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◇ベトナム旅行記01 ~行く直前まで~2012年03月24日 05時11分19秒

hotel nikko saigonロビー
hotel nikko saigonのロビー

最初はベトナムなど、まったく行く気はなかった。

家族で旅行に行こうと計画をたてはじめたのは、1月の終わり頃だった。
最初は、北斗星で函館にイカを食べに行こうと話していたのだ。
それがいつの間にか、広島の厳島神社に行こうという意見が出て、だったら一緒に愛媛に砥部焼きと今治タオルを見に行きたいという話になったが、3月の中国・四国の花粉状況が判らない。今年は関東の花粉も遅れている状況だったし、計画立案の時期はまだまだ寒い時期であったので、花粉の想像などしたくもなかった。

そこで何気なく見た海外ツアーで、東南アジアの3泊2日とかだと、国内のどこよりも安かった。
しかも、私たちが見たのは12月にホーチミンにできたばかりの、日航の新しいホテル「hotel nikko saigon」。
五つ星クラスのラグジュアリー、往復JAL利用(こちらはエコノミー)で、4万円台は魅力だった。

街中が気に入らなければ、ホテルを満喫すればいい。

ツアー概要を見たとき、そう思った。
たぶん、こんなすごいクラスのホテルなんぞ、ツアーについてない限りは利用することもできないだろう。
4万円クラスだったら、熱海か箱根の一流ホテルで一泊するくらいの値段である。それで海外で遊べるなら、安いほうだろうと思ったのだった。

東南アジアは憧れの地だが、しかし今の私の体調では不安要素の方が大きい。
旅行先で病院送りになるのは、香港返還でわいた十数年前に、上海ですでに経験済みだ。
ちょうど梅雨明けと重なり、強い日差しと蒸し暑い気候。そして、水と食べ物が合わず、ひどい下痢に見舞われ、上海で病院に行ったのだ。
強烈な腹痛の中で上海雑技団を観て、翌日楽しみにしていた黄河クルーズは中止し、病院に行って一日ホテルで寝ていた。

旅行案内には、たいてい空気と水の事情が悪い土地では特に気をつけろと言うが、空気と水に対してどうやって気をつければいいのか。
ベトナムの水は日本の水よりも硬いので、ミネラルウォーターは外国製のものを買うようにガイドブックやネットには注意書きがされている。
しかし料理などで使用される水が、必ずしも外国人向けの水が利用されている保障はない。バイクの交通量がハンパなく、道端でタバコを吸う人があちこちに見られる中で、どうやって空気と水に注意すればいいのか。

しかもきわめつけが、ベトナムのトイレ事情だった。
私が持っているガイドブックには、ホテルやレストランのトイレはまともだが、街中にある公衆トイレはたいてい便座がないと書いてあるのだ。
公衆トイレはチップが必要だが、トイレットペーパーがついていない場合があるようなことも書いてある。

タバコの気配を感じるだけで喘息の発作がおきることもある心配や、水が合わずに腹を壊してもトイレに自由に入れないどころか、じゅうぶんに臨戦態勢に入ることもできないかもしれないことを考えると、気持ちはどんどん暗くなっていった。

旦那はなんだか行く気まんまんで、ガイドブックを選ぶのも楽しそうだが、私はなんとなく行く寸前まで気が重かった。
ぎりぎりまでガイドブックを読む気もしなかったし、海外に行くのだから言葉などの準備も必要なのに、一週間前くらいまで何もする気にならなかった。

函館でイカとロシア料理と温泉の方がよかったなあとか、たまたまNHKのあさイチで愛媛の旅特集をしたりと、行く寸前まで心はベトナムになってはくれなかった。
こんなんで、実質2日しかないのに、ちゃんと楽しめるのかずっと不安だった。


つづく

◇備忘録 蓼科高原旅行その5 諏訪大社と墨縄神社2010年11月27日 02時25分37秒

諏訪大社本宮近くにある、墨縄神社の御柱設置風景

最初の予定では、この後山梨を抜けて富士宮に行こうと考えていたのだが、宿で「諏訪大社は今年は御柱の年でご利益がある」と聞き、予定を変更して諏訪大社に行く。
せっかく長野に来たのだから、長野を満喫する方がいいと思ったからだ。

蓼科高原を後にして、茅野の市街を抜けて諏訪大社本宮へ行く。
諏訪大社は、諏訪湖を中心として南に上社、北に下社があり、上社は前宮と本宮、下社は春宮と秋宮がある。
最初は諏訪湖も眺めたいとの理由で諏訪湖のすぐそばにある下社に行こうと思ったが、帰りのことを考えて諏訪ICに近い本宮に行く。

諏訪大社本宮に着くと、時期がちょうど七五三の頃なので、あちこちに着飾った子供とその家族が歩いている。
昔の七五三の子供は、お化粧させられてもどこか違和感があったものだが、最近の子供は化粧をしてもさまになってしまう。これも時代の流れなのかと感じる。

駐車場の上の方からパンパンという大きな音が聞こえ、時折ウォーという叫び声とラッパを演奏するのが聞こえてくる。
周囲にいる人は気になるようで、みんな上の方を見上げているが、誰かが「応援団の練習かな」と言うので、なんとなくそれに納得して先に進む。

諏訪大社上社本宮案内図
二の柱布橋


駐車場が二の柱の前の表参道の近くにあったので、そちらからの参拝。
ここの鳥居の下にある太鼓橋を通り、御柱が宮内に入れられるらしい。
二の柱を眺め、長い布橋を渡る。
布橋からは、御柱祭のときに使用する「めどてこ」という大きな木の展示や、宝殿などを見ることができ、参拝所で七五三のご祈祷をするところも覗くことができる。

拝殿前

布橋を渡りきると、北参道側の鳥居に出て、一の柱や社務所、拝殿へ入る入り口などがあり、実際はこちらが表になっているようだ。
山へ続く表参道とは違い、北参道には土産物店や屋台が軒を連ね、神社の参道らし雰囲気である。
鳥居の前にはっぴを着た案内係の人がいて、観光客が集まると慣れた調子で説明を始める。
人はたくさんいるのだが、敷地内には山の空気と格式の高い神社の気が充満している。
古い神社や格式の高い神社は、本当のその敷地に入っただけで空気ががらっと変わり、そこにいるととても引き締まった気持ちになる。
観光客や七五三の人も多いが、地元の人も足を運んで小さな社にも丁寧に参拝しているのを見かける。

お土産にお守りを買い、おみくじをひくと大吉で、しかも何も障害がないなどとても良い事ばかり書いてあるのにすっかり気をよくする。土産物屋をひやかして、帰路につこうとしたところ、表参道の方からニッカポッカにいなせなはっぴ姿の人たちが続々と神社に入ってくる。
布橋横の奉納土俵のあたりで、ニッカポッカ姿の男性に「お祭りでもあるのですか」と聞くと、駐車場の上に大工やとび職の人の神様を祀る墨縄神社というのがあり、今日はその神社の御柱を立てる儀式があるのだと教えてくれた。「今ちょうどやっている」というので行ってみることに。

急な坂道をちょっと登ったところに小さな神社があり、そこで大勢の大工やとび職の人たちが柱に縄をかけて御柱を立てている。どうやらこれが最後の御柱の様子。
じゃまになるので、その様子を上から眺めるところへ行くと、横の広場で軍隊で使うようなラッパを持った人たちが出番を待っている。
御柱をまっすぐに立てるよう御柱に二人の若いとびさんが、御柱にくくられた縄だけでバランスをとろうとしている。その姿はいなせでとてもかっこいい。周囲で見守る年配の人たちも立ち居振る舞いだけでもいなせだ。

墨縄神社御柱を立てる様子

うまくバランスがとれ柱を支えていた縄がとかれると、目の前に幣を持った女性が無事終了したという意味の歌を大きな声で歌い、それを合図にラッパが鳴り響きみんながウォーという叫び声をあげて、儀式は終了した。
どうやら、私たちが来たときに駐車場で聞いたパンパンという音は、柱を立てるときの作業の音で、ラッパと叫び声もこの儀式のためのものだったようだ。
やはりこの声を気にしてこちらに先に来ていれば、柱を立てるところから見ることができたのにとちょっと残念に思ったが、7年に一度のめったに見られない儀式を見ることができて、とても嬉しかった。
墨縄神社の裏に小さな公園があり、女の子がブランコに乗りながらシリトリをするのが聞こえてきたのだが、「お」のところで一人が「おんばしら」と言っていたのに、この儀式がこの地域では地元の人に根ざしたものなのだということを感じた。(「おんばしら」の次は「らっぱ」だった)

諏訪湖葦原

諏訪神社本宮を出たのが2時頃だったので、まだ少し時間があると諏訪湖の方を回っていくことにする。
15分ほどで諏訪湖が見える道に出たので、帰る前にお茶でも飲みたかったが、適当な場所がない。仕方ないのでそのまま川沿いの諏訪ICに出る道に入ると、ものすごい渋滞に入ってしまった。
諏訪湖から40分ほどかけて諏訪ICに到着したのだが、途中川原が葦原になっていて、傾きかけた太陽に照らされとても綺麗だった。このあたりは諏訪だけれど、隣の「茅野」という地名のイメージと重なった。

八ヶ岳PA 串牛タンつくね

この後、諏訪ICから諏訪南ICまでの工事で渋滞、その後相模湖IC付近で大きな事故があり、大月まではスムーズに流れたものの、大月を過ぎたトンネル内で大渋滞。1km走るのに30分以上の時間を要さなければならず、行きのスムーズな流れはうそのよう。
結局、目的のICのひとつ手前で高速を降りたが、当然のごとくIC付近の公道も混雑しており、まともに走ることができたのは9時過ぎ。
2時半頃に諏訪湖にいて、途中八ヶ岳PAで休憩したのが4時前のこと。この時けろっくのパンと売店で売れ残っていた串牛タンつくねを食べて腹ごしらえをしたのだが、これがなければもたなかったかもしれない。
市街地に入ると混雑もなく、途中でラーメンでも…という誘惑もあったが、とにかく家でワインを飲みたい一心で車を走らせ、自宅についたのは22時を回った頃であった。

おわり

◇備忘録 蓼科高原旅行その4 蓼科美味2010年11月27日 02時22分08秒

登美で食べた蕎麦

横谷観音展望台からメルヘン街道に戻り、ビーナスラインに移動する。
プール平の近くにあるお土産とお酒を売る店で、ワインを物色。最初は昨日飲んだ地ビール「浅間連峰」が目当てだったが、長野のワインに目移りする。
お店の奥さんにお勧めを聞くと、今時期にしかない「五一」の蔵出し生ワインというのが今あるということで、自宅用にそれを購入。赤と白と迷ったが、今年は白が出来がいいというので白を購入した。

こうなると、ワインに合う食材もほしくなる。
前日にビーナスラインを通る途中で、パン屋とソーセージ屋をチェックしていたので、そこへ向かう。
ソーセージ屋はイングリッシュガーデンの近くにある、ログハウスの小さなかわいい店舗。お店で扱う品物は「レストラン・ピーター」と書いてあるが、調べると「ザ・ババリアン・ペーター・タテシナ 信州蓼科高原」という店名らしい。以前はレストランもあったようだが、現在はお店での販売のみとのこと。
中に入ると、すかさず奥さんが「初めてですか?」と声をかけてきた。
「当店ではまず味見をして、それからお選びください」と最初に鹿肉のソーセージを試食させくれる。その後、皿に数種類のお勧めソーセージの試食。どれも塩味がきつすぎず、さっぱりして美味しい。ベーコンも燻製の香りがとてもいい。
私たちの後から来た人たちは、ちゃんとHPをチェックしている様子で、どうやらあちこちのマスコミでも紹介されている有名店らしいが、私たちはまったく知らなかった。

試食したソーセージの中から、軟骨入りウインナーと、バーベキューソーセージ、ベーコン、試食はなかったがカウンターで見て美味しそうだったサラミとブルーチーズを購入した。
サラミとチーズは帰宅した日に、生ワインの肴になった。サラミは、サラミにありがちないやな臭いはまったくなく、良い香りが口にいっぱい広がる。ワインは蔵出しなので風味が若く、ドイツ風で甘めのものだった。サラミやチーズとよくあって美味しかった。
ソーセージは、ベルギービールのお供で食べた。焼いて食べた二種類のソーセージは、すっきりとした味わいが美味しい。サラミはこの日ジャーマンポテトに入れてみたが、加熱すると別な香りが楽しめた。

前日見かけて目当てにしていたパン屋は結局見つからなかったので、そのまま茅野市街方面へビーナスラインを降りて行く。昼は蕎麦と決めていたが、街道沿いには蕎麦屋が軒を連ねていてどこがいいのか検討もつかない。

パン屋は、見かけて最初のパン屋に入ろうと決めると、渋川橋を茅野方面にまっすぐすすみ、ガソリンスタンドをちょっと過ぎたあたりで、「パン」という看板を見つけて入る。
小さなお店だが、メルヘンチックな雰囲気はあたりの予感。お店の名前は「けろっく」。
中に入ると、具入りのパンばかりで食事パンがない。できればソーセージを食べるときに食べたいので、バゲットかカンパーニュがいいのだが。
お店の人に聞いてみると、ちょうどバタールとバゲットが焼きあがったところだと、奥から出してきてくれた。
香ばしい香りは大当たりの予感で、結局バタールとチーズフレンチなど、数種類購入した。
こらえきれずに焼きたてを車の中でつまんだが、バターの風味が香ばしくとても美味しい。次の日の朝食でも食べたが、冷めてもパンが固くならずにしっとりしている。
ヘルシーなパンが多い中、久しぶりにどっしりと本格的な美味しいパンに出会えて大満足。


そば処 登美

けろっくで「パン屋さんに伺うことじゃないかもしれないですが」と前置きをして、このあたりの美味しい蕎麦屋はどこかと聞く。「あまりにも多すぎて…」と言うと、「すぐそこのお蕎麦屋さんが美味しいです」と教えてもらう。「多分、このへんでは一番美味しい」との言葉。

行ってみると立派な造りのお蕎麦屋さん。神奈川あたりだと、ざるで1500円とかとられそうな店構えだ。
けろっくでは、「いつもは駐車場から車がはみだすくらい混雑している」とのことだったが、ちょうど12時少し前でまだピーク前だった。
白いのれんの横に「新蕎麦」の表示。期待は膨らむばかり。

角の個室に通され、メニューを見るとお勧めの十割そばが900円、更科の「御前そば白雪」が840円と、ふらっと入ったそば屋がざるで1500円という経験がある者には、とてもうれしい値段だと感じる。天せいろや鴨せいろにも目が行くが、せっかくだから純粋に蕎麦を楽しみたい。
長野名物辛味大根のそばも味わいたく、これが田舎そばであるとのことだったので、更科、十割、田舎の辛味大根そばの3種類を一つづつ注文した。


更科の御前そば「白雪」
私の生まれた北海道帯広市は、蕎麦のおいしいところだ。
帯広には更科そばの美味しいお店があり、私はそれ以上の更科の蕎麦を食べたことがなかった。
ここの「御前そば白雪」は「白雪」というだけあって、蕎麦の真ん中のところだけを丁寧に粉にしたのを使っているため、本当に真っ白である。
更科は蕎麦の香りよりも喉越しが命だが、こちらも抜群で、帯広で食べた更科のお蕎麦以来、思い出の分を差し引いても、とても美味しいと思える更科のお蕎麦だと思った。


十割そば
十割そばは、このあたりでは「じゅうわりそば」と呼ぶらしい。茨城にいるときは、「とわりそば」と教えられたので、土地によって呼び方が違うらしい。

新蕎麦の青い香りがさわやか。十割そばにありがちな、ぼそぼそ千切れるということもなく、喉越しも最高。
何より、そばとつゆとの相性が抜群である。


辛味大根そば
(田舎そばに辛味大根がのったぶっかけそば)
田舎そばは、長野名物の辛味大根をのせた蕎麦で挑戦。
辛味大根の蕎麦は漫画「美味しんぼ」で紹介されてから、関東の蕎麦屋でもたびたび目にするが、ここの辛味大根は強烈な辛味の向こうにほのかな甘みがはっきりと感じられる。関東で食べる辛味大根は、辛さの方が勝ってしまうのが多く、新蕎麦じゃない時期だと蕎麦の方が負けてしまうこともある。
ここで食べた辛味大根の蕎麦は、蕎麦とのバランスがとてもあっていて、とても美味しかった。

会計を済ませて外に出ると、外は駐車場の空き待ちの人でごったがえしていた。早く入店してゆっくり美味しい蕎麦を味わえたことを幸運に思いつつ駐車場へ向かう。
駐車場待ちの男性が「出られますか?」と聞くので、私はそれを「いっぱいでせまくなった駐車場から車を出すことができるのか」と聞かれたと思い、「努力します」と答えてしまい笑われてしまった。
続けて「美味しかったですか?」と聞かれたので、三種類の蕎麦を食べてとても堪能したと話すと、「自分も宿で勧められて来た。鴨せいろが美味しいと聞いた」とその男性は早く食べたいと顔に書いてあるかの笑みで話してくれた。
「では、お先に」と空き待ちの人たちを横目に、蓼科を後にした。

あまり事前に調べずに勘で入ったお店がことごとくアタリだったので、ほとんど食べ物の写真を撮らなかったのが悔やまれる。


つづく

◇備忘録 蓼科高原旅行その3 横谷峡2010年11月27日 02時19分16秒

横山峡 乙女滝

宿にチェックインしたとき、宿の主人から先に近くにある滝を見に行くよう勧められ、夕食前に散歩がてら夕闇せまる横谷峡を歩く。
宿からちょっと歩いたところから「横谷峡」の大きな看板のある方へ入ると、その先には蓼科パークホテルという白い大きなホテルがあり、ホテルまでの道は夏場はリゾート地として賑わっていそうなお店や羊のオブジェが並び、白樺の街路樹が美しい。
お店はレザークラフトやソーセージの店などいろいろあるが、今はシーズンオフのしかも夕暮れ時なので、レザークラフトのお店しか営業しておらず、ちょっとさびしい風景。
この道の先に乙女滝へ行く道があり、横谷峡のトレッキングコースへと続いている。

横谷峡入り口蓼科パークホテル前の白樺道
横谷峡案内図横谷峡氷滝郡の案内

途中、ホテルの前に「木戸口神社」という小さな神社があり、社までは階段が急なので、鳥居の前から失礼して簡単にお参りする。鳥居前の説明書きによると、武田信玄ゆかりの神社とのこと。
社の四隅には新しい柱が建てられていて、宿の奥様に後で聞いたら、つい最近立てられた御柱であるとのこと。
長野県は今年は7年に一度の諏訪神社の御柱の年で、関係のある神社は全て柱が建て替えられるのだという。御柱の年は、特にご利益があるとも話していた。

乙女滝乙女滝前のマイナスイオン指数
滝の上の道路のマイナスイオン指数
夕暮れの山並みの景色山に浮かぶ半月

木戸口神社を左手に過ぎると、道の右手に階段があり、それを下りると乙女滝に到着。
マイナスイオン指数20000個/ccという看板が、なんとなくおかしい。
夜はライトアップされているのか、大きなライトがそばにあるが、けっこう暗くなっているのにそれが点灯することはなかった。

ちょうど蓼科パークホテルの前に差し掛かったときに、ホテルから大勢の人が出てきて、やはり乙女滝に向かっていた。乙女滝の下は川に下りることができ、そこから先は横谷峡のトレッキングコースになっている様子。
ホテルの人たちは川べりまで降りようと移動していたが、周囲を山に囲まれた滝のあたりはすでに薄暗く、私たちはそのまま引き返した。
階段を上りきると、すでにあたりは暗くなっていて、山間に見える山並みや月がとても綺麗。
滝の真上に来ると、そこでのマイナスイオン指数は1500個/ccとされる看板があって、マイナスイオンの表示の力の入れようがさらにおかしかった。


横谷観音展望台へ行く途中から見た里の景色

二日目の朝は、宿の主人に勧められた、横谷観音展望台から眺める大滝を見に行く。
大滝は横谷峡トレッキングコースの一番奥にあるのだが、トレッキングするにはそれなりの装備と体力が必要で、日ごろから運動不足の私たちには向かない。せめて上から拝顔しようと、メルヘン街道を山奥に進む。
山から見た里は朝もやにけむり、落葉しかかった紅葉のグラデーションが見事だ。

横谷観音展望台は山の上にある。展望台の駐車場から展望台までの遊歩道の樹々はすでに落葉した後で、落葉した針葉樹の葉でオレンジ色に染まっていた。針葉樹の林に入ると、なんとなく北海道の道を歩いているような気分になる。
途中、大滝神社の素朴な鳥居の前でお参りし、数分で横谷観音展望台に到着。
展望台からは大滝が遠く下に見え、その雄大さはやはり下で見ないと味わえないのかと思いつつも、滝を眺め、山の中で鳥が鳴き、紅葉の中の里とその向こうに雄大な山の見える風景にしばし心を奪われる。

横谷観音展望台の遊歩道横谷観音
横谷観音展望台から眺める大滝大滝神社の鳥居

帰り道、大滝神社の鳥居の前を通ると、周囲の草は揺れていないのに、鳥居にかかる幣だけが風に吹かれて大きく揺れているのを見た。大滝神社の社はそこから更に10分山道を登ったところにあるので行かなかったが、山の風の通り道に鳥居が建てられていることの意味を目で確認したようで、山の神様を感じたような気がした。

つづく

◇備忘録 蓼科高原旅行その2 豪族の宿2010年11月27日 02時16分17秒

豪族の館 大東園

蓼科湖で楽しんだ後、ちょっと道に迷いつつも4時頃に宿に到着。
宿は、楽天トラベルやじゃらんなどで「食事の美味しい宿」や「満足の宿」ランキングで上位に入る、蓼科温泉横谷峡「豪族の館 大東園」。
ここは、猪鍋や岩魚などの山の幸のご馳走が自慢で、宿の料理の写真を見ても大変な盛りだくさん。全部食べきれるのかという心配以外は、期待でいっぱいだった。

4時過ぎの到着だったが、すでに駐車場には車が数台入っている。
宿は豪族の屋敷を移築して改築したというもので、外観はとても赴きのある日本家屋。
入り口の土間から声をかけると、小柄なご主人が奥から出てきて歓迎してくれた。
フロント前の広間は、大きな囲炉裏があり、きじや熊、鹿などの剥製が飾られ、山の宿の雰囲気いっぱいである。

部屋に入ると、予約していた部屋より大きい部屋を用意してくれたとのこと。
天井の梁がむき出しになった部屋は、電球色の優しい蛍光灯で、壁側には電球利用のランプが下がっている。夜はランプの明かりで雰囲気満点。 大きな窓には障子が貼られ、外は落葉した樹々が眺められ、その向こうはコテージが見える。

予約したときに確認はしていたが、この宿は部屋にトイレや洗面台の設備はない。
大きな立派な鏡台は部屋にあっても明かりが電球色なので部屋は夜も朝もちょっと薄暗く、お化粧するときに顔色が見えない。
トイレと洗面所は同じ場所にあり、男女共用なので、ここで化粧するのも落ち着かない。
これにはちょっと困ってしまった。

トイレは水洗ではなく、昔あったペダルを踏むとトイレの真ん中の穴の蓋が開け閉めされて、必要量の水だけが流れる仕組みのもの(これはこれで懐かしく利用した)。

お風呂は21時までは男女別れており、この日は岩風呂は男性、檜風呂が女性用。21時からは風呂の前に貸切の札を立てかけて、自由に貸切風呂で利用ができる。
洗髪などを食事前にすませてしまえば、貸切風呂はそれほど長時間利用しなくてもいいので、効率的だ。宿泊数も多くないので、それほど待たずに利用できた。

18時30分に夕食。
大広間に行くと、テーブルの上にはコンロがあり、山菜の酢の物やしんじょの蒸し物などいくつかの小鉢が並んでおり、猪鍋の用意と岩魚の塩焼きが用意されていた。

お造りにされた岩魚

この日のメインは、猪鍋と岩魚のお造り、岩魚の塩焼き、岩魚の土瓶蒸しである。
宿のコースはいくつかあったのだが、お酒がつくかつかないかの違いで内容はみんな同じな様子。

まず、食前酒代わりの山葡萄サワーで乾杯。その後地ビール「浅間連峰」、旦那はアンバーエールで、私はゴールデンエールを注文する。ゴールデンエールは苦味がさわやかで好きな味。

味噌仕立ての猪鍋は味噌が濃厚で、肉も臭みがまったくなくとてもやわらかい。
木桶に入った岩魚のお造り、鱒の握り、地野菜とりんごの天ぷら、岩魚の土瓶蒸し、蕎麦が出たところで、旦那がダウン。
「鍋を雑炊にいかがですか」と主人がテーブルを回るが、宿泊客5組中ご飯を注文したのは若いカップルの1組のみ。ご飯は丁重にお断りし、デザートの柿とグレープフルーツとりんごを食べて(旦那は食べきれずに部屋へお持ち帰り)、下を向くと出てきそうなくらい満腹で部屋に戻った。

部屋に戻って一服する。酒が入っていたので、風呂はパスして早く寝たかったが、せっかくの貸切風呂なのでさっと温まって寝ようということで、男風呂になっていた岩風呂へ。
女風呂の檜風呂は岩風呂よりちょっと狭いが、檜風呂は窓が大きくとって外が見えて開放感がある。お湯の温度も、岩風呂の方が温度が高めだった。

10分ほどで部屋に戻り寝てしまう。就寝は22時。ふだんは酒が入ると寝つきが悪くなのだが、この日は疲れたせいかすぐに眠りにつけた。しかし、あまりに早く寝すぎたせいか、夜中に何度も目が覚めた。

7時頃に目が覚め、朝風呂へ。檜風呂が空いていたので、そちらを利用する。
8時に朝食。前の日あれだけ食べておきながら、次の日の朝はしっかり腹がすいている。
朝食は、焼き鮭(あるいは鱒かも)、サラダを中心とした松花堂弁当風のもの。夕食で食べなかったご飯が美味しい。
味噌汁は、前日の猪鍋で使用した鍋に入って、目の前のコンロで温めておかわりが自由にできるよう供された。具はきのことねぎ。何故か猪の肉と思われるものも入っていたので、前日の猪鍋のスープが味噌汁に利用されているのかもしれない。
デザートは梨とパイナップル。

食後に、ホールの囲炉裏を囲んでコーヒーのサービス。
ご主人が、「今年はきのこが豊作で山でもいっぱい取れたけれど、毒キノコさわぎがあったので宿で出せなかったのが残念」と話していた。

10時前にチェックアウトをして、宿を後にした。
玄関前で奥様が声をかけてくださり、ちょっと立ち話。一週間前に強風が吹いて、紅葉が全部落ちてしまうのではと心配したという話を聞いた。
今私たちがこうして落葉間近の紅葉を楽しめるのも、強風にも耐えてくれたおかげで、散り際の紅葉の美しさを堪能し、宿でも山の幸をこれでもかと堪能できて、とても充実した時間を過ごすことができたと伝えた。
ご主人も奥様も気さくな人で、口コミ通り気持ち良く宿を利用することができた。

つづく

◇備忘録 蓼科高原旅行その1 蓼科高原まで2010年11月27日 02時10分12秒

蓼科湖

久しく旅行もしていなかったので、旅行サイトなどを調べて、長野蓼科高原に行くことにした。
海の方はよく行くが、山方面に行くのは初めてで、長野県に行くのも初めてだ。
あまりにも楽しかったので、旅行記を書いたが、備忘録になってしまった。たかが一泊二日の旅行で5回にも分けて書くことあるのかといわれそうだが、後で自分で見て「そうそう」と思うためのものなのでご容赦願いたい。

行ったのは、11月第二週の週末。長野の紅葉の時期は前の週がピークだったようで、実際行くまでは「もうはげ山みたいになっているのでは」と心配した。
高速へ入るまでに少し渋滞したが、中央道へ入るとすいすいと快適にすすむ。
道が山へ入るにしたがい、風景はどんどんとオレンジ色にシフトしていく。

途中の双葉SAで昼食をとり、一時間ほど休憩。
いろいろと美味しいものが人気のSAなので昼食を楽しみにしていた中、B-1グランプリでグランプリに輝いた「甲府鳥もつ煮」を食べてみたかった。 鳥もつ煮は、建物入り口付近の売店と、軽食コーナー、そして軽食コーナー奥外の売店の三箇所で売られていた。入り口付近と軽食コーナーは鳥もつ煮だけなのだが、軽食コーナー奥外の売店のは鳥もつ煮丼なので、ご飯も一緒にとれるそれを選択。昼食に鳥もつ煮丼と鹿肉コロッケを食べる。

しかし、出てきてびっくり。鳥もつ煮丼は直径12cm深さ15cmくらいの容器に半分くらいの量しかなく(ご飯の量だけでも80gくらいか。しかも小さな容器に肉が入って半分程度の量)、しかもあらかじめプラスチック容器に入っているものを電子レンジで暖めなおしたもの。味は悪くないものの、暖めなおしたので肉が固くてちょっと臭いが気になる。これで500円はとぼったくられた気分。鹿肉コロッケも、一口サイズで5個入りで500円。一個100円である。
これなら、建物入り口でパックで売っているものの方が、鍋から直接よそってくれるだけまだましだと感じた。
しかも中途半端な量で、お腹はちっとも満たされない。

鳥もつ煮丼500円と鹿肉コロッケ5個入り500円ほうとう700円

宿の夕食が普段よりも早い時間ではあるものの、これでは途中で何か食べてしまいそうで、宿の「大量」と噂の夕食が入らなくなることを懸念し、もう少しお腹に入れておくことにする。
これだったら、最初から双葉SA人気ナンバーワンのビーフシチューにしておけばよかったなどと後悔はつきない。レストランでは、地元のワインやお肉を使ったビーフシチューやオムライスといった人気メニューから、山梨名物のほうとう、そばなどのメニューが並ぶ。
鳥もつ煮を食べるなら、軽食メニューで単品おかずであるので、それにご飯と味噌汁でもよかったかも。値段は少し高くなるが、こちらの方が絶対に量はまともだったに違いない。

おいしそうなものは色々あるのだが、結局軽食コーナーでほうとうを二人で一つ食べることにした。
軽食コーナーの注文システムは、病院の薬の呼び出しシステムのようで効率が良く、カウンターでへばっていなくても席で座って待つことができる画期的なものだった。
しかし、ほうとうは時間がかかり15分くらい待たされた。

怖いもの見たさ(?)鳥もつ煮ドロップ
ご当地チェブラーシカ。
山梨限定ぶどうと桃
おいしい桃ジュース

食事を終えて売店をひやかし、外で果物を売っているところで、ピーチジュースを飲む。ピーチジュースは果汁100%で、ネクターよりもすっきり飲みやすい。
売店にはおみやげ物コーナーでお馴染みのご当地キティちゃんなどと並んで、ご当地チェブラーシカを発見。山梨限定は桃とぶどうの二種類。チェブラーシカも、ロシアからきてこんなところで出稼ぎさせられてるとは…と思いつつ購入。
入り口付近では、鳥もつ煮ドロップなるものも発見。自分で買うのは怖いので、旦那に買うよう勧めるが拒否された。しかし、どんな味かは興味があるが、これは結局購入しなかった。

あたれば4億円効果ともうたわれるB-1グランプリ。町おこしにはもってこいだが、ここまで露骨だとちょっと食傷気味である。
しかもぼったくり状態なのは歓迎できない。安くて美味しいというのは、何も価格の問題ではないと思うのだが。

ちょっとがっかりしつつもなかなか楽しめた双葉SAを出て、再び中央道へ。
窓の外の景色は、オレンジ色と遠い山脈の暗い山陰の陰影が色濃くなっていく。
宿へ行くには諏訪ICで降りた方が近いらしいのだが、諏訪ICと諏訪南IC間が工事のため渋滞しているという情報を見て、諏訪南ICで降りることにする。

諏訪南ICから一般道へ降りたところの景色

ICを降りるとそこには田園風景が広がり、あちこちで焼畑をしている煙が上がっている。山里はオレンジ色一色で、両面に畑が広く広がる道を走っていく。
すぐ近くに日本アルプスが連なり、八ヶ岳も霞の向こうによく見える。
この風景は、なんとなく日高山脈を望む十勝平野の風景にも似ていて、郷愁をそそられてしまう。

ガイドブックには、蓼科方面へ行くには諏訪ICを利用と書かれていたが、絶対に諏訪南ICの方がお勧めである。
諏訪ICで降りると、蓼科高原までは市街地を走ることになるのだが、諏訪南ICで降りると田園風景を楽しめる。
都会から行くのであれば、ICを降りればすぐに田舎の景色が広がり、まっすぐな一本道を走ることができる。高原気分を味わうなら、ちょっと遠回りでもこちらの方が絶対いい。

ガイドブックにあった地図と道の様子がちょっと違っていたので、17号からビーナスラインに入るところで少し迷ったが、3時前には蓼科湖に到着した。

蓼科湖周辺の紅葉。
左はボート乗り場前。右はキャンプ場前。

蓼科湖は小さな湖で、歩いても20分くらいで一周できてしまう。蓼科湖レジャーランドは、どこか取り残されたような昭和な遊具施設があり、ゴーカートやゲーム、子供用の小さな乗り物、ボート、水上自転車、レンタル自転車などの施設、湖の反対側にはキャンプ場もある。
子供がゴーカートに乗っているのを見て、ゴーカートに乗りたくなり嫌がる旦那をひっぱって乗る。コース三周で二人で900円。へぼいと思っていたが、けっこうスピード感があり楽しい。このガタガタしたところが、なんともいえない。
遊園地によくあるパンダの乗り物なども乗りたいが、これは大人にはけっこう敷居が高い。乗り物の遊具のほとんどは「大人は乗れません」と書いてある(当たり前だが)。

歩いて湖を散策するのもいいが、レンタル自転車を借りることにし、思い切って二人乗りのにする。
二人乗りの自転車は、サドルが50年前の自転車のように固く、とにかく尻が痛い。ハンドルも、後ろの人とタイミングを合わせなければならず、最初はぐらぐらして安定が悪くひっくりかえりそう。
なんとかバランスをとり、ギャーギャー叫びながらも無事湖を一周した頃には、尻と二の腕が痛くなっていた。

そのほか、ほったて小屋のような小さな「恐怖の館」とか野外なのにエアホッケーとかあったが、時間がなくなり断念。
昭和の魅力満載で楽しかった。

つづく

◇知らない町2009年11月28日 02時06分00秒


より大きな地図で 帯広駅前地図2009 を表示
帯広駅前の現在地図。私がいた場所と父がいたらしい場所
私がいた場所は★、父がいた場所は車のマーク


北海道帯広市は私の生まれた町なのだが、今はまち中よりも郊外の方がにぎわっており、「まち」と呼ばれた繁華街は、昼間は20年前の面影もなくなっていることは、このブログを始めた最初の方でさんざん書いた。

ブログを初めてから何度か帰省し、母の車で運転して移動することも多いのだが、新しくできた道がわからず、自分が今どこにいるのかわからなくなることがある。
東西南北がわかればだいたいの位置を推測することはできるのだが、なぜここの道を走ると、この場所に出るのだろうと、点と点が結びつかない。
カーナビでもあれば別だが、ふだんよその土地に行かないような両親には不要なので、そんなものはついていない。

今回、初めて飛行機ではなく汽車で帯広入りするということになったのだが、駅に迎えに来てくれた父が実は方向音痴であることを初めて知った。
駅に到着してすぐに、携帯に父から電話が入り、今どこにいるのかと聞くと、「ロータリーのある方、駅の西の北側だ」という。
帯広の駅には、西の北口、東の北口、西の南口、東の南口がある。
北口は東西どちらも、古い繁華街に出ることになる。私にとっては馴染みの街並みだが、今の帯広の人にとってはあまり利用しない方向らしい。
私は、昔の出口の方が私がわかりやすいので、父が気を使ってくれたのだと思った。
そして「昔の二条通りの方ね」と聞くと、父は「そうだ」と答えた。

しかし、その出口に出ても父の車は見当たらない。
目の前には昔からある駅のロータリーが東西に広がっているが、そこにはタクシーしかいないのだ。
もう一度父に電話し現在地を聞くと、「十勝バス(昔、西の北口正面にあった)の方じゃない。西の南口だ」という。
南口は現在の栄えている方である。目の前には長崎屋があったりする。
しかし、父の車らしいものは見当たらない。

実は父はそのとき、東の南口にいたのだ。
東の南口には新しい駅のロータリーがあり、そこで待っていたらしいのだが、私にはそんなことはわからない。タクシーロータリーがあるのには気づいたが、そこが一般車が入場できるものなのかどうかもわからない。
その上、父がいるはずの「東の南口」という出口の名前は、父からは一切でてこなかった。
なんだか新しいホテルの名前(ノースランドホテルか?)を言ってはいたが、私の知らないホテルなので「そんな名前のホテルは知らない」と答えるしかなかった。
私の中では、「東側は人のあまり行かないところ」というイメージしかなかったからだ。

日はとっくに暮れているし、雨が降ってきて寒くなってきている。
駅の構内にいたほうが雨風はしのげるが、それでは父がどこにいるかわからないので、仕方なく長崎屋のまん前の交差点で待つことにする。

携帯で父が今どこにいるのかを聞くと、逆に私がどこにいるのか聞かれたので
「長崎屋と駅の間の交差点の駅側にいる。“正面”に長崎屋がある」と答えた。
目の前にとかちプラザがあるかと聞かれたが、目の前のビルがそういう名前のものかどうかがわからないのでそう答えると、「なんでわからないんだ」と言われる。
でも、わからないものはわからない。そんなビル、私のいた頃には存在していなかったんだし。
うんと首をあげてみると、とかちプラザという看板によってその名前を確認できたのは、「とかちプラザ」というビルの存在を知ってから10分後のことであった。

雨の中でたたずみながら、こんなに帯広は知らない町になったのだと思った。
私のいた頃は、駅の南側は「駅裏」と呼んでいたくらいで、何もないところだった。
長崎屋ができて開発されたことは聞いていたし、新しい図書館にも行ったし、駅の南側にも何度も連れていってもらった。
しかし、そんなところは私にとっては知っている帯広ではないし、馴染みもない。
せっかく帰ってきているのに、懐かしいと思えない場所に行くのはなんとなくつまらないだけなので、覚える気もないのだ。

父には、昔の北側のロータリーの方がわかりやすいので、そちらに来てほしいと言ってみたが、父はすでにパニックになっていて、そのロータリーがどこだかわからなくなっている。
北側の街並みが、こんなにも帯広の人たちから遠くなっていることに、ちょっとだけ寂しさを感じた。

結局父に会えたのは、私が帯広の駅について40分以上経ってのことであった。
あまりにあきれ果て、迎えに来てくれたお礼よりも、悪態の方が口をついて出てしまう。
後で聞いた話だが、帯広の人(少なくとも私の父)にとって長崎屋の“正面”とは、パチンコ屋などがある方向で、駅とはまったく逆側らしい。
私は「長崎屋は“正面”に見えている」と伝えたので、父は長崎屋の南側に私がいるのだと思ったらしい。

父にとっては、私はもともと帯広にいたのだからそれくらいわかっているだろうと思っているのだろうが、私は思っている以上に帯広の人ではなく、帯広もすでに私の知っている町ではなくなっていることを、改めて痛感した。
それ以前に、父には是非、最低でも東西南北くらいは認識してほしいと、本気で思うのであった。

◇筑波山で龍に再び会う2009年11月24日 23時56分40秒


筑波山ロープウェイ入り口

三年ぶりに、筑波山に紅葉狩りに行った。同行したのは、前回と同じ友人Hさん。
「前に来たのはいつだったっけ、二月だったっけ」と時期を失念していたが、ブログの書き込みを調べたらちょうど三年前だった。

三年前に来た時は、紅葉はまだちょっと早いかなという感じだったのだが、今回は二週間ほど遅いせいか、筑波山の紅葉は見ごろだった。
神社前の参道や、ケーブルカーの駅に向かうハイキングコースの入り口など、緑から黄色、オレンジ、赤にうつろうグラーデーションが見事。
これでお天気が良いともっと美しいだろうけれど、今日は生憎の曇天模様。

筑波山もみじ
左上:参道 右上:すいかの像前
左下:ハイキングコース入り口 右下:アップ


ケーブルカーの駅に到着すると前の便が行ったばかりなので、ソフトクリームを食べながら待つことに。
筑波山神社のロープウエー駅のソフトクリームは、栗と柿とバニラの三種。柿と栗を迷うが、栗にする。
モンブランのようで美味。

ロープウエーで山頂に行く。
三年前はちらっとした見えなかったもみじが、ロープウエーに沿った形で美しい紅葉を楽しませてくれる。
神社の前で「山頂よりも下の方が綺麗だわね」というハイカーの声を聞いたが、ロープウエーに乗っている間は十分にもみじを楽しむことができる。
人もそれほど混んでいないので、快適だ。

頂上に到着し、お約束の回転展望台に上って、山からの全景を眺める。
微妙に床が回転していて気持ちが悪いのだが、ここからが一番山肌などを眺めることができる。
筑波山の筑波側と反対側の山肌は、山頂付近はすでに冬の様相を呈しており、裏側は陽が当たらないせいか紅葉の気配さえない。つくば・土浦側の陽の当たる側は裾野が紅葉でとても綺麗だ。
多少霞はかかっているが、霞ヶ浦や牛久沼まではっきりと見ることができた。

三年前にここに来た時、山肌を龍の形をした雲が滑り降りていった(◇筑波山で龍に会う 2006年11月9日参照)。
今年も龍に会えるだろうかと期待して行ったら、それらしき雲が筑波山上空を泳ぎながら消えていく。

筑波山で見た龍雲

こじつけといわれればそうだろうけれど、私はなんとなく今回も龍が姿を現してくれたのではないかと、嬉しくなったのだった。(下の縮小した赤枠内の写真の赤い線が、龍に見える箇所。遠くに見えるのは霞ヶ浦)
龍は、三年前とは反対に上空を飛んで、山の上で周囲の雲にまぎれていった。

一度ならず二度までも、同じ場所で竜神様に遭遇したと思える体験をしたことは、本当にありがたい。
次にここにくるまで、私達を守ってくださいますように。

龍雲が去った後には、雨雲が後ろに控えていたので、最終の一本前のケーブルカーで下山した。
暖かい日と寒い日が混合しているせいか、道端にはすでにつつじが咲いていたり、梅が咲いていたりしたかと思えば、さざんかが満開だったりと季節がぐるぐるになっているような光景を目にする。

山を降りて、筑波大学近くの昔よく通った韓国料理屋「高麗」で腹ごなしをして、つくばを後にした。
有明をすぎる頃には、西からやってきた雨と遭遇し、神奈川に入る頃にはすっかり雨になってしまった。
久しぶりのつくばは、一部はすでに私の知らない町と化していたけど、変わらない場所もあったりと、年月の移り変わりを感じてしまう。
それでも、また龍に会いに筑波山に行きたいと思ってしまう。

◇小さな一人旅2009年11月20日 03時42分55秒

帯広美術館前の坂から見た、雑木林越しの夕日
帯広美術館前の坂から見た、雑木林越しの夕日

4年ぶりの帰省は、一人旅だった。
特別帰らないことを意識していたわけではなかったが、飼い猫が21歳(人間の歳だと100歳らしい)になり、今までのように家で留守番させるのが困難な状況が続いているため、帰る理由もみつからないまま4年が過ぎた感じだった。
気が付けば4年だったのである。

今回の帰省の理由としては、今年に入り親戚に不幸が続いたのがきっかけだった。
旦那と一緒に帰りたかったが、仕事の都合がつかないのと、猫を一人にはできないので一人で帰ることにしたのだ。
4年前にも一度一人で帰省したときに、釧路に行こうと思っていて行けなかったことがあった。
せっかくなので、帯広に行く前に釧路の叔母のところに行くことにした。そして、これが初めての小さな一人旅になった。

釧路空港へ降りる頃には、北海道の大地はすでに闇の中だった。
気流が悪く、数回旋回した後10分遅れで着陸したので、釧路市街への阿寒バスは時間ぎりぎりだった。
外は風が強く、バスの中にいても肌寒い。旅行かばんの中にコートを入れていたのだが、大きな荷物は一番の座席に置くよう指示され、私は一番後ろの座席にいたので、コートを出すことができない。

釧路空港を出たばかりの道は、街灯もまばらで真の闇が広がっているようで、久しぶりにこういう闇を見た気がした。
つくばにいる頃も、ちょっと中心地から離れた裏道を走ると、やぶから何か出そうな生ぬるい闇が続くのだが、北海道の初冬の闇は何もかも凍りつかせてしまうような冷ややかさがあり、何も気配がないのがかえって怖いような気がしたのを思い出す。
昔はわざとこういう闇の中にいて、感覚を研ぎ澄ましているのが好きだった。どこまでも続く闇は、どこにも向かっていないようで、不安な気分になる。それらの感覚は、今は求めても得ることができない。しかし、その片鱗でも思い出すことができたことにちょっとだけ驚く。

バスの終点で叔母に会い、ホテルで食事をして、叔母の家に着く。
私の記憶にある家より新しいので聞くと、叔父が亡くなる数年前にリフォームしたとのこと。私はそんなことも知らずにいた。
8時すぎに、思いがけず従姉妹が会いに来てくれた。彼女と会うのも、彼女の父親が亡くなって以来のこと。今回の帰省で、彼女の母親のお見舞いに行く予定をしているので、そのお礼に来てくれたのだ。
その日は、従姉妹が帰った後も叔母とあれこれ尽きない話をして、2時近くなってから眠った。

次の日は、叔母と二人で釧路市立博物館の展示を見に行く。こじんまりしていて、良い博物館だ。
昔は、博物館のすぐ近くにあった科学館に、叔母によく連れてきてもらった。今はその科学館は移設されて、昔の建物は今は利用されていないらしい。

博物館の内部は、螺旋階段を中心にこじんまりとした展示がなされている。
4階が釧路湿原とアイヌ「サコ
ベ」の展示。
釧路湿原のパノラマルームの展示が、天井がドームになっているので本当に湿原に立っているかのような気分になる。アイヌの展示もまとまっていて、阿寒だけでなく釧路周辺のアイヌの出土品や個人のコレクションの寄贈などを展示してある。
3階がなく2階が釧路の先代史の展示。ここでは、叔母が昔実際にこういう道具を使っていたと、展示してある道具について説明をしてくれた。
そして、1階は釧路の自然の展示。マンモスの標本や、北海道の大地に生きる生き物や植物などを紹介している。

その後、駅前に移動して釧路の市場で遅い昼食を取る。
市場で珍味を買いたかったが、なんとなく食指が伸びない。
夕方のタイムセール中というのに、建物の中は人気がまばらで活気がない。
思えば、釧路の駅前も人気がまばらで、シャッターが閉まるお店も多い。ここでも商店街の人離れが止まらないのだと言う。
寒い時期は観光客もこないし、余計なのだろう。
市場の中に叔母の親戚がやっているお店があり、そこでほっけや筋子などを購入して自宅に郵送してもらった。

汽車の時間が近づいたので、16時17分発の特急おおぞら12号に乗るため、駅で乗車券を購入する。自由席か指定席か聞かれたが、自由席に。
しかし自由席はほぼ満席で、ぎりぎり席に着くことができた。車内アナウンスでは指定席は満席であるとのことで、利用者の多さにちょっと驚く。
駅のホームで、寒い中叔母が時間までずっと見送ってくれた。昔と違って窓が開くわけではないし、席を離れると取られてしまうので、話すこともできずそこを動くことができなかったのが心残りだった。

特急おおぞらは根室本線から石勝線に続く路線である。
特急だと釧路から帯広まで約1時間半で着く道のりが、鈍行だと3時間以上かかる。昔は、釧路の叔母の家に行くときに必ず汽車に乗ったのだが、3時間以上かかっていたような記憶がある。

目をこらして暗い窓の外を見るのだが、車内の電気が明るすぎて外が見えない。延々と続く冷たい闇の中、ときたま街や車の明かりが見えるが、ほとんど何も見えない。
窓に顔をつけてやっと見えた景色は、線路際ぎりぎりに波が打ち寄せる暗い海であった。 そういえば、昔こんなに線路ぎりぎりに海があって、汽車が海の中に入ってしまわないのだろうかと思った記憶がある。
白糠に近づくにつれ海は線路から遠ざかり、池田に入る頃にはすっかり内陸の何も見えない暗い景色に変わっていくが、釧路を出てからしばらく海が続く景色が昔はとても好きだった。
暗い海が続く景色の中で、ときおり停車しない駅前の風景に人の気配を感じるが、そのどれもがモノクロームの冷たい世界で、つげ義春の旅日記を思い出し、一人でいることがものすごく寂しいような、清清しいような気分になってくる。
今度来るときも一人なのか、あるいは旦那と二人なのかはわからないが、次は明るい時間に汽車に乗ろうと思う。

帯広駅に着き、父が駅まで迎えにきて私の一人旅は終了した。ここからは帰省旅である。
行く前に、旦那は「カメラを持っていっていいよ」と言ってくれたのだが、一人でカメラを持ち歩くことがなんとなくためらわれて、カメラを持っていかなかった。
だが、これは後で後悔に変わった。
うまく写らなくてもいいから、あの線路際に続く暗い海の写真を撮っておけばよかったと思った。

今回は、帯広に着いてからも仏さん参りやお見舞いで、友達に会う時間がとれなかった。
唯一、帯広百年記念館と美術館で開催されていた、ロシアの博物館にあったアイヌの資料を展示した大掛かりなイベントを、半日かけてゆっくり見ることができたのが収穫だった。
もう少しゆっくり時間をとろうと思えばとれたのだが、体調も芳しくなく、実際帯広にいる間謎の湿疹に悩まされ(これは、ヒートテック素材の下着が原因か? できるならカニでないように)、こちらに戻ってからも大変だったので、この期間が限界だった。
それに帯広の友人は喫煙者が多いので、実際今の私の体調では5分と一緒にいられないだろう。
友人には会いたいが、今はタバコの臭いだけで気持ちが悪くなってしまうので、タバコが平気になった頃にまた連絡できたらいいと思う。

◇サンドブラストで口琴時計を作る2008年03月22日 00時26分02秒

 
 
箱根強羅の強羅公園内にある、クラフトハウスでサンドブラスト体験をしてきた。サンドブラストとはガラスに模様をマスクし、そこに砂を吹きかけて模様を彫りこむという手法である。
ガラス素材としてはグラスやジョッキなどの中に時計があったので、私は行く前から時計を作ろうと模様の素材を用意していった。もちろん、現地でもさまざまな模様が用意されてはいるのだが、せっかく作るのだから好きな模様を彫りこみたいと思い、文字盤のところに口琴をあしらった口琴時計を作ることにしたのだ。
Illustratorで口琴の画像を取り込み、ベクトルでアウトラインをとって模様の素材を作る。せっかくだから、色々な国の口琴の特徴を出せるように作ってみた。最初はきっちりとデザインしようと思ったのだが、時計の素材になるガラスのサイズがわからなかったので、だいたいの予想をたてて画像を作っていった。

いざ現地に行ってガラスを見ると、時計用に用意されていたガラスは思ったより小さかった。出されたガラス素材の中から比較的大きめ18cm×11.5cm程度のガラスの板を選んだ。しかし、私がデザインしたのは正方形か円形用のものだったので、文字盤にあたる部分のみ抽出して作ることにした。

作業方法の説明では、まず鉛筆でトレイシングペーパーに模様を写し、それをガラス一面に貼り付けたゴムテープに転写する。転写した部分のテープをカッターで切り取り、切り取った部分に砂を吹きかけて白く彫りこむというもの。
私が用意した口琴の絵は、18cm×11.5cmの時計としてはかなり大きめだったのだが、なんとかレイアウトを変更すれば絵を縮小せずに入れ込むことができたので、そのままトレイシングペーパーに写しこむ。だがすぐに鉛筆の先が丸くなって細かいところがなかなか書き込めない。鉛筆の芯をけずりながら作業をするが、すぐにその作業自体無駄であることが判明する。ゴムテープを切り取る際に、細かいところがうまく抜けないので、ディティールをかなりデフォルメする必要が出てきたのだ。
スタッフの人の話だと、テープを切り取るときは一筆書きをするように一気に切り取るほうが綺麗にできるといわれたが、そんな器用なことはできない。カッターは細かい作業ができるようなものだったが、細かい個所のゴムテープがなかなかうまくはずせなかったり、切り始めと切り終わりの個所が微妙にずれていたりしてなかなか上手にできない。細かい模様であればあるほどこの作業は大変だった。
なんとかごまかしながら、約一時間半ほどの作業で砂の吹きかけまでこぎつけた。スタッフの人がサンドブラストの機械にかけてくれた後、全体を覆っていたゴムテープをはずし、いざけずられたところを見ると、カッターのエッジがでてギザギサしてしまっている。でも、全体のバランスもそこそこだし、初めての作品としてはまあ良いほうだろうと妥協したのだった。

ちなみに、一時の位置からサハのホムス、ノルウェーのムンハルペ、フィリピンのクビン、アルタイのコムズ、ベトナムのンチャン、旦那のオリジナルデザインの口琴、中国雲南省のホホ、オーストリアのマウロトロンメル、アイヌ民族のムックリ、キルギスのテミルコムズ、インドのモルチャンとなっている。本当は国の名前と口琴の名称も入れたかったのだが、細かすぎてちょっと難しかったのと時間がなかったので断念した。時計の針も金色の方がよかったのだけど、金色の針は短いのしかなかったので、銀色になってしまった。

帰宅してから時計のムーブメントを取り付け飾ってみると、まあまあ良いのではないかと思ったりする。


箱根強羅公園 クラフトハウス
http://www.crafthouse.org/index.html



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