク人口の減少のあおりを受けて、潰れてしまったらしい。スクーターなのだから、ホームセンターなどで売ってるそこそこのヘルメットでもいいかと思うが、実際手にとってみるとなんとなく購買意欲がわかないのだ。
旦那も最近のバイク事情には詳しくないので、学生時代の友人で大型をとって今でも現役ライダーであるH君にメールで質問をしたところ、大変詳しく教えてくれた。彼のお勧めはOGKのTeleos-3というジェットタイプ(あごのないタイプ)。一見フルフェイスだが、あごのガードがシールドと一緒に可動するものだ。それまでフルフェイスを使っていたが、もう少し手軽なヘルメットの方がいいかなと思っていたところだったので、このアドバイスは大変参考になった。あごひももワンタッチ式で着脱が楽なのも魅力だし、デザインもすっきりしていて好みだ。Arai、SHOEIが嫌いだと彼には伝えていたので、OGKの他にもYAMAHAやスズキなどいくつかの候補を彼は選んでくれた。

H君の教えてくれたヘルメットのHPをプリントして、バイク屋の店員さんから教わったバイク用品店NAPSへ行くと、お店の一角にそれこそピンからキリまでヘルメットが揃っている。お目当てのTeleos-3を見つけたので、早速試着すると… あれ? なんだかものすごくでかい。見た目もでかいが、サイズも一番小さいSでぶかぶかなのだ。頭をふってみると、ヘルメットが遅れて動いている。いくらスクーターでもこれでは意味がないので、次の候補であるYAMAHAを試着するとこれもでかい。
詳しい店員さんを呼んで色々質問すると、最近の傾向としてヘルメットはでかくなっているとのこと。一時期は小さいのも流行ったらしいのだが、最近またでかくなってきているらしいのだ。楽そうだと思ったワンタッチ式のあごひも留め具は、面積が大きいせいで事故った時それが原因であごを割るというケースが多くあり、最近またDリングに戻りつつあるとのことだった。
候補にしていたヘルメットは確かにお手ごろ価格だが、一つ一つに問題点を発見してしまう。サイズも下手するとS・M・L・XLの4つしかなく、Sでぶかぶかなものが多い。旦那は「お手ごろ価格のヘルメットと、Araiなんかのそこそこのヘルメットを触って比べると、やっぱりなあと思ってしまう」と言う。H君にはお手ごろ価格を条件にアドバイスしてもらったので、これらを問題にしてしまうと選択できなくなってしまう。

ここで店員さんに、価格度外視で小さくて安全面も申し分なくデザインもいいヘルメットはどれかという、大変わがままな質問をぶつけてみた。デザインの基準はSETAである。そこで返ってきた答えは、AraiのProfileとSHOEIのZ-5というモデルだった。店頭価格はAraiで32000円、SHOEIのは30660円… 高い…。安いスクーターなら買えちゃうぞ。
しかし、Arai、SHOEIはサイズが細かく揃っていて、3cm間隔でサイズがある。一番小さい53.6cmのでも入るが56.6cmのだと楽でぴったりなのだ。頭をふってもヘルメットが遅れて動くことはない。
AraiのProfileは、店員さんの説明ではそれまでレース仕様オンリーだったAraiの初のツーリング仕様のモデルで、軽量なのが魅力らしい。デザインもスタイリッシュで見た目も細身ですっきりしている。「重いArai」の固定概念がここではずれてしまった。SHOEIのZ-5は、SHOEIらしからぬ細身のデザイン。頭頂部のベンチレートが薄いので、頭頂部がぴったり収まる感覚が気持ちいい。「軽い・小さい・快適」をうたった、これまでのSHOEIのイメージを払拭するモデルらしい。しかもこのどちらもが、Arai、SHOEIにしてはお手ごろ価格だというのだ。定価はどちらも5万円近いものだ。それを考えると3万台は安いのか?

散々迷ったが、SHOEIのZ-5にする。当初はお手ごろ価格のジェットにすると言っていたのに、結局安全性などを考えるとこの選択になってしまうことがわかったからだ。でかいイメージのSHOEIだったが、フルフェイスのヘルメットの中で一番細身でスタイリッシュに見えた。しかし、予算の倍の値段のため、二つ買おうと思っていた予定は1つだけの購入に留まった。

買った後も、「SHOEIのヘルメットかあ… あんなに嫌いだったSHOEI」と、ものは気に入ったにも関わらずなんとなく後ろぐらい。SHOEIはでかい以外にも「ロゴのデザインが嫌い」というのもあった。購入の報告をH君にしたときにこの話をすると、あのロゴはクルマの世界で有名なジウジアーロのデザインのものだという返事が返ってきて驚いた。でも、嫌いなものは嫌いなのだ。それでも、あの白い丸Rの六角形ではなく、ロゴ文字だけが金属片の貼付けになっているのでかわいく見えるのでよしとした。あれがシールだったらAraiにしてたんだろうな。
旦那はAraiのProfileが気に入ったらしく、自分のを買うときはそれにすると言っている。旦那はこちらに戻ってからもバスで通勤しているが、たまにスクーターに乗るうち、長年の望みだった大型免許取得が再燃したらしい。大型取るのはいいけど、バイクはどこに置くのだろうか。また一つ悩みが増えそうだ。

H君には大変お世話になりました。突然の相談に、本当に快く詳しいアドバイスをしてくれて嬉しかった。結果的には、H君お勧めのは購入しなかったけれど、アドバイスは本当に役にたちました。ありがとうございます。

SHOEI Z-5のHP http://www.shoeihelmet.co.jp/hellineup/full/h_z5/h_z5.html

◇祭りの準備2006年08月10日 23時42分51秒

現在住んでいる集合住宅は、幹線道路に面している上、米軍の飛行機の航路になっているため、騒音がひどい。夏場は窓を開けておくことが多いので、半端じゃないのだ。引っ越してきた年は特に暑い夏だったので、エアコンのない仕事場は座っているだけで汗が流れ落ち、その上夜も昼もなく飛行機の飛ぶ騒音と車の行き交う音で不眠症になり、ノイローゼになりそうだった。

音の種類も、米軍の輸送機の音、ジェット戦闘機の音、ヘリコプターの音、大型車両の音、暴走車の音、大音響でステレオをかけている車、車両盗難防止システムをはずさずに車のドアを開けるために響き渡る警告音とさまざまだ。
今ではもうだいぶ慣れたが、盗難防止システムの音は同じ集合住宅の人が毎回解除せずにドアをあけるため、夜中にとてつもない音が響き渡る。私たちの寝ている部屋の窓の下がちょうど駐車場になっているので、夜中にたたき起こされることもしばしばあった。

引っ越してきた時期は6月だったが、梅雨も明けようというある時期から、夜になるとどこからともなく和太鼓の音が聞こえてくる。音の大きさを考えると、それほど遠い場所ではなさそうだが、力強いその音は夏の終わり頃まで毎日9時過ぎまで続く。
祭りの時の練習のようだが、これが毎年続いている。どこから聞こえるのか、一度周囲を確認してみたことがあるが、どこで練習しているのかわからない。
最初は、夜に外で発生する音の種類があまりにも多すぎて、この太鼓の音も騒音にしか聞こえなかったが、機械的な音とちがって太鼓の音はいらいらする感じがないのだ。うるさいなと思うことはあっても、聞こえてきても気にせずにすごすことができる。叩き手が上手なこともあってか、いつしかこの音が楽しみになってきている。
近くの橋の欄干を見ると、祭り太鼓の鋳型がはめられているので、このへんの名物なのかもしれない。

この太鼓は、夏の終わりのお祭りの時に、市内を周る御神輿の時に叩かれるものらしい。この集合住宅の自治体には回覧版などが回ってこないので、いつもいつが本番なのかわからず、ある日曜日に突然いつもとは違った方向から音が聞こえてくるのでわかるのだ。
今年も、一生懸命毎日練習にはげんでいる。
今年の本番は、ちゃんと御神輿を見ることができるといいのにと思う。

◇久しぶりのスクーター2006年08月11日 19時25分24秒

少し暑いけど天気もいいので、せっかくヘルメットも新調したことだし、スクーターで歯医者に行くことにした。
通っている歯医者は、すいてる時なら車で20分程度でいける場所だが、道がものすごく混んでいるので30分~40分かかる。スクーターだと渋滞している道を避けていけるので、30キロしかだせなくても同じくらいの時間で到着する。

久しぶりに車輪にとめてあるチェーンロックをはずすと、塗料がぼろぼろになっている。カバーをはずして、ほこりを払い、エンジンをかけようとしたが当然のごとくかからない。数年前からセルスターターがきかなくなり、バッテリーを交換したが改善しなかったので、それからはキックでエンジンをかけていたのだ。
何回か軽くキックしてからスロットルを回して思い切りキックしてもかからない。何度もやっているうちに、足ががくがくになってきて、汗だくになってしまった。せっかくでかけにシャワーをあびたのに。
20分ほど格闘したが、歯医者の予約時間に間に合わなくなりそうだったので、しかたなく車で向かった。

歯医者から戻ってきて再度チャレンジするが、エンジンはうんともすんとも言わない。セルスターターのボタンを押してみるが、沈黙は続く。15分ほど格闘しているうちに、突然エンジンが動き出した。すかさずスロットルを回して、しばらくエンジンをふかしぎみにする。よかった、壊れていたわけではなさそうだ。
しばらく空ぶかししていても、スロットルから手を離すととたんにエンジンは止まってしまうが、一度エンジンがかかると二度目からは一度のキックでエンジンが回ってくれるので、とりあえずテスト走行してみることにした。

うちの周囲を一周してみたが、信号待ちで少しこころもとないところがあるものの、エンジンを回し気味にして止まっていれば問題はない。
セルフのガソリンスタンドに寄ってガソリンを入れると、満タンの指定をしているのにすぐに給油が止まってしまう。給油口のストップセンサーが浅いので、スクーターのタンクだと満タンでもないのに止まってしまうらしい。様子をみながらこわごわ給油して、いざタンクのふたを閉めようとしたら、今度はふたが閉まらない。そういえば、いつもはスタッフのいるGSで給油していたので、自分で給油口を閉めること自体初めてなのに気づいた。

陽も暮れかかっている頃だったので、暑さもやわらいでいるせいもあるが、新しいヘルメットは風通しもよくて快適だった。
この休みにバッテリーをはずして、チャージしてあげればもう少し元気になってくれるだろう。できればセルスターターが復活してくれといいのだけど。

◇東京下町散策 谷中〜根津2006年08月21日 01時58分51秒

 
谷中ぎんざ入口  

随分以前から、東京の下町巡りをしたいと思っていたのだが、なかなか行く機会がなかったので、この夏休みに実践することにした。何年か前に、亀戸で餃子を食べてから亀戸線に乗って向島、隅田川沿いを歩いて浅草を巡ったことがあるが、今回は日暮里から谷中〜根津、かっぱ橋〜浅草を歩く事にしてみた。
 当初の予定では、午前中に家を出発するはずだったのだが、朝テレビをつけて見ると東京は大停電で一部電車が止まっているという。うちの沿線も止まっているらしいので、少し様子を見ることにしたのだ。お昼近くになって復旧したとのニュースを確認し、お昼過ぎに家を出ることにした。下町でそばを食べるのを楽しみにしていたのだが、うちの最寄り駅の駅前で、ニューオープンしたスープカレーの店を見つけ、そこで昼食を食べ出発した。新宿から山手線に乗り換えたらポケモン電車で、スタンプラリーをする親子連れがせわしなく電車を降りたり乗ったりしていた。

   
  質屋おぢさんの看板  
   
  焼肉サラリーマン   路地

この日はお盆の中日であったが、天気も良く絶好の散策日和。JR日暮里駅で電車を降り、谷中ぎんざ方面に向かって歩く。このへんは「谷(中)根(津)千(駄木)」と呼ばれて最近は観光地化しているが、今でも東京下町の雰囲気が残っている。しかし、お盆のため休みで店を閉めているところが多いのが残念だ。
  谷中ぎんざの商店街は、看板を統一して町並みを綺麗に見せているようだが、雑多な商店街の感じがまだまだ色濃く残っている。お店が休みなので、外に飼猫の餌を大量に店の前にだしているところもあったりする。お店の名前も、「焼肉サラリーマン」「質屋おぢさん」「やきとん」とユーモラスなものが多いが、なだらかな下り坂を歩きながらちょっと路地に目を向けると、古い住宅の中にもんじゃ焼きのお店や餃子専門店、竹細工のお店の看板が見えたりする。昔ながらの喫茶店の看板もあったりするが、どこも休みのようだった。
 竹細工のお店で、杉の木のお櫃とうるし塗りのお箸を購入した。藤つるのバッグもとても綺麗で欲しかったが、2万円〜という値段だったので諦める。
 食べ物屋が多い中、「99円でお肌がつるつる 魔法の化粧水」と派手なアナウンスを通りに流しているあやしげな化粧品屋、イラン料理の店などもあったりしてなかなか面白い。お惣菜屋でコロッケ、「ざくろ」というイラン料理店のテイクアウト店でチーズコロッケを購入して、食べながら歩く。チーズコロッケは電子レンジで温めてくれたので、ほくほくしておいしかった。
 途中、招き猫のお店を見つけて、今戸神社風の手作りの白土の招き猫と、おおよそ日本風ではないバタくさい顔の招き猫を購入する。旅の途中ですでに買い物が大量になってしまい少し後悔するが、あちこちで招き猫を購入して集めている私は、思わぬ出会いに荷物の重さも気にならない(というか、途中から旦那が荷物を持ってくれたからなのだが(^^;))。

   
左官屋の鏝絵   道ばたのいちじく  

谷中ぎんざを抜けて谷中霊園の方に向かい、桜の木の並木道を通って根津の方へ移動する。 お盆ということもあり、谷中霊園は墓参りの人でにぎわっていたが、通りはとても静かで夏の日ざしの中蝉の声だけがせわしく聞こえるだけだ。東京というけれど、緑も多く静かでとても居心地が良い。
 途中、左官屋さんの建物に龍の鏝絵を発見したり、道のわきにいちじくの木が実をつけていたりするのを見つけ、なんだか嬉しくなった。
 普段だともっと活気にあふれた場所なのだろうが、やはりお盆ということもあり、観光客も地元の人もそれほど多くなく、普通の町の中にぽっと入ったような感覚があってなかなか楽しい。

谷中霊園を抜けた後で、根津神社に行くべく三崎坂をてくてく歩いていくと、江戸手ぬぐいのお店やおしゃれなカフェなどが並ぶ中、神社仏閣があちこちに点在している。行き交う車の中に、小さなバスが何度となく通り過ぎていく。よく見ると「めぐりん」と書いてある。「めぐりんってなんだろう?」 。行く前に十分に調べなかったのが悪かったのだが、谷中、千駄木、根津、上野、浅草あたりを東西、南、北とそれぞれ3コースの観光用100円バスが運行しているのだ。谷中ぎんざを日暮里から抜けて谷中霊園に行き、その後根津に向かうということは、日暮里駅から千駄木駅方面に向かい、また日暮里駅方面に戻って再び千駄木駅方面に歩くことになる。めぐりんに乗っていれば、楽に早くついたのに…。それでも、下町の今と昔が混在する町並みを楽しめたのでよしとする。

 途中「へび道」と呼ばれる住宅街を抜けて根津に向かったが、一つ気付いたことがあった。私の住んでいるあたりでは、お盆というと家の軒先きにお盆のお飾りが飾ってあったりして、あちこちの家の前に13日過ぎには迎え火、16日過ぎには送り火を焚いた後が残されていたりするのだが、このあたりではそれがまったく見られない。新興の家も多いが古くからあるような家でもそれを見ることはできなかった。
 へび道を抜けて根津神社の近くまで行き、少し休憩するためにクリーム餡蜜とところてんを食べる。隣でかき氷を食べている人をうらやましく思うが、身体が冷えてしまうので我慢する。

根津神社は本殿前が工事中であまり景観が良くなく残念だったが、根津神社の前の道路はものすごく大きな幹線道路なのに、境内に入るとひんやりとした空気が心地よく静かで気持ちがいい。池の鯉に餌をやりつつほとんど鳩に横取りされていたロシア人観光客や、鯉の中で優々と泳ぐ亀をながめたりした。根津神社の裏にある金太郎飴のお店も楽しみだったのだが、ここもお休みで残念だった。

 
  鴎外荘 中庭

5時近くなって、その日宿泊する水月ホテル鴎外荘に向かった。この宿は森鴎外の居住地をホテルにしたもので、東京温泉も楽しめる宿とのことで楽しみにしていたのだ。ホテルのフロントに入ると、客がみんなフロント前のラウンジにたむろしていて騒がしい。チェックインすると、様々な説明の最後に「実は、本日空調が故障していまして… 現在、業者が入って夜までには復旧する見込みです」と言われ、愕然とする。だから客がみんなラウンジにいるか…。暑い中歩いてきてホテルで涼めないなんて…と思うが、その日は東京が大停電していたことを思い出し、仕方ないと諦める。客室に入り窓をあけると、夏の夕方の涼しい風が入ってきて心地よかった。エアコンなんかよりずっといいと思い、フロントで蚊取りマットを借りて窓を開けて過ごすことにした。
 私達の宿泊する新館はビジネスホテルそのものの作りだが、新館から旧館に抜ける途中に鴎外の家がそのまま残る中庭があり、そこの前を抜けて温泉に行く。鴎外の家は宴会場になっているようで人のいる気配はしないが、中庭は端正された樹々に被われており、東京とは思えない閑静さだ。森鴎外はここで「舞姫」を執筆したらしい。東京も昔は随分と暮らしやすそうな場所だったのだなあと思う。
 温泉に入ると、黒いお湯が心地よく疲れも抜ける気がした。温泉の後ホテルに併設されたスウェーデン・リフレクソロジーで足の疲れをとってもらい、予約していた「鴎外懐石」を十分に楽しんだ。
 夜、テレビのニュースを見ていると、小泉首相が次の日靖国参拝をするのかどうかで盛り上がっていたが、半日歩いた疲れからすぐに寝てしまった。エアコンは夜には動きだしていた。

谷中のホームページ http://www.st.rim.or.jp/~hajima/yanaka/index-j.html
 根津神社 http://www.nedujinja.or.jp/

◇東京下町散策 上野公園2006年08月25日 02時57分07秒

 
不忍池の蓮の花  

東京上野の水月ホテル鴎外荘にて、朝目覚めて一番に温泉につかりに行く。男湯と女湯が前日とは入れ代わっており、前日は女湯が檜風呂だった。檜風呂は黒い漆がぬってあるため、東京温泉の黒い湯が同化していまいち判別しにくかったが、朝に入った風呂は大理石風呂だったので、黒い温泉の湯の色が堪能できた。洗面器はどちらも檜の重厚なものだったが、うるしがほどこしてあるためか異常に重い。
  前日にリフレクソロジーの人が「このへんの人は、上野動物園のアザラシの声で目が覚める」というようなことを言っていたので、声がきけるのを楽しみにしていたのだが、残念ながら声は聞こえなかった。

チェックアウトのためロビーに行くと、ロビーは喪服を着て白い帽子をかぶった人であふれていた。どうやら、戦没者の慰霊式に出席する団体さんのようだった。朝のニュースは小泉首相の靖国参拝の話でもちきりだったので、その光景を見てこれからのんきに東京見物をするのがためらわれる。団体さんが送迎バスでひとしきりいなくなった頃、ロビーで中庭をながめながらコーヒーを飲んだ。外は小雨が降っているが、平和を実感するひととき。

 
上野動物園の家畜(?)   蓮に被われる不忍池
(下町風俗資料館前より)
 
不忍池の亀   不忍池の鴨

ホテルを出て、上野動物園のわきの道を不忍池方面に向かって歩くことにする。めぐりんがホテルの前から出ていて乗りたかったが、歩こうという旦那の意見に従うことにする。通りからはやぎやら豚などの動物が柵ごしに見える。

不忍池の弁天堂のあたりにつくと、池は蓮の花で被われていた。 ちらほらとピンクの花が咲いていて綺麗だが、水を見るとどろどろで大量の亀が泳いでいる。弁天堂周辺には、眼鏡の碑や料理関係の碑があちこちにあるが、どれもなんとなくぱっとしない。ボート乗り場を経由して池の遊歩道を歩いていくと、鴨やゆりかもめ、サギのなどの鳥達ものんびりと休んでいる。以外と多く見られる猫達に餌をやっている夫婦がいたりして全体的にのんびりした風景だが、小屋のある場所などでは相変わらずホームレスの人たちが寝ていたりもする。売店などがあるところでは、ひとりで大声で怒り狂っている人がいたりもする。何を言っているのかわからないが、怒りの対象がどこに向けられているのかは判らない。
 ぼーっとベンチで休んでいる人。夫婦で散歩をする人。ここにいる人たちは全体的に年齢が高い。鳩が異常に多いのは公園のお約束だが、アヒルがいたり猫がいたりして、ここにいる人間も動物もなんだかのんびりしている。

 
昔の電話ボックス
(下町風俗資料館)
  井戸端
(下町風俗資料館)
 
駄菓子屋の中
(下町風俗資料館)
  下町の路地
(下町風俗資料館)

池のほとりを池の旗口まで歩き、下町風俗資料館に行く。入場料金は300円。資料館前には懐かしい丸ポストが設置されていたが、実際には使用されていないとの注意書きがしてある。資料館に入ると、昔の電話ボックスや人力車が展示されており、右手に行くと下町の町並みを再現したコーナーがある。井戸があり、細い路地には格子のはまった窓があり、着物の生地を板に貼付けて干してある様子などが再現されている。駄菓子屋の店の中には実際に入ることができる。
 小さな駄菓子屋は一坪ほどの広さで、中は四畳半の居間にちゃぶだいと小さな箪笥、茶箪笥などが置かれている。復刻されている町並みは私が生まれるずっと以前のものだが、なんとなく懐かしい気持ちになる。旦那の実家は昔駄菓子屋を営んでいたことがあるので、展示されている菓子箱やビンなどを一つ一つ指差して懐かしそうにしている。

二階にあがると、昔のおもちゃを実際に触ってあそぶコーナーなどがあり、ぶんぶんコマなどで子供達が遊んでいるがなかなかうまくぶんぶんできないようだ。旦那が上手に鳴らしてみせると、興味深そうに凝視している。
  一階は大正から昭和の初期の展示で、二階は大平洋戦争時や昭和30〜40年代の展示がされており、一階と同じように復刻された部屋に入ることができるようになっている。昭和40年当時の部屋は一階よりも多少広い作りのアパートの一室風になっており、部屋の中に台所があり、テレビやラジオ、電話もある。生活が便利になるにつれ部屋も広くなり、家財道具も増えているのだなあと思ったりする。二階の部屋の方が私達には馴染み深いが、足付きテレビや黒電話がある家庭はまだまだ少なかったはずなのにと思ったりもする。
 昭和20年代の風景が展示されているところで、「うちのあたりは田舎だったから昭和40年代中頃までこんな感じだった」と話したりしていると、となりで展示物をひとりで見ていたおじさんに笑われてしまった。

立体カメラで昔の風景を見ることができたり、古いパズルゲームで遊べたりと、小さいながら盛り沢山の展示に満足した。
  資料館に入る前に降り出した雨が止んだようなので、お腹もすいたしお昼を食べようと資料館をあとにした。

水月ホテル鴎外荘 http://www.ohgai.co.jp/
 上野恩賜公園 http://www.ueno.or.jp/index3.htm
 下町風俗資料館 http://www.taitocity.net/taito/shitamachi/index.html
 台東区循環バス『めぐりん』 http://www.city.taito.tokyo.jp/index/000020/012353.html

◇東京下町散策 かっぱ橋〜浅草2006年08月26日 05時34分22秒

 
かっぱ橋道具街のシンボル Niimi食器店のおじさん  

上野公園を堪能した後、昼食を取るため浅草に行くことにした。今回の下町散策の目的の一つに、かっぱ橋道具街に行くというのがあったので、東西めぐりんで浅草の六区まで行き、そこから歩いてかっぱ橋に戻るコースを辿ることにした。
 東西めぐりんは、京成上野駅池の端口の前に18番停留所があるはずなのだが、なかなか見つけることができなかったので、交番のお巡りさんに聞くがお巡りさんも良くわからない様子。ちょっと通りに出てみると、目の前に停留所があった。めぐりんは15分間隔でコースを巡回しているので、少し待つとバスがやってくる。上野公園のを山手線の線路沿いを走り、昭和通りを超えてかっぱ橋本通りを浅草方面に走る。道は多少混んでいるが、すいすいと快適に進む。バスの中も混んでいるわけでもないので、すんなり座っていくことができた。

かっぱ橋本通りに出ると、通りのあちこちにかっぱの像が立っている。あとで浅草からこちらの方に歩くのが楽しみだ。24番つくばエキスプレス浅草駅前で降り、六区の方に向かう。
  以前はつくばから浅草に向かうには、常磐線か高速バスで上野まで出なければならなかったのだが、つくばエキスプレスができてからはダイレクトに来ることができるらしい。私達が引っ越した頃はあと4年ほどで開通するという噂だったが、結局つくばにいた8年間の間に開通することはなく、つくばを出た次の年に開通したのだ。以前はつくばから東京に出るのが大変だったことを思うと、大変悔しく感じる。

 
  洋食屋ヨシカミ

昼食は、事前に旦那が調べて行きたかった洋食屋ヨシカミで取る事にする。ここのキャッチコピーは『旨すぎて申し訳ないス!』。創業が昭和26年という老舗の洋食屋で、いつも行列ができているらしい。しかし、旦那が場所を間違えて寿司通りを往復するはめになり、せっかく早めについたのにヨシカミを見つけたのは12時だった。ヨシカミは六区のバスケットコートからすぐのところにあったのだ。
 ヨシカミの前ではお店の人が予約表を持って待っており、名前を記入すると「15分から20分くらいお待ちください」と言われた。店内は古い木造の作りで、大きなカウンターから厨房が全て見渡せ、ボックス席もカウンター席も満員である。厨房のスタッフは、その日のメニューの品数を「○○もらった」と声をかけあって確認している。 この日のランチメニューはポークソテーだが、ここの名物はハヤシライスだ。少し迷いつつハヤシライスを注文する。ハヤシライスは、私達のすぐ後で入ってきた人たちで終わってしまった。ハヤシライスは濃厚な味で大変美味しかった。カウンターで隣に座ったカツサンドを食べている中年の女性が、「ここのハヤシは通販もやっていて、お店で食べるのよりは落ちるけど、そこいらのものよりずっと美味しいのよ」と教えてくれる。半分ほど食べているところへ、別な客がビーフシチューを注文しているのを見て、ビーフシチューも捨てがたかったと思った。カレーもオムライスも美味しそうで、旦那と別なものを注文すればよかったと少し後悔した。お会計のときに、通販用のカタログと小さなマッチをもらってきた。

食事を終えて、めぐりんで来たかっぱ橋本通りを戻り、かっぱ橋道具街に行く。かっぱ橋道具街はプロ用の厨房機器や食器、食品サンプルなどの店が軒を並べる通りで、食品サンプルのリアルさが受けて外国人観光客も足を運ぶ観光地にもなっている。浅草からは、地元の人が利用する商店街のかっぱ橋本通りを抜けたところにある。途中バスから見えたかっぱの像を確認して歩く。

   
かっぱ橋本通りのかっぱの像(左の写真をクリックすると拡大して見られます)

途中の商店のウインドーに通りにあるかっぱの像の一覧らしき写真が飾ってあったが、かっぱ橋道具街までの間には3体しか確認することができなかった。しかし、そのユニークな表情やポーズがかわいらしい。

かっぱ橋道具街に着くと、通りは人もまばらで半分以上の店が閉まっている。ここもお盆でお休みなのだ。かっぱ橋本通りとかっぱ橋道具街が交差する角にある家具屋の二階の「青樹」というギャラリー兼喫茶店に入って一服することにした。階段をあがったところにいきなり犬が寝ていてびっくりしたが、人の良いママが笑って迎えてくれた。ここではバナナジュースを注文する。バナナの生ジュースの上にアイスクリームがのっている。味はさっぱりしていて、バナナの濃厚でさっぱりした甘さがアイスクリームで少しづつ甘くなっていくのが楽しく、大変美味しかった。

 
巨大なかぶと虫   変なかっぱの絵

青樹を出て、とりあえず開いている店を廻ってみることにする。開いている店は、食品サンプルの店と食器や調理道具の店ばかりのようだ。食品サンプルの店はさすがに外国人観光客が多い。店頭用の本格的なサンプルは値段も高いが、観光客用の小さなキーホルダーやマグネットは数百円で買える。寿司やラーメン、餃子、魚、肉、お菓子などたくさん種類がある。特に、まんじゅうのサンプルはまわりの粉っぽさもリアルで、本当に本物そっくりでおいしそうだ。

以前クエン酸で把手が取れてしまったステンレスの行平鍋を思い出し、調理道具の店を見てまわることにする。しかし、行平鍋は普通アルミ製がほとんどで、高いものは銅製なんてのもある。銅製の行平鍋は手作業で打ち出した立派なもので、1万円以上するものもある。ステンレスの行平鍋がないか尋ねてまわるが、いずれもIH調理器用に作られたつるっとしたものばかり。IH調理器は打ち出しだと均一に熱が伝わらないので、つるっとした普通の鍋になってしまうのだそうだ。どこへ行っても「知らない」という返事ばかりで、たまに知っていても「ステンレスの鍋は熱効率が悪くこげやすいので行平には向かない」という返事だった。

店は閉まっているが、かっぱ橋道具街のお店の看板などを見るだけでも楽しい。ばかでかいかぶと虫や、変な顔のかっぱの絵があったりする。通りの店頭にかけられている店名の看板は、どれも黄桜のかっぱの絵で有名な清水崑さんのものと思われるかっぱがついている。閉まっている店の中には、調理台や食器でもグラス専門の店や、和食器の専門店など細かく分類されているようだ。この次の機会にまた来ることにし、浅草へ戻ることにした。

 
ビールジョッキの
アサヒビール本社ビル
 

浅草へ戻って浅草寺をお参りし、あげまんじゅうを食べたりしながらぶらぶらして、人力車に乗ることにした。以前にも浅草で人力車に乗ったことがあるが、知っているようで知らない場所を案内してくれ、色々な質問に答えてくれるので観光気分を十二分に味わえる。行きたい場所を細かく指定するのもいいし、ある程度コースになっている場所を案内してもらうのもいい。
 この日は浅草寺周辺の歴史的な場所に案内してもらった。浅草寺入口の雷門から二天門を抜け、隅田川沿いを走り、神谷バーの前を通って20分コースのところを30分かかって雷門の前にもどった。雷門や二天門の由来の説明や、神谷バーの歴史、吾妻橋沿いにあるアサヒビールの本社ビルが浅草側から見てビールのジョッキに見えるスポットなどを教えてもらったりして、楽しかった。

この日の夕食に楽しみにしていたレストラン大宮の夜の営業時間ちょうどになったので、仲見世で浅草名物のお菓子「これでよしなに」を購入して、大宮でおいしい食事を堪能し、松坂屋の前から上野駅行きの東西めぐりんの最終便に乗って浅草を後にした。

お盆で行きたいところの多くがお休みだったけれど、逆に人が少なくのんびりと楽しむことができた。東京で“のんびり”というのも、なんだかにつかわしくないように思うが、せわしない場所が歳と共に苦手になっていくので、かえってこの方が楽しめたと思う。
 ただ、人力車に乗っているときに隅田川沿いに出店が出ており、そこで隅田川のお盆の名物「灯ろう流し」が7時より開催されることが書かれたうちわをもらっていながら、そんなことはまったく気付かずにいたことを家に戻ってからテレビのニュースで知り残念に思った。

 

洋食屋ヨシカミ http://www.yoshikami.co.jp/
 かっぱ橋本通り http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/syouten/kappabasi-hondoori.html
 かっぱ橋道具街 http://www.kappabashi.or.jp/index.html
 喫茶 青樹 http://www.tctv.ne.jp/ih-aoki/cafe.html
 浅草寺 http://www7.ocn.ne.jp/~sehayama/oteratojinnja.htm
 

◇冥王星の矮惑星降格における教育関係への波紋はそんなに大きなものなのか2006年08月27日 01時04分10秒

今日の冥王星

水金地火木土天海冥。
私達は、小学校の頃こうして太陽系の惑星の位置を覚えた。
途中、冥王星の軌道により海王星と冥王星の位置が入れ代わった時期もあって、「水金地火木土天冥海になったんだよね」とか言っていた懐かしい時期もあった。

今回、国際天文学連合が新しい惑星の定義を決めるにあたり、冥王星は惑星ではないという決議がなされた。最近になって、冥王星レベルの新しい天体が発見され、冥王星の定義について疑問視する声が多かったからということらしい。
科学という学問はもともと、ある現象について、それを理解するために、人が勝手にそれを定義づけるものだったりして、これまでの歴史の中でもその定義にあてはまらない現象が出てきたりすると、新しい学問ができたりしてきたものだ。そうして移り変わり、発展していくものなのだろうと思う。

そのことに気付いたのは、中学生の頃カール・セーガン博士の「コスモス」という天体を扱った番組が放映され、それを見て科学の常識がそれぞれの時代で違うことを知ったのだ。
「コスモス」はちょっとしたブームのようなものだったので、当時理科の先生が「コスモス」を題材にとり、「今私達が学んでいることは、明日には正しくないものであるかもしれないが、今このことを学ぶことでその違いに気付くことができるのだ」というようなことを話してくれ、それがとても印象に残っている。

「今日の常識は明日の常識ではないかもしれない」

科学に限るものではないが、少なくともこのことをはっきりと明確に確認することのできる歴史的な舞台の一つが、今回の冥王星の事例なのではないかと思ったりする。

ニュースやワイドショーなどでは、こぞってこの問題を取り上げ、教科書に記載されている内容の変更が来年度に間に合わず、教科書業界は大変なことになっていると伝えている。
その中で、間違った内容の教科書で勉強することで、子供達の受験に大きな影響があるようなことを言うコメンテイターもいたりするが、そんなことが本当に大きな問題なのだろうか。

確かに教科書の内容は、今回の国際天文学連合の決議によって変更は余儀無くされるだろうし、変更されるべき内容であるとも思う。このことに異論はないが、教科書の内容が突然「間違い」になったからといって、子供達の受験に影響があるとは思えないのだ。
逆に、今まで学んだことが今後違うものに変更されるかもしれない事実と、以前と現在の定義の違いを伝えることの方が、ずっと大切なのではないかと思ったりする。

少なくとも、冥王星が海王星よりも地球に近い時期は、「水金地火木土天海冥」は惑星の順序としては常識的に間違いであった。
この時期の受験の問題に「太陽系の惑星の順列を太陽に近い順に示せ」という意地悪な問題が出ていたとしたら、「水金地火木土天海冥」でも正解だったのだろうか。
「現在時間で」という注釈がついていたならそれは間違いであっただろうが、この時期に冥王星が海王星よりも太陽に近い位置にあるという「常識」を知らなければ、この問題に正解することはできないだろう。

教科書の正しい記載が間に合わないのであれば、今回の経緯を書いた印刷物を添付すればすむことである。教科書業界がそれをやらないのであれば、先生がそれをすればいいことだ。教科書にそういう変更があったことを、生徒は自分のノートに赤字で書いておけばすむ話なのだ。
教科書に書かれていることが世界の全てではないということを知ることの方が、教科書の内容が変わったことよりもずっと重要なのではないかと思う。

◇水中ワッツ2006年08月29日 01時43分19秒

近所の公営プールが、今年から水中リラクゼーションや水中エクササイズなどに力を入れるようになったらしい。メニューの中に“究極のリラクゼーション”が体験できるというワッツというものがあり、8月中たまたま予約があいていたので試してみることにした。
予約時に一度に行う定員は2名までなので、旦那と二人で申し込んだ。

インターネットで調べてみると、ワッツは「水中指圧」が語源とのこと。水中指圧というくらいだから、水中でいろいろなつぼを押したりするのだろうかと思っていたが、実際はちがっていた。あるサイトでは、「赤ちゃんの気分を味わえる」などと書かれているが、そちらの感覚の方が近いかもしれない。

予約の日は通常営業が終わる時間に来るように言われた。予約日に行くと、25mのプールには私たち夫婦以外にはトレーナーの人しかいない。プールの温度はいつもより少し高めになっている。体温と同じくらいか、それより少し低いくらい。しかし、25mのプールでほんの数分前までは通常営業していて、競泳の人がばさばさと泳いでいたので、場所によって温度差がある。
トレーナーから簡単な説明がなされ、水中で行うのは深く息をすることと目を閉じているだけと言われる。
「どこか悪いところはありますか?」と聞かれたので、腰痛と肩こりがひどいことを告げた。

照明を少し落として静かな音楽が館内に流れる中、最初はプールの真中あたりで壁に背をつけて腕を前に出して水面に浮かせるようにし、目をつむってリラックスする。「用意ができたら2~3歩前に出てください」と声をかけられたので、そのまま前に進むと、トレーナーが首と腰に手をまわし、抱きかかえられるようにして水面に浮かぶ。
最初は、水面に浮かぶようにしてトレーナーに抱かれたまま、ゆらゆらと身体を揺らされる。水の軽い抵抗が気持ちよい。
腰にあてた手の位置を変えることで、腰が軽く伸びたりちぢんだりする。
水の動きで、25mのプールをまんべんなく移動しているのがわかるが、その都度足の位置や腕の位置を変えたりしながら、水の抵抗で身体に心地よい刺激があるのがわかる。
トレーナーに補助してもらっているとはいえ、水に浮いて移動する感じは、まるで静かな海にたゆたっている感触。
トレーナーは、腰やひざの裏などに手を移動し、身体を伸縮させたり伸ばしたりするが、地上では相当無理な体勢のはずでも、水の中でゆっくりと抵抗を感じながら身体が動くので、静かに身体が伸び縮みする感じがとても気持ちがよく、無理な力がまるで入らない(入れようと思えば入るが、入れたいと思わないのだ)。現実的にはストレッチしているのだろうが、そういう実感はまるでない。
一度だけ、片足をトレーナーの肩にかけられ、腕に指圧されたのが少し痛く、無理な体勢といえばいえるが、普通に触られればとびあがるほど痛い個所のはずなのに、それさえも心地よく感じるのだ。

ゆらゆらと小一時間水面に浮かされて終了したあとは、身体がものすごく軽く、気持ちもさっぱりして落ち着いて楽しい気分だった。腰や肩が軽く感じられ、プールに来る前まではずいぶんと重かったのだなあと思う。

終った後、トレーナーが「公営のプールなので、温度など不具合がまだまだあるのがネックですが」と言っていた。それでも公営のプールでこのようなサービスが有料でも受けられることがとても嬉しく思う。料金も伊豆などでは50分4000円とか、一泊20000円なんてところもあるので、気軽に受けられるのが魅力だ。でも、一週間に一度のサービスで9月の予約はいっぱいのようだ。もう少し予約がとれやすいといいと思うが、25mのプールを一人が2コース占有しなければならないので、それもいたしかたないのだろう。

終った後、ずっと私の首に回していた手をトレーナーがさすっていたのが印象的だった。いくら水の上とはいえ、弛緩した人の首をずっとささえており、場合によっては自分の息さえも相手に不快感にならないよう配慮しながら行ってくれていたのが伝わっていたので、「こんな太った女をずっと抱きかかえなきゃならんのは大変だったろうなあ」と思った。



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