Copyright & 2006 by makura GEKIDAN Shirakaba. All Rights Reserved.
 無断転載を禁ず
Google
WWW を検索 げきだんしらかば を検索


◇ソチオリンピック フィギュアスートエキシビジョンの銅メダリスト デニス・テンについて2014年02月24日 16時50分34秒

Denis Ten Sochi Olympic figure skating bronze for Kazakhstan)
Denis TEN (SochiOlympic figure skating bronze for Kazakhstan)

動画:gorin.jp
ソチオリンピック フィギュアスケートエキシビジョン
デニス・テン『カザフスタンの英雄』


バンクーバーオリンピックのときに、「◇バンクーバーオリンピック 男子フィギュアスケートを見て思ったどうでもいいこと」という記事を書いた。
ここで私は、当時16歳のカザフスタンのデニス・テン選手について触れ、「是非カザフスタンの民族楽器ドンブラの演奏曲で演技してもらいたい」と書いたのだが、その希望は彼の銅メダル受賞と共に、エキシビジョンで叶えられた。

このときの曲は、カザフスタンの若い作曲家グループ「トゥーラン(NHKのアナウンスでは、「ツーラン」と聞こえたが、詳細は不明)」の『カザフスタンの英雄』。
最初に擦弦楽器の演奏から入り、その後風の音がして、弦楽器の演奏が始まる。
ネット上では二胡だ、馬頭琴だというコメントが多かったが、カザフの音楽であることを強調しているのであれば、楽器はカザフスタンを象徴する楽器。冒頭はカザフの二弦の擦弦楽器コブズ。弦楽器は二弦のドンブラだろう。


コブズ
コブズ(私家版 楽器辞典http://saisaibatake.ame-zaiku.com/gakki/gakki_main.html

ドンブラ
ドンブラ(私家版 楽器辞典http://saisaibatake.ame-zaiku.com/gakki/gakki_main.html


カザフ族はもともとトルコ系民族らしいが、カザフスタンはシルクロードのほぼ中央に位置し、昔から東西の文化が交流する場所でもあり、過去にもさまざまな国に統治されてきた歴史を持つため、さまざまな文化の影響が見られる。
トルコ語で「デニス(デニズ)」は海を意味する言葉。国土のほとんどが海に面していないカザフスタンで、海は特別な言葉だ。

今回デニス・テンが演技したこの曲も、トルコ、アラブ、スラブ、モンゴル、中国とさまざまな土地の印象がちりばめられていて、非常にカザフスタン的な曲だと感じた。
また振付けにおいても、カザフスタンの文化の一つでもある鷹狩りや、砂漠の風をイメージしたり、遊牧民族や馬などを彷彿させるようなマイムがふんだんにちりばめられており、カザフスタンの文化を表現するような作りになっていて、非常に素晴らしかった。

何より、デニス・テンはカザフの文様を胸に掲げ、カザフスタンの民族衣装と文様を施した衣装でリンクに登場したのだ。
彼はカザフスタンの英雄であり、カザフスタンの代表としてあの場にいたのだと、はっきり意思表示し、それはとても感動的なものだった。

ソ連時代、広大なカザフの土地では、宇宙基地が作られ、砂漠では水爆の実験も行われた。この水爆実験の影響は、今もこの地域に影を落としているし、宇宙基地は今でもロシアが租借している。
ソ連統治時代には、民族楽器や文化はソ連に反する文化として排除された。
それはカザフスタンだけではなく、ソ連の支配下に置かれていた多くの国がそのような状況下にあり、多くの文化は忘れられ廃れていった。
カザフのドンブラやゴブズも一時は継承するものもなく失われていく運命を背負っていたが、ソ連崩壊後に自らの文化を取り戻そうと、盛んに演奏されるようになったものだ。

ソ連から独立し、自分たちはカザフであるというアピールを、ロシア開催のオリンピックで披露するというのは、カザフの英雄としてはとても重要な責任であり、自らのアイデンティティーでもあったのではないかと感じる。
一部報道では、デニス・テンが韓国系であるとも報じられたが、自らの出自よりもカザフスタンの代表であることが重要だったのではないかと、彼の演技を見て思った。

オリンピック開催中に、ウクライナで内戦が勃発し、旧ソ連の影響は未だに独立国家に根深く残っている。
今回のソチオリンピックは、ロシアが他民族国家であるということを意識した作りであるとの報道があったが、個人的には開会式も閉会式も、それを感じることはできなかった。
スタッフの衣装や、会場の壁面を彩った様々な文様は、ロシアのそれぞれの民族の文様をあしらったものであるとのことだったが、それを全面にアピールするようなものはなかったように思う。
そんな中で、旧ソ連の国から様々な想いを胸に抱いて参加した選手が多く活躍した今回のオリンピック。
旧ソ連の国の中央アジアの代表として、デニス・テンがメダルをとり、世界中の人が楽しむエキシビジョンで民族を象徴する演技を披露したことは、非常に意味のあることだと強く感じたのだった。

◇フンフルトゥ 東京公演 20122012年06月29日 04時59分24秒


Huun-Huur-Tu - Live at Porgy and Bess 2010 05 10

13年ぶり、東京三鷹の武蔵野市民文化会館 小ホールにて行なわれた、Hunn-Huur-Tuの東京公演に行ってきた。

フンフルトゥ 日本ツアー2012詳細
http://www.harmony-fields.com/a-huunhuurtu/

私たちは1999年に茨城県つくば市の公演で彼等の演奏を聴いているのだが、以前はスタッフとして会場を飛び回っていたので、席でゆっくり聞くのはこれが初めてだ。

13年前もそうだったのだが、彼等はロシアでも屈指の芸術家であるので、世界中を飛び回っているスーパースターだ。日本であまり知名度が高くないのが、もったいないと思われるくらいだ。

1998年、1999年と同じように、今回の公演も「祈祷」から始まった。
これは本当にいつ聴いても圧巻である。彼等のコンサートのオープニングの定番だが、初めて聴いたときも二度目のときも、そして今回も彼等が一音発した瞬間、身震いするほどの迫力があり、伴奏のないこの歌によって、観客はすっかり彼等の世界に引き込まれてしまうのだ。

演奏された曲は定番の曲が多く、CDなどで馴染みのある耳覚えのある曲ばかり。
一時期は彼等の曲ばかり聞いていた時期があったので、安心して懐かしく聴く事ができた。

つくば公演のスタッフを一緒にやっていたIさんが、兵庫の公演を見た感想をメールしてくれたのだが、「演奏や歌には影響はないものの、カイガルオールは咳をしていて辛そうだった」と言っていた。東京公演でもステージで咳をする姿があり、少し元気がない様子だったのが気になったが、彼女が言うように演奏や歌にはほとんど影響を感じさせなかった。


今回の日本ツアーは、長年トゥバに親交を持ち、トゥバを日本に紹介した第一人者の一人である、等々力政彦氏のプロデュースによるもの。
彼は札幌在住の嵯峨治彦氏と二人の、「タルバガン」という喉歌ユニットのメンバーでもあり、自身もフーメイやトゥバの楽器を演奏する。

1998年と1999年のつくば公演のときに、公演資料を作るために、当時ほとんど知られていなかった喉歌のことについてメールで連絡をとったところ、「コンサートの手伝いをしたい」と当時関西の学生さんだったのに、わざわざフンフルトゥのためにつくばまで出てきたのが彼だ。
手助けをお願いしたのはこちらからだったが、彼の熱意には当時から非常に圧倒され、1998年のときにも楽屋付きのお手伝いをしてくれたし、1999年の公演のときにはつくばの今はなきライブハウス「AKUAKU」でタルバガンによるプレライブが行なわれ、フンフルトゥの公演当日も最後の何曲かを一緒に演奏するという快挙を成し遂げた。

フンフルトゥが世界的なスーパースターであることを考えると、今ではちょっととんでもないことだったとも思ったりする。ビートルズがあまりよく知られていない田舎の土地で公演をしたときに、彼等と友人だからステージで一緒に歌わせろと言っているようなものだからだ。
しかし、友人である等々力氏のステージ参加の申し出に、フンフルトゥのメンバーはとても喜んでいたし、懐の広いつくばのオーガナイザーN氏も非常に面白がっていて、当初苦い顔をしていたのは招聘元の人達だけだった。
しかし1999年の公演は、あの日あった過酷な状況をものともせず、至上最高の演奏であると、その演奏を聴いた人であれば誰もが認めるものとなった。

今回は等々力氏が自ら招聘し、誰に気兼ねすることもなくフンフルトゥをサポートすることができ、感無量であったことだろう。
今回彼は、コンサートの資料を自作し、公演パンフレットもトゥバについて非常に充実した内容で資料として販売し、コンサートの途中で何度かMCとして登場して楽器やフーメイについて説明しており、彼のトゥバ愛をいかんなく発揮しているように見えた。


今回の公演でつくば公演と違っていたところをあげるとしたら、当時の主力メンバーであり主にフーメイ、口琴、二胡のような形の楽器「プザーンチゥ」を担当していたアナトーリ・クーラルに代わり、若いラジク・テュリュシが参加していること。
ラジクもプザーンチゥや口琴を担当し、「ショール」という縦笛も演奏する。
以前はフーメイや歌のパート担当が比較的はっきり分かれていたが、今回はアナトーリがいない分、カイガルオール・ホバルグの担当パートの割合が以前よりも多く感じた。
ラジクもフーメイを担当しているが、アナトーリが以前担当していたパートを、ラジクがそのまま担当するというものではないようだ。

つくば公演では“口琴名人”と言われたアナトーリが主に金属口琴デミル・ホムスを演奏し、彼の超絶技法でもある手離し演奏(口琴の弾くところを口の中に入れ、舌で演奏する技法)も披露され、大喝采を浴びた。
今回は、カイガルオール、ラジクとサヤン・バパの三人がデミル・ホムスを演奏していた。

打楽器担当のアレクセイ・サルグラルは、1998年と1999年は片面の大きなタンバリンのような太鼓(デュンギュル?)を演奏していたのが、今回は冒頭の動画に見られるような大きな両面太鼓を演奏していた。大きな太鼓はあまり記憶にないのだが、つくば公演でも演奏されていたかどうかは不明。ただ、今回は片面太鼓の出番はなかった。
また、彼も一時期は高音のフーメイの曲で、フーメイの種類そのものでもある「スグット」をソロで歌っていた時期もあったのだが、今回カイガルオールの低音フーメイ「カルグラー」は披露されたものの、「スグット」は披露されなかった。

演奏や歌そのものも、やはり以前とは彼等の年齢も体型も違うせいもあるし、パートの変化もあるので、全体の雰囲気は変わったといえる。
しかし、いぶし銀の魅力が加わわり、以前と今回とは比較できないクオリティのステージだったと思う。
悲しい曲も楽しい曲も、彼等のパフォーマンスは素晴らしかったし、全体を通して非常に風景を感じえる内容だったと思う。

ただ一つ口琴だけは、アナトーリの超絶技法をもう一度フンフルトゥの演奏の中で見たかったのだが、こればかりはないものねだりだ。
アナトーリ・クーラルは、フンフルトゥの初期のCDに参加しており、赤いジャケットのCDでは真ん中に写っているフランキー堺によく似た人物だ。
YouTubeにあった2001年のドイツでのステージで、手離し演奏ではないものの、彼の素晴らしい口琴の演奏を確認することができる。
非常に長い動画で、33分50秒くらいからラストまでに口琴が演奏されている。
口琴ファンは、こちらもぜひチェックしていただきたい(音が小さめなので、できるだけ大きな音で聴いてほしい)。

Huun-Huur-Tu: May 18, 2001, Kiel, Germany
http://youtu.be/LGSDk7yCG88?t=33m50s

冒頭のYouTubeの動画は2010年のもののようで、今回の公演の形態に一番近いと思うものを選んでみた。


そうそう、忘れてならない大きな変化は、観客のほうだ。
今回も昔からのフーメイファンや口琴ファンの馴染みの顔が見受けられ、しばらくそのような場に顔を出さなかった私は、非常に懐かしくみなさんに「ご無沙汰しています」と挨拶をした。

昔だったらコンサートが終った後、みんな感極まってロビーでいつまでも喉歌をうなったり、口琴を演奏したり、中には馬頭琴を持参するものもいたりしたのだ。
私がスタッフで参加するようなイベントでも、こちらが「会場閉めますから、速やかに退場ください」と言われなければ動かなかった。

でも、今回そういう人は誰一人としていなかった。
みんな大人になったのだなと、それはものすごく印象的だった。


※今回は等々力氏のプロデュースする公演の記事のため、グループ名、トゥバや喉歌などに関する表記は、等々力氏が推奨する表記に合わせました。 つくば公演当時は、フンフルトゥは「フーン・フール・トゥ」、フーメイは「ホーメイ」と表記しており、今回の公演の表記とは異なりますが同じものを指しています。

◇口琴CM:マンダム「GATSBY deodorantAQUA ほんだら行進曲編」2011年03月29日 04時59分34秒

 
ここのところ出色のものがなかった口琴CMで、ひさびさのヒットCMが放映中。

GATSBY deodorantAQUA ほんだら行進曲編
http://www.gatsby.jp/tv/index.php


クレイジーキャッツの「ホンダラ行進曲」をアレンジしたBGMで、キムタクとダンシングチームが華麗なダンスを披露するという内容。
ダンシングチームは、統一されない今風のファッションの人で構成されており、キムタクのダンスはたぶんアテレコではない様子。

口琴は、BGMの「ほんだら行進曲」で使用されており、私の記憶に間違いがなければ、オリジナルの「ホンダラ行進曲」でも口琴の演奏が確認できる。

現在、地震の被害で多くのテレビCMが自粛の傾向にあり、このCMも地震のある直前に放映が開始されたが、地震後は自粛されていた。
3/28のSMAP×SMAP(フジテレビ)では、久しぶりに確認することができた。

以前、日本口琴協会の定例会でCMの報告をしたときに、「キムタクのCMは口琴率が高い」と公言したが、その説が立証されたひとつだ。
キムタクの口琴CMは、今まででもカローラ フィールダー(ブレイクダンス編)や、富士通のドコモ携帯のCMなどでも確認できる。

ジャニーズは自社タレントの肖像権の問題で、ネット上の映像や画像の公開がきびしいため、Youtubeなどでもすぐに削除されてしまう危険性がある。
ここでリンクしても意味がなくなってしまうので、見たい人は各自で確認してほしい。

◇驚異の口琴2010 サハ共和国のホムス2010年10月29日 21時01分11秒

驚異の口琴

驚異の口琴
11月5日四谷・絵本塾の公演告知葉書(クリックすると拡大します)

ロシア連邦サハ共和国の口琴の催しが、今年の秋も開催される。
口琴ファンにはお馴染みのスピリドン シシーギンを筆頭に、今回はアンナ サッヴィナという美しい口琴美女が来日する。
彼女は、2009年のミス口琴インターネットでグランプリを受賞した女性で、現在はモスクワの大学ででコンピュータネットワークを勉強する才媛である。

今回、11月5日の四谷の絵本塾で催されるコンサートの広報葉書の依頼を受けた。この時の注文が「アンナの細いウエストを強調したい」というものだった。
ななめ45度の角度でポーズをとっているせいもあるが、非常にウエストの細い女性で、腰を強調したいという注文もうなずける。
(どちらかというと、昔ながらの既婚のロシア女性にありがちな体型の私は、大変うらやましい限りである。2000年に来日したフェドーラと一緒に撮影した写真を見たサハ人の別な女性は、「親子なのか」と本気で言っていた。)

支給された写真は、サハの草原をバックに民族衣装で口琴を演奏する彼女の写真だったが、撮影時にうす曇だったせいか全体的に色がくすんでいたのと、彼女の顔が少し逆光気味だったので、多少コントラストを強くして彼女の色の白さと、民族衣装の白と銀が映えるように少しだけ加工した。
ふだんは、せまいスペースに説明文が山のようにあって、写真が文字に埋まってしまうようなことが多いクライアントだが、今回は説明文も必要最小限で、色やスペースを生かすデザインをすることができ、楽しい仕事だった。

これまで、日本で紹介されたサハの女性口琴演奏家というと、NHKのロシア語講座にも登場したアリビナ ジェグチャリョーヴァ(あるいは、彼女が率いるユニットの女性メンバー)。
口琴製作の名人だったセミョン ゴーゴレフの娘で、数年前に残念ながら他界した“世界口琴名人”の一人フェドーラ ゴーゴレヴァ(私のサハのмама(?))。
そして、夫婦で活動しているハトラーエフ夫妻の奥様。

最近では、『世界で一番寒い国』として、日本のテレビでも紹介される機会が増えたサハ共和国だが、それらで紹介される学校などの口琴演奏の様子を見ていると、多くが自然の音やサハの生活の様子を口琴の音や声で表現する、アリビナの演奏スタイルを継承するものが多い。
もちろん、他の演奏スタイルを練習する人がたまたま紹介されないでいるだけかもしれないのだが(アリビナの演奏スタイルは、サハの自然の様子を伝えるにはうってつけだし)。

しかし、フェドーラ ゴーゴレヴァの演奏は、サハには珍しい超絶技法を駆使しつつも、口琴の音を存分に開放して演奏する技法だった。サハの伝統的な技法に他国の技法も取り入れる柔軟さもある。2000年に来日したきり、彼女の演奏をもう聴くことができなくなったことを残念に思う。
できることなら、彼女が生前口琴を教えていたベルディゲスチャハ村小学校の生徒が、彼女の技法を継承し、またサハを代表する口琴奏者に育ってくれればいいのにと思っているのだ。

そんな中、2009年のミス口琴インターネット投票の中で、比較的フェドーラの演奏技法に近い演奏をしていたのがアンナだった。
もちろん、口琴名人と謳われたフェドーラの優しく力強い演奏とはたいぶ違うのは当たり前だが、アンナはそれを若さと美しさでカバーしている。
彼女がフェドーラから口琴の指導を受けたかどうかは定かではないし、インターネット投票の映像を見ただけなので、実際にフェドーラの演奏を継承したものなのかどうかも未確認なのだが、今回の彼女の来日でその演奏を聴くのが楽しみだ。

公演は、11月2日の浜松市楽器博物館のレクチャーコンサート
11月3日の高円寺・円盤にて日本口琴協会定例会の中で行われる『サハの口琴奏者・製作者を迎えて』。
11月5日の四谷・絵本塾(旧 石響)
また、浜松市楽器博物館では、企画展として10月28日から11月28日までの一ヶ月間、世界の口琴の展示も行われている。

詳細は、日本口琴協会HP(http://www.koukin.jp/)および日本口琴協会の「驚異の口琴2010」のページを参照のこと。


日本口琴協会 http://www.koukin.jp/
浜松市楽器博物館 http://www.gakkihaku.jp/index.html

◇再会 陳光海(トラン・カン・ハイ)さん2009年08月10日 03時11分08秒

↑旦那があげた極小口琴を演奏する、トラン・カン・ハイさん


ここのところ、外に出るのがおっくうだったが、旦那が「トラン・カン・ハイさんが高円寺の円盤でライブする」というので、重い腰を上げることにした。

ハイさんは、前回2004年に来日している。前の来日のときには、当日具合が悪くなって行けず、今回が約10年ぶりの再会になるはずだ(しかし、周囲は2004年に会っているというのだが、私にはその記憶がなかったりする)。
前の1999年に会ったときは、私は口琴のことはまだよく知らず、楽器店で“ボルネオの口琴”として売られていたと、その時持っていた口琴をハイさんに見せると、初対面でいきなりその口琴を手に取り、速攻で演奏して見せてくれた。そして、その口琴は日本人が作っていること。スタイルはフィリピンのものであることなどを、教えてくれたのだ。
しかし、あれから10年経っている。よもや、私のことなど覚えていないだろうと思っていた。
しかし、円盤に入るなりハイさんは私に近寄ってきて、握手とハグとほほにキスをしてくれ、再会を喜んでくれたのだった。とてもびっくりすると共に、覚えてくれていたことに感動してしまった。

ハイさんの演奏スタイルは、ホーミー、口琴、スプーンである。ホーミーもモンゴルスタイルではあっても、倍音部の音階を自在に変えられるという技は、当然ながら10年前より磨きがかかっていたし、スプーンも超絶技法と言えるほどのスピードと技で、会場は大喜びだった。
口琴は、サハの口琴の音の出方について説明をしていたようだったが、あまり英語がわからないので、実際どうなのかは不明。
それでも、ハイさんのフレンドリーな人柄があらわれた、アットホームなライブで、重い腰を上げてよかったと思った。

2004年のときのライブのキャッチコピーは、「東京振動」。演奏の途中に、実際に関東地方に震度4の地震が起きて、見ている人は一時騒然となっていたが、ハイさんはそんなことにはまるで気づかない様子で、説明を続けていた。

この日は、数年前にトゥバに行ったきりになっていたAさんが来ていて、「9月にまた行きます」と話していた。向こうでの生活は快適らしいが、数年に一度ビザの関係で帰国しなければいけないのが、なかなか大変らしい。
トゥバに行く前より多少ふっくらとした印象だったが、元がほそっこかったので、ちょうどいい大人の女性の雰囲気。休憩時間に声をかけてくれ、色々と話を聞かせてもらった。

帰りに、ハイさんとAさんと、それぞれに再会を約束して帰路についたが、久々に早く帰ってしまうのがもったいない夜だった。

◇プレミアム8<紀行> 世界一番紀行「世界で一番寒い村」 NHK BS-hi2009年04月02日 02時04分55秒

NHKのBS-hiで口琴の国、ロシアのサハ共和国の話題を放映するという情報を口琴仲間が教えてくれたので、さっそくビデオをセットした。
先日行われた国際口琴フェスティバルin東京part2“花”でも、急遽来日したサハの口琴奏者キム ボリソフとも再会し、彼のすばらしい演奏を聴いたばかりだ。

番組の内容は、日本の俳優がサハの一般家庭に入ってその生活を体験したり、地元の学校に行って子供たちと交流したりと、なんとなく「世界ウルルン滞在記」みたいな感じ。
世界で一番寒い村としてギネスブックにも載っている、サハ共和国の内陸部にあるオイミャコン村が舞台。村で測定された最低気温の記録は-71.2℃らしい。

私の記憶のはっきりしている体験した最低気温が、うまれ故郷の帯広での約-30℃なので、冬のピークにはその倍以上にはなるということだ。
今はもうこちらでの生活になれてしまって、あのきんきんに冷えた空気の感覚を忘れがちになっているが、リポーターが手が冷たいのを通り越して痛くなっているのを見て、「ああ、昔は雪球を作るときとか、湯沸かし器がなかったときにはああなったなあ」と思い出す。あったかくなってきたら、今度はじりじりとかゆくなるんだ。

リポーターがオイミャコン村で唯一の学校に行き、民族音楽クラブで口琴に出会う。
サハの伝統的な口琴の演奏方法や、鳥などの模倣を声で行う歌唱技法など、アリビナ ジェグチャリョーヴァが私たちの前で見せてくれた超絶技巧が、しっかりと受け継がれている。
担当の先生が、「日本にも口琴があります」と紹介したのは、スピリドン シシーギンが作った彼のコレクションカタログ。
日本で作られた口琴として、目次さんの伯光口琴や、うちの旦那考案の割りピン口琴、S2さんの口琴などが紹介されたページが、ちょっとの間映し出されていた。

サハの民族音楽クラブの部長さんは、口琴の音はとても癒されると言っていたのが印象的だった。

ところで、セットしたビデオはチャンネル違いで録画に失敗。古いHDDビデオなので、BSのセットが面倒なのだ。
再放送が何回かあるらしいので、そちらでチャレンジしたい。


NHK BS-hi プレミアム8<紀行>
http://cgi4.nhk.or.jp/topepg/xmldef/epg3.cgi?setup=/bs/premium8-wed/main

◇口琴の発表をする2009年02月11日 12時08分56秒

秋の口琴コンサート三昧につづき、春に研究発表だとかの会をやるらしい。
私はそれの発表部門に参加することになった。
発表といっても演奏するわけではない。今まで数年気づいたときにチェックしつづけてきたことについての発表をするのだ。

気持ちの外側では「さーて、がんばろう」と言ってるのだが、気持ちの奥底では

「花粉症はじまって目がかゆいし、くしゃみもひどいし、2月でこうだったら3月4月はどうなのよ。花粉症真っ盛りでくしゃみ嵐で発表? もう何にも考えられん(T_T)」

と弱気なのであった。
でもまあ、これまで趣味でチェックしてきたことの集大成の場をもらえただけでも気持ちの別なところでは大喜びしているのではある。
私以外の発表者は、かなりきちんとした研究者ばかりなので、「何も考えられん」などとのんきなことはいっとれんのだ。

HPは上のバナーからリンクしてあります(2009年4月まで)。
発表の他に、口琴製作ワークショップ、コンサート、レクチャーコンサート、映画なんかやるらしい。コンサート三昧とちがって盛りだくさんでしかも無料(製作ワークショップは有料)なので、気になる人は見に来てください。

◇キユーピーたらこソース たらQ2006年09月20日 21時09分44秒

キユーピーのたらこソースのCMを初めて見たとき、ロシア民謡のような音楽にのせて行進してくるたらQのあまりのかわいらしさに悩殺されてしまった。
放送されて間もなく、近所のスーパーのレジ付近で小学生くらいの姉妹が、赤い何かを持って騒いでいるのを目撃した。姉妹が持っていたのは、キユーピーたらこソースのCMに出てくる「たらQ」であった。旦那と二人で目が釘付けになり、その姉妹をとっつかまえてどこでそれを入手したか聞きたかったが、それだと非常に危ないおばさんになってしまうので、我慢したのである。

しばらくして、通っている鍼灸院の近くのゲームセンターの店頭で、たらこソースのCMがエンドレスで流されているのを見た。中に入ってみると、たらQのUFOキャッチャーがあるではないか。UFOキャッチャーは私の苦手なゲームの一つで、旦那が私に勝てるほとんど唯一のゲームと言っていいものである。しかし、苦手などとは言っている場合ではない。当然このUFOキャッチャーにチャレンジしないではいられなかった。
1000円札を両替し、500円で6回を2回計12回やったが、結局ゲットできずゲームセンターを後にした。この時UFOキャッチャーの中にはたらQが少ししか入っておらず、私は携帯ストラップ大の小さいのが欲しかったのだが、小さいたらQは10個くらいしか入っていなかった。お店の人に追加してほしいと言ったが、この商品はもうこれで終わりだと言われた。

その週末に、旦那と共にたらQゲットに向かった。私は歯医者があったので、治療の間にゲットしておくようにと指令を出したのだ。果たして、旦那は1000円使用後たらQゲットに成功したのである。
しかし、旦那がゲットしたたらQは、私の最初に見たたらQではなかった。私が最初に見たたらQはつるつるのボディで、CMに出てくるものと同じ感じだったのだが、旦那がゲットしたものはふかふかのぬいぐるみのようなボディである。見ると、“Vol.2”と書いてある。ゲーセンの店員さんが言ったのは、これにチェンジするということだったらしい。
この時ゲットしたのが、写真左の大きいたらQである。

それから半年以上たった最近になり、このたらQが巷で大人気で、ゲーセンのUFOキャッチャーにはたらQゲットに励む外国人がたくさんいるなどとニュースになった。「キグルミ」という少女2人のユニットでCDも出たのだ。初回限定盤は、たらQストラップ付きである。
UFOキャッチャーに2000円もかけたことを考えると、初回限定ストラップ付き1890円は安いのか高いのかと少し迷ったが、店頭で見かけてレジに走ってしまった。
たらQストラップは、旦那がゲットしたVol.2と同じタイプのぬいぐるみ型のたらQ。CDはキグルミによるCMソング「たらこ・たらこ・たらこ」と「ヘナチョコルール」そしてそれぞれのカラオケバージョンである。

「たらこ・たらこ・たらこ」はCMではオンエアされていない部分も当然あるが、くるくる回転するような曲はゲルニカの上野耕二作曲とのこと。なるほど、ゲルニカっぽいと強くうなづく。
そして、2番の途中に口琴の音が入っているのだ。ここはCMではオンエアされていない部分である。いろんな楽器が交錯する部分なので、口琴の音かどうか確認するためにカラオケバージョンを聞いたが、やはり口琴の音である。他の部分にもあやしい箇所は何ケ所かあるのだが、確信の持てる部分は一ケ所だけだった。
それにしても、上野耕二の楽曲はすばらしく、カラオケバージョンの方がずっと楽曲としては良く思った。ちなみにもう一曲の「ヘナチョコルール」も上野耕二作曲のもの。
CDをパソコンに入れると、キグルミのPVが流れる。赤いワンピースにたらこの帽子をかぶったキグルミは、そこらへんにいる普通の少女といった感じ。キグルミにより踊りは歌詞カードにも書いてあり、みんなで踊ろうということらしいが、キグルミの踊りも決して上手とは言いがたく、この素人臭さがかえってかわいらしい。おまけに落ちゲーもついていて、ある程度の得点を取るとたらQの壁紙をゲットでき、なかなか楽しめる。

たらこキユーピー公式サイト http://www.jvcmusic.co.jp/tarako/
キグルミHP http://www.kigurumi777.com/

◇サハの口琴奏者 イヴァン アレクセイエフ2006年09月18日 22時47分49秒

9月12日と15日、東京青山のこども城で、ロシア連邦サハ共和国の口琴奏者イヴァン アレクセイエフの口琴ワークショップとイベントがあった。
アレクセイエフは、旧ソ連の政策で一度廃れた口琴をサハで再び火をつけた人物で、サハでは「ホムス アイヴァーン(口琴イワン)」と呼ばれて最も尊敬されている人物である。
アレクセイエフとは、2000年に一度会っているので、6年ぶりの再会となる。挨拶をした時に、彼はそのときのことを覚えていると言ってくれ、とても嬉しかった。

12日のワークショップは、サハ式の口琴の持ち方や演奏方法などが、大変に詳しく丁寧に説明された。
特に注目したのは、演奏時の口琴の持ち方である。これまで何人かの著名な口琴奏者のワークショップに参加したが、演奏時の持ち方についての音響効果に注目し、丁寧に説明していたのは彼が初めてだったように思う。

15日のコンサートでは、旦那が休みをとったので二人で出向いた。コンサート前にアレクセイエフに挨拶をした時に、旦那が自作の口琴を彼にプレゼントして、大変喜んでくれた。
コンサートは2部に分かれ、前半は日本口琴協会代表の直川礼緒氏の演奏に始まり、アレクセイエフによるサハの英雄叙事詩の演奏がなされ、この日のゲストである大谷祥之氏の演奏があった。

いつも思うことだが、サハの口琴奏者の演奏は、とてもイマジネーションあふれる演奏だと思う。もともと、自然の風景をモチーフにした曲が多く、馬、鳥、トナカイ、風などの自然の模倣を主とした演奏がサハの口琴演奏の特徴なので、模倣した鳴き声や音を聞くことでイメージがしやすいということもあるのだと思う。
しかし、アレクセイエフの演奏は、直接的な表現方法をとらない個所でもそのイメージがものすごく強く伝わってくる。もともと北海道の自然の中で育ったのだから、そのイメージは生まれ育った北海道のものと重なる部分も多く、サハの人たちが実際にイメージしているものと私の頭の中にあるものとは異なるものなのだろうと思うが、その感覚がはっきりと感じられるのだ。
これに近い感覚の演奏者は、やはりサハのスピリドン シシーギンの演奏だと思うが、シシーギンの演奏はたとえば雪野原の中に風に吹かれて立っているときの感じだとすると、アレクセイエフの演奏は、冬の寒い日にストーブのたかれた温かい家の中で、窓から外を眺めていたり、昔話を聞いたりしているような感覚に近いものがあると思う。もっとも、この日に演奏されたものが英雄叙事詩だったので、そのように感じただけなのかもしれない。

後半はアレクセイエフによる、サハの口琴以外の小さな口琴の演奏で、最初に旦那がプレゼントした口琴を演奏してくれた。
旦那の作る口琴は、五寸釘などを利用しているので、必然的にサハの口琴よりはかなり小さなものになってしまう。アレクセイエフは、旦那の口琴が小さいものであることに感激してくれ、敬意を表してくれたのだ。
最後に、アレクセイエフと直川氏、大谷氏によるデュエットとアンサンブルで演奏は終了し、最後にサハの夏祭りに踊られるオフオカイの演舞を会場のみんなで踊って幕となった。

この日のゲストである大谷氏は、口琴に魅せられ口琴演奏に大変な精進をしている人だが、その演奏技術の向上は演奏を聞く度に目覚しいものがある。この日は尊敬するアレクセイエフとのデュエットもあって緊張していた様子だったが、演奏はすばらしかった。

12日と15日の両日、イベント終了後にみんなと食事に行き、12日は雨が降っていたので、アレクセイエフと相合傘で食事の場所に向かった。最初、ロシア語もサハ語もわかる人がいなく、アレクセイエフと意思の疎通ができなくて歯がゆい思いをした。
15日は、8月に行われたサハ語講座の生徒さんたちも一緒で、アレクセイエフも楽しそうにしてくれていた。アレクセイエフがサハの古い歌になぞらえ、「あなたをトナカイにのせてツンドラに連れていきたい」と私に冗談を言ったりして、食事の場所まで腕を組んで夜の町を歩いたりして楽しかった。

次に会うときまでには、せめてロシア語で少しは話しができるようになれていればいいなあと思う。

◇濃厚旨ミルク(赤城乳業)2006年08月30日 23時04分25秒





口琴の響くまぬけな音楽の中、きたない四畳半の部屋に男がひとり裸で座ってチョコアイスを食べていると、突然押し入れから美女軍団が現れ、部屋のまん中にビーチパラソルをぶっ刺すと石油が出て、男は大金持ちになり神様になる。しかし、それらは全てチョコアイスを食べたことによる至福の男の妄想であった。というCMを見た。

男は加勢大周で、チョコアイスは赤城乳業の「濃厚旨ミルク」。
一時期トレンディードラマで一世を風靡した感のある加勢大周も、事務所とのトラブルに見舞われ、最近はとんとその姿を見ることはなかった。聞くところによると、活動の場をアジアに移したと聞いていた。
“さわやかでいい男”のイメージの強かった加勢大周が、ここでは“超”がつくくらいさえない男である。美女に囲まれている時のすけべな目線は、なかなか秀悦だ。ナレーションで「タイシュウ」という言葉がなければ、この人が加勢大周だということに気付かなかっただろう。

赤城乳業のHPでこのCMのメイキングを見ることができるが、加勢大周曰く。
「19才頃サザンの桑田さんに、おまえはもういかがわしいこととかできないんだぞ」
というようなことを言われたらしいが、撮影中に美女に囲まれ素で「スッゲー鼻の下のびるぜ~」とか言ってる彼を見ると、第一線からは遠ざかったものの、素直に仕事ができるようになれてよかったね~としみじみとしてしまう。

赤城乳業に問い合わせたところ、このCMは関東圏ではテレビ朝日のやじうまプラスからスーパーモーニング、夕方のスーパーJチャンネルでランダムに放映される他、テレビ朝日で一日中突発的に放映されているとのこと。
まぬけなBGMの口琴の奏者を聞いたところ、広告代理店が機械で作ったオリジナルのもので、CD化の予定はないとのことだった。
HPでは、放映中のCMの他にWEB限定CM、美女のプロフィールなどが閲覧できる。

くだんの濃厚旨ミルクだが、チョココーティングされたアイスの中に、とろとろとした練乳状のミルクが入っている。チョコはかなり苦めだが、ミルクが甘くてそのコントラストがなかなか美味だった。



Copyright ©2006 by makura GEKIDAN Shirakaba. All Rights Reserved.
無断転載を禁ず