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◇計画停電二日目。茨城県の友人から連絡が来て、原発の話をする。2011年03月17日 01時44分41秒

2011年3月16日水曜日 計画停電二日目。

今日は昼から夕方までなので、旦那は午前中で仕事を引き上げて帰ってきた。
昼食の用意をしなければと思ったけれど、暖房もなく寒いので布団に入っていたら、そのまま停電の間中旦那と昼寝をしてしまった。

夕方からスーパーに行くと、物がないのは相変わらずだが、野菜や肉などは多少入荷してきている。
ティッシュペーパーが切れていたのだが、紙物の棚はすっからかんだった。しかたないので、古布ティッシュを強化することにする。

停電が終わった直後に、ずっとメールが遅れなかった大洗出身で現在は県内のK市在住の友人から連絡が入った。
地震のあった日にメールで連絡して以来、メールも電話もつながらなくなっていたのだ。
最後のメールは、彼女の去年生まれた子供が40度近い熱を出しているというもの。

昼寝の間にメールが入っていたので、返事をしたら電話がかかってきた。
子供は幸運にも地震直後に病院で治療を受けることができ、なんとかなったらしい。

彼女の家は去年新居を建てたのだが、そこが断層の上だったようで、その近所では断層の上に線を引いたように一直線に崩壊したり破損したりしていたらしい。
彼女の家は壁にヒビが入ったが、そのヒビが入ったおかげで崩壊をまぬがれたとのこと。近所にある築数十年の旦那の実家は、断層からずれたところにあったので、ビクともしなかったらしい。

彼女の実家は大洗にあり、私も一度遊びに行ったことがあるのだが、海からほど近い場所にあった。
大洗が津波の被害を受けたと聞いていたので心配していたのだが、みなさん無事であるとのこと。

その後の話が茨城らしいのだが、このあたりは家庭で自家発電機を持っている家もあるらしく、彼女の家でも電気が戻るまでそれで暖をとっていたらしい。
水は今も断水しているのだが、井戸水で生活している人が近所にけっこういるので、そこで水をもらえたからなんとかなったとのこと。
「なんかすごいね~」というと、「ここいらでは普通ですよー」と言われてしまった。

しかし、石油の不足で自家発電装置があっても安心というわけではなかっただろうし、水だってそうそういつももらえるとは限らないだろう。
今は彼女のいる地域でもライフラインが復活したことで、ひとまず安心のようだ。

茨城に住んでいたとき、地元の人からは「ここはりんごの南限、みかんの北限。食べ物はなんでも取れるし、水は地下水と霞ヶ浦があるから、災害には強い」とさんざん聞かされた。
異常気象で世間的には野菜がないと大騒ぎしているときに、「野菜あまってるんでもらってもらえませんか」と、茨城の友人から連絡がきたこともあった。

つくば市に越したときにも、防災案内には「東海地震とは関係のない土地である」と強調して書いてあった。
しかし実際住んでみると、地震がものすごく多くてびっくりした。
それでも、「首都圏に何かあれば、茨城が助けるのだから」とみんな言っていた。

彼女の家庭のような家が全てではないだろうし(避難所で、頼る人もいなくて困っている人も、たくさんいると思う)、もともと地元で隣近所親戚でふだんから助け合って生活している賜物だろうが、今回も茨城県のすごさを改めて思い知る。

私の知る茨城県民は、みんな強くてのんきな人ばかりだった。
“のんき”というと怒られそうだが、力の抜き方を知っているという感じだ。

彼女とは、11年前の東海村の事故のときにも、一日中つくばで一緒にいた。
彼女も私たちも、事情があってつくばから離れることができなかったのだ。
つくば市は東海村から40kmほどしか離れていない。
大洗は東海村のすぐそばで、彼女はたぶんすぐにでも家族と会いたかっただろうと思う。

当時避難勧告が出たのは、周囲500m(!)。
もっと近い場所の人たちが避難していないのに、40kmも離れた場所への影響がどういうものなのか情報もほとんどなく、ただ「東海村で原子力事故が起きて人が死んだらしい」ということしか、当時は判らなかった。

その時学生だった彼女は、その後東海村の原子力施設で働くことになった。技師ではなく、事務職員としてである。
電話で「原子力施設にいて半端な知識があるので、福島原発事故による都内の放射能数値で、大騒ぎしているのが不思議に思える」と言っていた。
私もつくばの研究所にいて、原子力関係の研究者と友達になったりして、東海村の事故の話をいろいろと聞いたりしていた。

本当かどうかはわからないが、東海村の放射能と今回の福島のものはちょっと種類が違っており、東海村のときの方がやばいものだったという話も聞く。
少なくとも今日都内や神奈川あたりで飛んでいた放射能よりも、ずっと多い量をつくばであびているだろうと思われる。
それでも、この11年特に放射能が原因で身体の具合が悪くなったということはなく、花粉やタバコが原因の症状の方がよっぽど辛い。

昨日の夜に放送していたNHKの放射能の説明で、CTスキャンなどの被爆の量を見ると、今日あちこちに飛んでいた放射能の量の話ではない量であることを知る。
腸閉塞で入院したとき、医局とレントゲン室との連絡ミスで部位を間違えて撮影してしまい、何度もレントゲンとCTを取り直したことがあるが、あれは一日でどれだけの被爆をしたのだろうかと思うと、ちょっとぞっとしない。

それよりも何よりも、東海村のときは、人が死んでるのに誰も事故をどうにかしようとしなかったらしい。
誰かが「おまえらがやらないで誰がやるんだ」と叱咤したことで、やっと事態収拾に動いたらしい。
もんじゅのときも、柏崎狩場のときも、会社は極力情報を隠そうとしていた。
正しい情報など、事故が収束してからポロポロと出てきた。

今回は原因が地震だとはっきりしているとはいえ、東京電力のエンジニアが全力で作業にあたっている。
地方の原子力発電所の作業員にも募集を募り、定年まで半年の技術者が志願して福島に向かったとのニュースも読んだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110316-00000018-jij-soci

情報が少なすぎるとか、遅すぎるとかいろいろ批判はあるが、政府も必要と判断された情報を流している。
こういう事態で少なすぎる情報も不安だが、多すぎる情報はパニックのもとだ。
いろいろと批判のある政府だが、今は信じるしかない。

こういう事態になって、放射能が気になるのも理解できる。
逃げることができてその場所がある人は、逃げればいいと思う。
でも、さわいだところで私たちには何もできないのだ。
それよりも、自分の身を挺して作業にあたっている技術者や自衛隊の人たちが、無事に作業を終えて、最善の結末を迎えられることを祈ることしかできない。
そして、原発事故で避難勧告が出た地域の、一回り外側の地域の人たちの方が、それより遠く離れた地域よりもずっと恐怖であることも、認識すべきだと思う。

東海村の事故の時も、事故の後は地元の人たちはみんなどっしり構えて、慌てた様子はなく、外から入ってきた人がそわそわと落ち着かない様子だった。
でも、地元の人があわててないのだから、とみんな平静を取り戻していったのだ。
地元の人たちが不安じゃなかったわけではないだろうが、あの人たちは原子力施設ができたときに、ある程度の覚悟みたいなものがあったのかもしれないと、今は思っている。
騒いでも落ち着いていても結果は同じだと、茨城県で被災した彼女と電話で笑いあえたことが、とても心強く嬉しかった。



明日の停電は9時20分から13時。
旦那の会社は停電エリア除外区域に指定され、明日から通常勤務となるらしい。
私も午前中から病院に行くが、ちょうど停電時間内なのでどうするのか。
車は使いたくないから、バスと電車で行くか、原付で行くか。
電車が通常運転していないので、不確実性が多すぎてちょっと不安。

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☆3/18補足
今日、くだんの彼女から携帯にメールが入った。
パソコンを立ち上げる余裕が少しできたので、一番最初にここを見てくれたらしい。
そこで、内容の不備を指摘されたので、この文章を今日少し書き直した。
最初の文章だと、福島原発の現地の数値がたいしたことがない思っているように、誤解される恐れがあった。

私たちが感じていたのは、この日(3月16日)の時点で福島の原発の影響で都内や神奈川などの現地から半径150km以上ある場所で、いたずらに放射能の量が平常時よりもどれだけ高いとか、ミリとマイクロを言い間違えて大騒ぎしているけれど、その幅がどれだけのものか、それをどの程度の人が理解しているのだろうかということが疑問だった。

もちろん、普通のことではないことが起きているので、怖くないわけがない。
つくばにいて東海村で事故が起きたとき、私たちが怖くなかったわけでもない。
つくばよりももっと東海村に近い人たちは、もっと怖かっただろうと思う。

今現在、茨城県内にいる彼女も、今は子供の母親になり、以前よりも遠いところで起こっていることとはいえ、やはり怖いだろうと思う。私はそこからさらに遠くに引っ越しているけれど、怖くないかといえばうそだ。たぶんみんな同じ気持ちだろうと思う。
でも、ただいたずらに騒いだり、東京電力を避難したところで、放射能が止まるわけではないということを言いたかった。

この福島原発の事故で、遠く離れた関西や中国地方の人たちも、放射能が不安だと訴える人がいるというニュースも目にする。
そんな遠い土地でも、不安が伝染してしまっているのは、とても悲しいことだと思う。
そして何より、風評被害によって福島に物流が途絶えてしまっていることに、心が痛んでならない。

最初の文章が、誤解を与える文章になってしまっていたことを、茨城の友人とこれを読んでくださった方々に、改めてお詫びいたします。


☆3/20補足
今日、茨城北部の避難所が孤立しているニュースを見た。
私が書いたこの記事が、茨城北部で被災した地域が、それほど深刻でないような印象を与えたのではないかと感じ、それについても多少文章を書き直した。

茨城県は、北部と南部では被災の度合いが大きく異なり、内陸と海側とでも異なる。
北部の海側では甚大な被害があり、死者も出て、避難所では今も多くの人たちが避難生活を送っている。
福島の原子力発電所から距離的に近いせいもあり、福島南部と共に放射能被害が懸念されてか、物流が滞り、茨城北部や福島南部では孤立した状態になっているところも多いようだ。

私の友人は、地域の人たちの助けで、早い段階で被災当時も暖をとることができたし、断水の中でも水を確保することができたのだ。それはあくまで不幸中の幸いであり、他の茨城の被災者が全てそのような恩恵にあずかれたわけではないことを補足する。

前にすでに文章修正をしたことも含めて、誤解のある文章であったことを、重ねてお詫びいたします。

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