◇孤立する茨城県北部と福島県南部の避難所のニュースを見て ― 2011年03月20日 05時47分32秒
その中で、その友人が今回の地震で家にひびが入るという大きな被害を受け、友人の実家でも津波の被害を受けた中で、近所や親戚の協力で井戸水を分けてもらえたり、自家発電装置を持っていたことで、ライフラインが回復するまでの間も、悲惨な状況をある程度回避することができたという内容である。
また、その友人とは11年前の東海村の原子力施設の事故の際、現場から40kmあるつくば市で動けない状況にいた。
この記事を書いてから、少し誤解を生む内容であるように思えた。
連絡をくれたくだんの友人からも、少し修正してほしいとの連絡をもらった。
日記なので、その全てを削除することがためらわれたため、二度にわたって書き直しをし、その旨補足で説明をしてきたが、改めて新しい記事として書いたほうがいいと判断し、この記事を書いている。
改めて言い訳すると、この記事で茨城県の全ての人が井戸を持っているとか、自家発電装置を持っており、「被災してもみんなたいしたことがなかったのだろう」という誤解が生じないことを願う。
友人のいた環境は不幸中の幸いで、全ての人がそのような恩恵を受けたわけではない。
また、友人自身も、(私から見て)茨城らしいエピソードを紹介してくれはしたが、被害が小さかったわけではない。
地震のときに家から飛び出した場所に瓦が落ちてきて、あと一歩のところで大怪我するところだったり、一時は死を覚悟した瞬間もあったそうだ。
加えて言えば、茨城県内では、今でも避難所で物流もない状況の中で助けを待っている人たちがいる。
茨城県は南北でその被害に大きな差があり、内陸と海側でも被害に差がある。
すでにライフラインが完全に復活している地域もあれば、食糧も水も燃料も底をつきそうな場所にいる人たちもいる。
たまたま大きな被害を受けた地域の中では、一番首都圏に近く、県内で被害に大きな差があるため、被害が少なかった地域を基準にすると、被害のあった他の県と比較するとたいしたことがないように思われがちなようだ。
「計画停電二日目」の記事でも書いたが、私が茨城にいた間、茨城県は地震の多い地域で、研究所や火力発電所、原子力施設などもあるため、防災意識も高く、小さなことではあまり動じない「たくましさ」、「のんきさ」を、地元人たちに感じていた。
そして、この土地の生産性の高さと強さを、誇りにしている人がとても多かった。
物流が途絶えている理由の一つに、茨城県北部と福島県南部は、福島の原子力発電所の事故現場に近いため、放射能の危険があるという疑いをもたれているらしい。
政府は、この地域はまだ放射能の直接的影響はないとしている。
現場で活動している消防庁の人たちも、現場から半径30kmのところに作業拠点を設けているが、その理由として放射能の防御の必要がないとされる地域であるからとしている。
11年前の東海村の原子力施設の事故のとき、私たちは事故現場から40kmという微妙な距離にあるつくば市にいた。
ほとんど正確な情報が入らない中で、そこを離れられない状態にいた。
離れようと思えばできただろうが、少なくとも私の周辺にいた地元の人たちは、必要以上にあわてる様子はなかった。
最初はパニックになっていた私も、地元の人たちがあまりにも「のんき」にしているので、一人であわてているのがばからしくなったのを覚えている。
東海村の原子力事故のレベルは4で、今回の福島の事故はレベル5。
東海村の事故だって、6人の死者を出し、楽観視できるような事態ではなかったのだ。
事故の間、私たちはつくば市で、ある催しのスタッフをしていた。
ロシアから催しのメインを招いていたため、ニュースが入ったときには、彼らにチェルノブイリを連想させ、パニックが起こる恐れがあった。
私が気づいたときには、どういう経路からか、すでにロシア人は事故のことを知っていた。
ロシア語ができるスタッフでなんとかそのような最悪の事態ではないことを説明し、彼らも納得し、落ち着いて催しを成功に導いてくれた。
地元のボランティアスタッフの全てが、特にあわてる様子もなく、ふつうに行動していたからだ。
しかし、ロシア人も外から来たスタッフも、そしてもちろん地元のボランティアスタッフも、全ての人が、できればその場から逃げ出したかっただろうと思う。
催しに招待していた著名人の一人が、つくばに向かう道中「本当に行きたくない」と、自身のHPの掲示板に書き込みをしていたのを、後で見てショックを受けた。
誰一人として現場で口に出さなかったことを、公の場でこっそり言っていたからだ。
(当時、携帯でHPなどが容易に見られる環境でなかったことを幸いに思う。)
実際その人がつくばに到着したのは、催しが始まるぎりぎりの時間だった。
来たくなければそう連絡をくれればよかったのに、と思った。
到着が遅れていたので、途中で何度か携帯で連絡をとっていたからだ。
事故を理由に欠席したところで、誰もその招待客を非難することはなかっただろう。
それでも招待客が催しに来てくれたことに、地元のスタッフはみんな感謝していた。
スタッフ統括をしていた私は、つくば市よりももっと東海村に近い地域から手伝いに来てくれているスタッフもいる中で、招待客からこんなことを書かれて申し訳なく思った。
そして、こういう状況のときに何もしてあげられず、逆に地元スタッフの「のんきさ」に力づけてもらったことを、今でも感謝している。
私たちがあの時つくばで、どの程度の被爆をしたか、はっきりした数値は今もわからない。
ただ少なくとも、今回首都圏で計測された放射線量が、人体に今直接どうこう影響のある数値でないことは、その後原子力関係の研究者から話を聞くことができた私たちは、何も知らない人よりはちょっとは理解できる(別に詳しいわけではない)。
首都圏で被爆の影響がもしあるなら、政府機関の全てを東京から違う場所へ移管するだろう。
そして何より、「福島に近づくと被爆する」という風評で、物流の途絶えた茨城北部や福島南部にいる被災者の人たちの方が、首都圏にいる人たちよりもずっと不安に思っているに違いない。
福島県南部のいわき市周辺で孤立している人たちは、本当に逃げたくても逃げられないのだ。あのあたりも、ちょうど福島原発事故現場から、40kmかあるいはもう少し離れた場所だろう。
私たちは、つくばで東海村の事故を体験して、今もなんともない。
その直後から、地元の野菜をずっと食べていたが、放射能が影響するような病気にはなっていない。
私の茨城の友達はみんな生きているし、私よりもずっと健康だ。
茨城産・福島産の農産物は、首都圏だけでなく、北海道やその他の地域にも流通していた。それが直接の原因で病気になった人が、今までにどれだけいるのだろうか。
ただ単に、過去にそういう経験をしたからといって、今回が東海村と同じとは限らないかもしれない。
しかし、今は政府が発表する数値と安全基準を、信じるしかない。
そして地図で確認してもらいたい。
東海村は、福島の原発よりもずっと東京に近いということを。
今、茨城と福島南部の避難所にいて孤立して不安に思っている人たちも、できればこの「助け合い」と「のんきさ」を発揮していてほしいと思う。
そして一刻も早く、今の状況から少しでも好転することを、願ってやまない。
☆2011年03月24日補足
この記事を書いたときは、福島と茨城の野菜に放射性物質が含まれているということや、首都圏各地の水に放射性物質が検出されたということは、まだ問題になる前だった。
今は、福島・茨城の農産物が、市場から姿を消した状態である。
こういう状況で、福島・茨城の農産物を無理に食べましょうと言っているわけではないことを、ご理解いただきたい。
東海村の事故の時にも、野菜や水に放射性物質の影響は出たが、当時は避難勧告を出された地域も、野菜や水に危険があるとされた地域の範囲もずっと狭かった。
東海村と今回は事故の規模が違い、事故が続いている期間も違うので、今後も水や野菜の被害の地域や状況は、刻々と変化していくものと思う。
特に水の被害は、雨に関係してくるため、その状況の変化はとても早い。
今回政府から発表された勧告や、識者の見識は是非とも注意を払ってほしいと思う。
しばらく続くであろうこの状況の中で、多くの小さな子供が、安全に食糧や水分を摂取できるような配慮を、全ての大人に協力してほしいと願うばかりだ。
小さな子供をかかえた私の友人をはじめ、福島・茨城、そして首都圏に住む全てのお母さんにエールを送ります。
また、その友人とは11年前の東海村の原子力施設の事故の際、現場から40kmあるつくば市で動けない状況にいた。
この記事を書いてから、少し誤解を生む内容であるように思えた。
連絡をくれたくだんの友人からも、少し修正してほしいとの連絡をもらった。
日記なので、その全てを削除することがためらわれたため、二度にわたって書き直しをし、その旨補足で説明をしてきたが、改めて新しい記事として書いたほうがいいと判断し、この記事を書いている。
改めて言い訳すると、この記事で茨城県の全ての人が井戸を持っているとか、自家発電装置を持っており、「被災してもみんなたいしたことがなかったのだろう」という誤解が生じないことを願う。
友人のいた環境は不幸中の幸いで、全ての人がそのような恩恵を受けたわけではない。
また、友人自身も、(私から見て)茨城らしいエピソードを紹介してくれはしたが、被害が小さかったわけではない。
地震のときに家から飛び出した場所に瓦が落ちてきて、あと一歩のところで大怪我するところだったり、一時は死を覚悟した瞬間もあったそうだ。
加えて言えば、茨城県内では、今でも避難所で物流もない状況の中で助けを待っている人たちがいる。
茨城県は南北でその被害に大きな差があり、内陸と海側でも被害に差がある。
すでにライフラインが完全に復活している地域もあれば、食糧も水も燃料も底をつきそうな場所にいる人たちもいる。
たまたま大きな被害を受けた地域の中では、一番首都圏に近く、県内で被害に大きな差があるため、被害が少なかった地域を基準にすると、被害のあった他の県と比較するとたいしたことがないように思われがちなようだ。
「計画停電二日目」の記事でも書いたが、私が茨城にいた間、茨城県は地震の多い地域で、研究所や火力発電所、原子力施設などもあるため、防災意識も高く、小さなことではあまり動じない「たくましさ」、「のんきさ」を、地元人たちに感じていた。
そして、この土地の生産性の高さと強さを、誇りにしている人がとても多かった。
物流が途絶えている理由の一つに、茨城県北部と福島県南部は、福島の原子力発電所の事故現場に近いため、放射能の危険があるという疑いをもたれているらしい。
政府は、この地域はまだ放射能の直接的影響はないとしている。
現場で活動している消防庁の人たちも、現場から半径30kmのところに作業拠点を設けているが、その理由として放射能の防御の必要がないとされる地域であるからとしている。
11年前の東海村の原子力施設の事故のとき、私たちは事故現場から40kmという微妙な距離にあるつくば市にいた。
ほとんど正確な情報が入らない中で、そこを離れられない状態にいた。
離れようと思えばできただろうが、少なくとも私の周辺にいた地元の人たちは、必要以上にあわてる様子はなかった。
最初はパニックになっていた私も、地元の人たちがあまりにも「のんき」にしているので、一人であわてているのがばからしくなったのを覚えている。
東海村の原子力事故のレベルは4で、今回の福島の事故はレベル5。
東海村の事故だって、6人の死者を出し、楽観視できるような事態ではなかったのだ。
事故の間、私たちはつくば市で、ある催しのスタッフをしていた。
ロシアから催しのメインを招いていたため、ニュースが入ったときには、彼らにチェルノブイリを連想させ、パニックが起こる恐れがあった。
私が気づいたときには、どういう経路からか、すでにロシア人は事故のことを知っていた。
ロシア語ができるスタッフでなんとかそのような最悪の事態ではないことを説明し、彼らも納得し、落ち着いて催しを成功に導いてくれた。
地元のボランティアスタッフの全てが、特にあわてる様子もなく、ふつうに行動していたからだ。
しかし、ロシア人も外から来たスタッフも、そしてもちろん地元のボランティアスタッフも、全ての人が、できればその場から逃げ出したかっただろうと思う。
催しに招待していた著名人の一人が、つくばに向かう道中「本当に行きたくない」と、自身のHPの掲示板に書き込みをしていたのを、後で見てショックを受けた。
誰一人として現場で口に出さなかったことを、公の場でこっそり言っていたからだ。
(当時、携帯でHPなどが容易に見られる環境でなかったことを幸いに思う。)
実際その人がつくばに到着したのは、催しが始まるぎりぎりの時間だった。
来たくなければそう連絡をくれればよかったのに、と思った。
到着が遅れていたので、途中で何度か携帯で連絡をとっていたからだ。
事故を理由に欠席したところで、誰もその招待客を非難することはなかっただろう。
それでも招待客が催しに来てくれたことに、地元のスタッフはみんな感謝していた。
スタッフ統括をしていた私は、つくば市よりももっと東海村に近い地域から手伝いに来てくれているスタッフもいる中で、招待客からこんなことを書かれて申し訳なく思った。
そして、こういう状況のときに何もしてあげられず、逆に地元スタッフの「のんきさ」に力づけてもらったことを、今でも感謝している。
私たちがあの時つくばで、どの程度の被爆をしたか、はっきりした数値は今もわからない。
ただ少なくとも、今回首都圏で計測された放射線量が、人体に今直接どうこう影響のある数値でないことは、その後原子力関係の研究者から話を聞くことができた私たちは、何も知らない人よりはちょっとは理解できる(別に詳しいわけではない)。
首都圏で被爆の影響がもしあるなら、政府機関の全てを東京から違う場所へ移管するだろう。
そして何より、「福島に近づくと被爆する」という風評で、物流の途絶えた茨城北部や福島南部にいる被災者の人たちの方が、首都圏にいる人たちよりもずっと不安に思っているに違いない。
福島県南部のいわき市周辺で孤立している人たちは、本当に逃げたくても逃げられないのだ。あのあたりも、ちょうど福島原発事故現場から、40kmかあるいはもう少し離れた場所だろう。
私たちは、つくばで東海村の事故を体験して、今もなんともない。
その直後から、地元の野菜をずっと食べていたが、放射能が影響するような病気にはなっていない。
私の茨城の友達はみんな生きているし、私よりもずっと健康だ。
茨城産・福島産の農産物は、首都圏だけでなく、北海道やその他の地域にも流通していた。それが直接の原因で病気になった人が、今までにどれだけいるのだろうか。
ただ単に、過去にそういう経験をしたからといって、今回が東海村と同じとは限らないかもしれない。
しかし、今は政府が発表する数値と安全基準を、信じるしかない。
そして地図で確認してもらいたい。
東海村は、福島の原発よりもずっと東京に近いということを。
今、茨城と福島南部の避難所にいて孤立して不安に思っている人たちも、できればこの「助け合い」と「のんきさ」を発揮していてほしいと思う。
そして一刻も早く、今の状況から少しでも好転することを、願ってやまない。
☆2011年03月24日補足
この記事を書いたときは、福島と茨城の野菜に放射性物質が含まれているということや、首都圏各地の水に放射性物質が検出されたということは、まだ問題になる前だった。
今は、福島・茨城の農産物が、市場から姿を消した状態である。
こういう状況で、福島・茨城の農産物を無理に食べましょうと言っているわけではないことを、ご理解いただきたい。
東海村の事故の時にも、野菜や水に放射性物質の影響は出たが、当時は避難勧告を出された地域も、野菜や水に危険があるとされた地域の範囲もずっと狭かった。
東海村と今回は事故の規模が違い、事故が続いている期間も違うので、今後も水や野菜の被害の地域や状況は、刻々と変化していくものと思う。
特に水の被害は、雨に関係してくるため、その状況の変化はとても早い。
今回政府から発表された勧告や、識者の見識は是非とも注意を払ってほしいと思う。
しばらく続くであろうこの状況の中で、多くの小さな子供が、安全に食糧や水分を摂取できるような配慮を、全ての大人に協力してほしいと願うばかりだ。
小さな子供をかかえた私の友人をはじめ、福島・茨城、そして首都圏に住む全てのお母さんにエールを送ります。
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